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砂漠の山々からヨルダンを望む
アナノットの近くからの眺め。
砂漠の山々の向こうはヨルダンが見える。
12月、師走のある一日。エルサレムからほんの20分ほど。
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イスラエルには日曜日はない。イスラエルの日曜日はニッポンの月曜日と同じで一週間の仕事はじめの日。が、しか~し、今週、ワタシは馬車馬のように、働けど~働けど~、じっと手を見つめる・・・状態なので、この日曜日だけは、先手を打って休みにしておいた。

先日のこと、うちのイラン系ユダヤの大家さんの息子ヨッシー(48歳)が、12月分の家賃を受け取りにいらした時。何気ない会話から、ヨッシーのイギリス系の奥方はなんと数年前にキリマンジャロに登られたツワモノと判明。来月には単独で南米を旅されると言われ、彼の奥方同様、実はワタシも旅や自然探索が大好きだという話になった。そこで、ヨッシーが「だったらぜひ僕の家に遊びに来い!日曜に迎えに来てあげるから」というので、何の遠慮もなく、パレスチナの壁の横を越えて、いわゆる世間では入植地と呼ばれるところへ遊びに行って来た。入植地、壁、そんなキーワードには政治やらなんやら思わしくないネガティヴなイメージが付きまとい、「おいおい、そんなところへ気軽に遊びに行くたぁ、どういう了見でい!」と、眉をひそめて思われるかもしれないが、実際にここに住んでいると、取り立ててそんなこともない。

そのヨッシーと彼の家族の住むアナノットは、車でエルサレムを出て死海方面に向って15分ほど。あっという間にあたりは砂漠、遠くにはヨルダンが見える。右上の写真はヨッシーの自宅付近からヨルダンに向かっての眺め。こういう生命を感じられない過酷な景色を眺めていると、なぜかその反対にまさに創世記のはじめを思わせるすさまじい生命力を感じてしまい、すぐそこに神はいるのではないか、なんて思ったりもするし、モーセやユダヤの人々がこんな荒野を彷徨ったのかなあ、なんて考えたりもする。そしてひょっとすると自分もまた、ここを彷徨っているのではないかなんて、思ったりもする。たまには自然相手にそんなことを考えてみるものいい。

25年ほど前に開拓されたアナノットは150世帯の本当に小さな町で、すぐ近くの砂漠の谷にはまさにオアシスと呼べる泉がある。なんとなんと、そこにはキリスト教が禁止されていたローマ時代(1世紀の終りから2世紀にかけて)に、エルサレムから逃れて来たキリスト者たちが隠れ住んだ洞窟や修道院が今でも残っている。なんだかかつてのニッポンの隠れキリシタンのことを思い出した。残念ながら今回はあまり時間がなかったので、1990年に再び開かれた修道院はちらりと見ただけだったけど、現在ここには現代の騒音と雑音から逃れて来た人たちが生きている。次回はじっくりとこの谷間をゆっくりと訪れてみたい。きっとひとり瞑想するにはよいにちがいない。

しかし今では、その洞窟には遊牧民ベドウィンたちが羊を連れて冬をしのぎに来るという。遊牧民というキーワードだと、なんだかシルクロードでも思い出しそうなロマンが漂うイメージだけど、実際はそんなこたあない。遊牧している身だから、例え犯罪を犯してもまたどこかへ移動してしまえば、はいそれまでよ。彼らの中にはどんな人物が紛れ込んでいるかもわからない。できればあまり関わらない方がいいというのが、そんな彼らを遠からず近からずにして住んでいる人たちの声。だったらひっそりと静かに訪れるには夏がいいのだろうけど、夏休みあたりだと子供たちが水遊びにやって来るだろうから、平日に行くのが一番かな。

アナノットの谷間の隠れキリシタン洞窟の写真はこちら「地中海と砂漠のあいだ」に載せてゆきます。今週は忙しくなりそうなので、暇を見てこの谷間の泉の写真などをアップしてゆきます。
by ck-photo | 2005-12-12 04:21 | エルサレム・エルサレム


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