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ペサハ -春の脱出/心の掃除
さて、ここしばらくブログはあっちもこっちも放り出し状態なので、そろそろ少しはきちんとしないといけないですね。

エルサレムもいよいよ春の到来。今週の月曜、ユダヤ暦のニサンの月の15日にはペサハ(過ぎ越しの祭り)がやってきます。ペサハは、ユダヤの教えでも重要な十戒に関係する旧約聖書の出エジプト記にまつわる行事で、ユダヤの伝統と歴史を語り継ぐ役目でもあり、ユダヤの暦でもっとも大切な祭りのひとつです。

ずっと昔、長い間エジプトのファラオの元でピラミッドを作ったり、いつ終わるとも知れない奴隷生活をしていたユダヤの人々ですが、同じユダヤ人だったモーセはそんな彼らをそこからの脱出へと導きました。しかしファラオは自分の奴隷たちのエジプト脱出を黙って見逃すわけもなく、脱出を妨げようとするファラオに対し神はさまざまな災害を起こします。そのひとつでは、神はエジプトに生まれた長男の命を一人残らず取り去るのですが、そのときに玄関先に羊の血を塗ったユダヤの家にはその災害をもたらさずに過ぎ越すということから、この祭りは過ぎ越しの祭りと呼ばれます。

そして神とモーセに導かれエジプト脱出に成功したユダヤの人々は、エジプトとイスラエルの間にあるサイナイ半島と呼ばれる砂漠を40年間ほども彷徨った後に、「我が唯一の神である」「汝殺すことなかれ」など10の教えが書かれた十戒をモーセが神により授かりました。その後何千年にも渡り親から子へとユダヤの家庭にて繰り返し繰り返し、神が彼らをエジプトから脱出へと導いたことを忘れないようにと出エジプト記がペサハの祭りのときに伝承されてきました。ちなみにこのサイナイ半島、もうちっと若かりしころに何度か行ったことがありますが、本当に美しい。真っ青な紅海と赤い砂山。月と星。それ以外には何もない幻想的な砂漠で、おのずといろいろなことを考えずにはいられない。

ユダヤの祭りまたは行事には、必ずといっていいほど食事が関係していますが、7日間のペサハの間ではイーストと小麦を使ったものは禁止となり、パンの代わりにマツァと呼ばれる味のないクラッカーのようなものが主食となります。これはモーセに導かれたユダヤの人々がエジプトを脱出したときにあまりにも急いでいたので、急いでイーストの入っていないパン種のようなものを焼いて食べたことにあります。イーストは「膨らむ」、つまり傲慢になったりおごり高ぶったりする、感謝の気持ちを忘れてしまう、ということなどを象徴し、ペサハではそれらを改める意味合いもあるのでしょう。

そこでペサハの前には、ユダヤの各家庭では特に台所の小麦削除を中心として、台所の棚や冷蔵庫などはもちろんのこと、一年に一度の家中の大掃除にかかります。そして家の中に小麦製品を残さないようにと、パスタなどの麺類やパン、クッキー、ケーキ、スープの素(小麦が入っている場合が多い)、ウィスキーなど、ありとあらゆる麦を原料とするものはペサハの前までに食べきるかして処分します(ヨーロッパ系のアシュケナジー系ユダヤの人たちには、ペサハの間には小麦類に加えて米や豆類も食べない家庭もあります)。この二週間ほどは、会う人会う人、掃除でもう大変よー!ですが、一年に一度の大掃除、家も気分もすっきりしてよいのではないかな。

さて、そうして掃除し終わったペサハの前の夜には、わざわざパンのかけらを数切れソファーの後ろなどに隠しておいて、真っ暗に電気を消した中、懐中電灯で床を照らしながらそれを探すという家庭もあります。暗闇の一筋の光の中にいらないものを探す出し取り除く行為は、自分の頭と心の中の比喩であり、これも一年に一度の心と精神の大掃除とでもいえばいいのでしょうか。

ペサハについては著書『ロスト・ラゲッジ』にもちょろりと書いたのですが、人はそれぞれに何らかの柵(しがらみ)や、多かれ少なかれ「まあええわ~」と怠惰な状況にいたりと、本当に心に問うことをせず、しなければならないことに背を向けて、流されつつある日々の奴隷状態にあるのだろうと。ペサハの訪れを機会にそれらを見つめ直し、整理し掃除し、そこから脱出するのが精神の出エジプトなのではないかと。容易いことではないけれど、人は生まれてからその生を終えるまで自己の精神をできる限り磨き続けること、それなしにして生は意味を持たないだろうと。そう思うと、この一年を振り返るとわたしもいろいろと改めなければならないことばかりです(去年も出エジプトについてちらりと書いていたのですが、まあ、同じようなことを書いてました(笑))。


*この時期にイスラエル、特にエルサレムを訪問される方々へ。レストランやホテル、スーパーなどでもパンやパスタ、クッキーなどの小麦を原料とする食べ物は置いてありませんのでご注意を。エルサレムでは街中のピツァ屋、ベーグル屋などはこの期間は閉まっています。一週間の小麦なしは結構つらいかも知れませんが、お米は場所によっては食べられますので。







ミルトスのHPから引用。 

『 過越しの祭り「ペサハ」

 ユダヤ教の数ある祭りの中でユダヤ人にもっとも親しみあるものといえば、何といってもそれは「過越し祭(あるいは過越しの祭り)」でしょう。原語では「ペサハ」といいます。最近の調査では九九パーセントのイスラエル人がペサハを守っているとのことです。

 ユダヤ人について知りたいと思う人は、まずこの祝日を理解することから始めるのが近道です。ペサハはユダヤ人の歴史に根ざしたもっとも古い伝統を誇る祭りで、旧約聖書によればモーセによるエジプト脱出、いわゆるエクソドスとも呼ばれる出エジプトを記念した行事なのです。つまり、イスラエル民族の贖い(救い)を記憶し神に感謝するためにある祭りです。時期的には春の祭りで、農耕と牧畜に起源をもつ祭りと歴史が一緒になったものです。

 子供たちも一緒に参加する過越し祭を通じて、ユダヤ人は彼らの民族の歴史と信仰を連綿と伝えてきました。ユダヤ人ならもう幼い時から、出エジプトの物語を覚えてしまいます。そして、先祖を苦難から救った神が自分たちも救ってくれるという信仰がつちかわれてきたのです。ペサハごとに「すべての代々において、人は自分自身をあたかもエジプトから脱出したかのように見なければならない」(ハガダー)と唱えます。

 この頃にイスラエルを旅行する人は、ホテルに泊まっても普通のパンが出ないので驚かれるかもしれませんが、不便でもペサハの雰囲気を味わうのは得難い機会ですね。

 過越し祭の特徴は、家庭で祝われる祭日だという点です。最初の夕べ、家族全員が集い、独特の食事をしながら、決まった式次第にそって祈ったり歌ったりして楽しく過ごします。この日は家族以外の友人や大切なお客さんを招待するのがしきたりです。来賓を迎えるのは家族にとっても喜びです。もしユダヤ人の家庭から過越し祭の夜の招待状を受けたら、それは大変名誉なことですから、参加してペサハを体験することをお勧めします。


 過越し祭(ペサハ)は聖書の中に記された三大祭りの一つです。この三大祭りは、それぞれ季節の変わり目にあります。春を告げるペサハ、夏のシャブオット(七週の祭り)、秋のスコット(仮庵祭)です。

 十九世紀の聖書学者の考えによれば、元来、ペサハは別々の二つのお祭りが一緒になったものだといわれます。一つは農業祭で、ハグ・ハマツォットと呼ばれたもの。翻訳すると、「種入れぬパンの祭り」、つまり酵母(イースト)の入っていないパンの意味です。日本語の聖書には「除酵祭」とあります。もう一つは、ハグ・ハペサハです。これは牧畜民の祭りで、共に春のニサンの月に祝われていました。

 この二つのうち、ハグ・ハペサハのほうが古く、これはまだユダヤ人が遊牧民だった頃、春の到来と共に家畜を犠牲に捧げて祝ったなごりです。ハグ・ハマツォットは、農夫たちが穀物の収穫の始まりを祝って初穂を捧げた春の祭りでした。

 時が経つうちに、二つの祭りは民族の歴史に起こった出来事、出エジプトと結び付いていったのです。聖書には次のような物語が書かれています。

  一、神がエジプトに災いを下そうとしたとき、犠牲の子羊の血を入り口の柱に塗った イスラエルの人々の家は、神が「過ぎ越して」いったので救われた(出エジプト記一二章)。「ペサハ」の意味は「過ぎ越す」です。ここから「過越しの子羊」を指す言葉にもなりました。ハグ・ハペサハ(過越し祭)という言葉は出エジプト記三四・二五に出てきます。

  二、種入れぬパン(ハマツォット)は、イスラエルの民が急いでエジプトから出て行くときの様子と関連しています。「民はまだパン種(イースト)を入れない練り粉」を持って出発したことが書かれています(一二・三四)。


■ペサハのセデル

 ペサハの最初の夕食はそれぞれ家庭で、伝統的な形式に則って守ります。そのために式次第のような本があります。これをハガダーといいますが、そのテキストに沿って行なわれるこの夕食の儀式は、セデルと呼ばれるようになりました。セデルとは、「順序」という意味のヘブライ語です。

 ところで、セデルの中で食事は象徴的な儀式の一部ですので、あるユダヤ人の家庭に招かれたときの体験ですが、実際に食べるまで長い儀式が続くので空腹を覚えた記憶があります。


 聖書にはセデルという用語はでてきませんが、エジプトでの過越しの夜、イスラエルの民はそれぞれの家で羊を屠って家族で食べました。

 その後、イスラエルでは王国時代、紀元前七世紀のヨシア王まで過越し祭を守っていなかったようです(列王記下二三・二二)。

 第二神殿時代になって、過越し祭が復活して、出エジプトの意味を伝承していくことが重要な儀式に取り入れられました。過越し祭は神殿を中心に執り行なわれました。この日は全世界から多くのユダヤ人がエルサレムに巡礼し、神殿では子羊が犠牲に捧げられ、その肉はエルサレムに集う人々に分け与えられて、家族で過越しの食事をしました。また、もちろんエルサレム以外のユダヤ人の家庭でも過越しの食事が守られ、セデルの原型が出来ていったのです。

 現代に伝わるようなセデルがいつ定まったかははっきりしませんが、一説には、紀元一世紀の終り頃には基本ができあがったとも考えられます。ラバン・ガマリエルの次のような言葉が伝承に残っているからです。

 「ペサハに三つの言葉を発せぬ者は義務を果たしたことにならない、それはペサハ(犠牲の子羊)、マッツァー(種入れぬパン)、マロール(苦菜)である」(ペサヒーム一〇・五)

 学者はこれを、ユダヤ人はこの三つを食べ、その意味を書いた文書ハガダーを読むことを義務とした、つまりセデルの原型があったと解釈しているわけです。

 歴史的には、ローマ人の饗宴(シンポジウム)の習慣をモデルにしたのではないかとの説もあります。


 過ぎ越しの祭りのセデルを迎えるとき、テーブルに大きな盆が置かれていて、その上に色々な食品が並べられています。

 これは過越し祭のセデルで用いられる象徴としての食品です。式の中で、ハガダーを読み進むうちに次々登場してきますが、その度に詳しい説明があります。何があるかと言うと、


(1)マロール(苦い菜)
(2)カルパス(野菜)
(3)ハゼレット(もっと苦い菜)
(4)ハロセット(くるみとりんごを交ぜたもの)
(5)ゼロア(子羊の前脚のロースト)
(6)ベイツァ(卵)


 六種類の食品はそれぞれ象徴的な意味がありますので、それを知ると、ユダヤ人の伝統の古さがお分かりになるでしょう。

 まず、苦菜と訳されるマロールというのは、わさびか西洋わさびですが、この苦菜はエジプトでの奴隷の苦難を象徴しています。

 カルパス(野菜)はエルサレム神殿の時代にさかのぼります。当時、食事の始まりのオードブルとして、野菜を食べたことに由来する慣習です。キュウリやレタス、ラディシュ、ポテトなど季節野菜が使われます。

 もう一種類の苦い菜がありますが、このハゼレット(苦菜)はマロールと同様な意味の象徴を持っています。聖書の「種いれぬパンと苦菜を添えて、それ(過越しの羊)を食べなければならない」(民数記九・一一)とある箇所で、この苦菜は複数形で書かれています。それで、ハゼレットがマロールのほかに苦菜の一つに加えられるようになったと言われています。

 りんごやくるみ、シナモンなどをワインでしめらせて混ぜたハロセットは、エジプトで奴隷であったときのレンガ作りの象徴だそうです。時代と所によって、このハロセットは材料や作り方が違っています。

 子羊の前脚のローストを用いたゼロア(脚の骨)は、神の強い手を象徴します。イスラエルの民は神のみ手によって導かれたのです。また、過越しの羊をも象徴します。子羊の前脚に代わって、鶏やほかの鳥、または牛などの骨肉も使うことがあります。

 最後のベイツァは固ゆでの卵です。これは、神殿があった頃の祭にささげられた犠牲の捧げ物の象徴です。別の説では、神殿の喪失を悼むための象徴だとも言われます。


■ペサハのセデルの式のながれ

1.カデッシュ(聖別)
2.ウレハッツ(手を洗う)
3.カルパス(野菜)
4.ヤハッツ(パンを裂く)
5.マギッド(物語)
6.ラハッツ(手を洗う)
7.モッツィ・マッツァー(パンへの祈り)
8.マロール(苦菜)
9.コーレフ(間にはさむ)
10.シュルハン・オレフ(食卓)
11.ツァフン(隠された物)
12.バレフ(食後の感謝の祈り)
13.ハレル(賛美)
14.ニルツァ(最後の祈り)』
by ck-photo | 2007-04-01 05:59 | ユダヤの暦


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