タグ:中東に降る雪 ( 106 ) タグの人気記事
アメリカン・コロニー・ホテルにてコーランの響きを聴きながら
さてと。

先日の東エルサレムの旅の話が途中でちょん切れたままでした。

旧市街を出てから北上して、東エルサレムのアラブ地区の中を歩いて行ったのですが、その前日に旧市街でかなりの数の写真を撮ったおかげで、この日アラブの町で撮った写真のほとんどはピンボケでございまして、あまり載せられるような写真がありません。あの日、カメラを構えると筋肉痛というかね、腕がぶるぶるしちゃって・・・。

まあ、それはいいのですが、あれから「?」の看板や電気屋さんやレストランなどが並ぶ通りを通り抜けると、あら?こんなところにイスラエルの国旗がはためいて、建物の前には二人のガードマンが仁王立ちでマシンガンを担いで立っている。出入りしている方の格好は、ほぼ、正統派ユダヤひげもじゃ。「ベイト・ミシュパット」・・・ああ、裁判所の一種ですか。そしてここへ出る途中にとてもきれいな庭のあるお屋敷の前を通ったのですが、ひょっとしたらアラブのお金持ちのお屋敷かなとワクワクしたのでしたが、正面に回ってみると「Albright Institute(オルブライト研究所)」と。なんだ、がっかり。

e0009669_6314530.jpgそして、次に目指すはこちら。エルサレムでも、というか、ある意味で世界的に有名なホテル、「The American Colony Hotel(アメリカン・コロニー・ホテル)」へと。

この歴史あるアラブ経営の美しいホテルですが、現在では欧米からのジャーナリストご用達で、しかもほとんどの方が親パレスチナなのを常々とても不思議に思っていたのです。  

e0009669_6332159.jpg
去年の記事の「アメリカン・コロニー・ホテルから、和平への道」では、「お金儲けのためなら握手もしちゃおう!」と、パレスチナとイスラエルのホテルマネジャーたちがこのホテルで落ち合って頭を抱えて、経済回復のために現状についてを語り合ったという事を書いて、それはそれで、そんな理由からでも両者が仲良くできるのならばそんなにうれしいことはないじゃないか、と思っていたこのホテル。

e0009669_6344225.jpgクリスマスから新年にかけては、ジャーナリストではなくて、欧米からの観光客や巡礼客で賑わいを見せていて、ここのアラブ・コーヒーがなんとも言えずおいしい。

ホテルの入り口は今通ってきたアラブの町の様子とは別世界的にライトアップされ、どこかヨーロッパの小さなホテルのようなたたずまいさえ感じられる。

そして足を一歩踏み入れたホテル内は石造りのアラブ・スタイルで、しかもそこに施された赤と緑のクリスマスのデコレーションがなんともミスマッチなような不思議な華やかさ。個人的には普段のさりげないアラブな内装が好きなのですが。

ホテルの奥のカフェには、アメリカからのキリスト教徒の宿泊客でいっぱいで、アラブの若い男の支給人達がくるくると忙しそうに働いていて、しかも彼らは客を王様のように扱うのがとてもうまく手馴れている。どうもここへ来ると誰も彼もが王様とお妃様になってしまうよう。

このカフェで、新市街のカフェよりも遥かにおいしくしかも値段も半額ほどのアラブコーヒーを注いでは飲みしながら、その心地よさに辺りを見回す。耳に聞こえてくるのは英語ばかりで、そのうちにその合間から夕方の祈りのコーランが響いてきた。

このホテルの空間は東エルサレムのアラブの町に作り出された架空の空間と言ってもいいほど、ここの現実ではありえない、とてもうまく計算された空間だということに気がついた。アラブ独特の装飾的で少しナルシストな客人のもてなしのあり方と、この現実離れした幻想的な空間に、それとはまったく異なる外の現実から流れてくるコーランの響きは、ここに実際の生活を持たない外国人には何と言っても感覚を麻痺させるほど魅力的というほかに言葉はない。

このホテル内のそういった空間は、まったく装飾的ではなくひたすら実質的なユダヤには決してまねのできないもので、そういう意味では彼らには到底太刀打ちはできないのだなぁと。

深い落ち着きのある椅子に座ってアラブコーヒーを注ぎながらコーランを聴きながら、そしてすっかりと日が沈んだ東エルサレムの通りへとホテルを後にした。通りはただ簡素で味気なく色もなく、そこから新市街のユダヤの正統派の黒いゴミゴミとした町へと、現実へと、道は続いていた。

なぜここに泊まるジャーナリストが親パレスチナなのか、またはここに泊まる事によってそうなるのか、なんだかちょっとだけわかった様な、そんな気がした。

さて、おまけ。ホテルなどの化粧室チェック、好きなんですねぇ。ここの化粧室はなかなかグー。さほど大きくないですけど、清潔・実用的かつ落ち着く、の3拍子。赤ちゃんのおしめ替え様のベッドもちゃんとありました。e0009669_6351841.jpg
[PR]
by ck-photo | 2005-01-14 06:33 | エルサレム・エルサレム
あなたはリチャードさんではござらんか。なぜここに?
ぱらぱらと読んでいたインターネットの英字新聞の記事で彼の姿を拝見。
よ、大将、おひさしぶりっ。

が、しかしやね。
なんで思いっきりアメリカ~ンなあんさんがここに???

e0009669_624596.jpg


パレスチナのテレビ放送でのリチャードさんいわく。

「Hi, I'm Richard Gere, and I'm speaking for the entire world,We're with you during this election time. It's really important: Get out and vote!」

だそうな。しかも最後にはアメリカ~ンなアラブ語で「投票に行こうぜ!」。

東エルサレムのパレスチナ人住民の多くは、イスラエルの住民票を保持しているので、今回のパレスチナ自治区・議長選挙にはほぼ無関心。だって、彼らは同じパレスチナ人でも自治区のことなんて関係ないのね。エルサレムの生活のほうがいいに決まってますわなぁ。それに対して東エルサレムの票を得たいが為の自治区の苦肉の策が、この「リチャードさんだってテレビで呼びかけなんよ」攻撃。

昨日の自治区の資金話ですが、こんなところに使われちゃうのね。一体彼への出演料は???まさか良きチベット仏教徒(彼ね)の世界平和へのボランティアってこともあるまいに。

あはは、ああ、あほらしっ。
[PR]
by ck-photo | 2005-01-12 06:24 | 戦争と平和
アッバス君へ。議長当選へのはなむけの言葉。
こんなドキュメンタリー番組を見た。

ヨニ君は若きユダヤ人で、家族とともにエルサレムでごくごく普通に暮らしていた。しかし、数年前のあの日、彼の乗ったバスでパレスチナ人が自爆して、多くの人たちが帰らぬ人となった。そして高校へ通っていたヨニ君も帰らぬ人となった・・・。

ヨニ君の母マーシャさんは、ヨニ君の一部でも生き続けて誰かの生を助けるのならばと、彼の腎臓を臓器移植へ提供することを決め、そしてすぐに医者からヨニ君の腎臓を必要とする瀕死の幼い少女がいると告げられた。

マーシャさんに告げられたこの少女は、西岸地区に住むパレスチナ人だった。ヨニ君の命を奪ったのはパレスチナ人であり、ヨニ君の腎臓に生死が託されているこの少女またも同じくパレスチナ人だ。そして当時パレスチナ人の70%が自爆攻撃を支持していた現状でも、イスラエルの病院ではこのような病人に対してパレスチナ人もイスラエル人も宗教も何も関係はない。

マーシャさんは、彼女の息子の命を奪ったパレスチナ人と、そしてこのパレスチナ人少女との間で葛藤しながらも、移植を許可を決意し、数年後に東エルサレムとパレスチナ自治区のラマッラという町の間に住むこの少女、ヤスミンちゃんの家を初めて訪ねる。

エルサレムからこのパレスチナ人地区である西岸地区へユダヤ人の女性が一人で尋ねるのはとても危険だ。パレスチナ人運転手のタクシーの車内からマーシャさんは緊張した面持ちで外を眺める。この時に、ヤスミンちゃんの父親が画面に向かってこう語る。ヤスミンちゃんが緊急にイスラエルの医者にかからなければならないたびにチェック・ポイントで引っかかり、娘が病気だといっても疑われるか、相手にされずに立ち往生するのだと。これは過去に産気づいた妊婦や病人を装ったりなんだりしてイスラエル側に入り自爆したパレスチナ人がいるから、というのも理由の一つである。

マーシャさんは西岸地区へ入るチェック・ポイントを通り抜け、ヤスミンちゃんの家を訪れる。

ヤスミンちゃんの父親が笑顔で玄関の扉を開ける。そして家の中に案内され、彼女ははじめて見る元気な、ヨニ君の一部と共に生きているヤスミンちゃんの姿に涙したその姿に、スカーフをかぶったヤスミンちゃんの若い母親は「パレスチナ人もイスラエル人も同じよ」とやさしく告げてマーシャさんの肩を抱き、マーシャさんはその言葉に胸が詰まる。

6歳ぐらいであろうヤスミンちゃんは、彼女の腎臓がいったいどこから来たのかを両親から告げられ知っていて、生前の笑顔のヨニ君の写真とヤスミンちゃんの写真をつなげた大きな一枚の写真を抱えてマーシャさんの隣に座り、彼女の父親は「これは君のお兄さんのヨニ君だよ」と囁く。

と、まあ、言ってみればイスラエルのユダヤ人とパレスチナ人の両者を絡めた典型的なお涙頂戴物語的ドキュメンタリーなのだけど、それなりに見終わった後に心に残るものもあった。パレスチナの次の世代の見るイスラエルとの関係に、少しは期待ができるのだろうか。

これまでのパレスチナ自治政府は難民やイスラエルの攻撃による子供の死を売り物にして世界の注目を集めようとしてきたし、アラファト議長が亡くなった時には、世界の長番付10位内に入るほどの財産または資産が暴露された。自治区の1人当たりの国民所得は第二次世界大戦後にアメリカが実行したマーシャル・プランというヨーロッパの復興計画の時の金額よりもはるかに上回り、しかしそれでもヨーロッパは見事に再興し、パレスチナ自治区内にはいまだまともな設備の調えられた病院のひとつもないということは一体どういうことなのだろう。

パレスチナとイスラエル、どちらがいい悪いじゃなくて、そろそろいい加減に現実的な解決策を「実行」してほしいところ。世界はこの件に関しては相変わらずで、でもアッバス君よ、君はこれからどうするのだろう。

そして、ニッポンの首相さん小泉さんよ。アラファト議長亡き後、この1月10日にアッバス議長誕生となったお祝いなのか何なのか、ニッポンはほんの63億円ほどの緊急資金を補助するらしいね。これだけの金額がほぼ無駄(おそらく)に流れるのならば、日本の今もなお再興できていない神戸や新潟や、その他の国内でもこの資金を当てるべきところは色々とあるんじゃないだろうか。
[PR]
by ck-photo | 2005-01-11 06:06 | 戦争と平和
日曜日の哲学カフェ 「夜と霧」第3章 死の蔭の谷にて
さて、年も明けてちょっと日もたちましたので、お約束通りに「日曜日の哲学カフェ 夜と霧」の再開です。この『夜と霧』はヴィクター・フランクルの代表的な著ですが、同じタイトルでフランス人の映画監督アラン・レネによって1955年に36分ほどのドキュメンタリー映画にもなっているんですね。

昨年の最後の章では収容所へのはじめの生活での典型的な反応の初期について読みましたが、今日はそこからさらに次の段階へ進みます。

-------------------------------------

「この瞬間、眺めているわれわれは、嫌悪、戦慄、同情、昂奮、これらすべてをもはや感じることができないのである。苦悩する者、病む者、死につつある者、死者―これらすべては数週の収容所生活の後には当たり前の眺めになってしまって、もはや人の心を動かすことができなくなるのである。」

「夜と霧」第3章 死の蔭の谷にて。


-------------------------------------

フランクルの言う無感情、無感覚ですが、実はこれに似たようなことを体験したことがある。もちろん、収容所での体験とはまったくレベルが違うとは思いますが。

エルサレムに住みはじめ、2001年の秋ごろからあちこちでパレスチナの自爆攻撃によってバスやカフェ、ホテルなどが突然爆発し、多くの方が亡くなってゆくのを身近に感じて生きています。死と生が本当に真横に、紙一重のところにあるという気がいつもしています。そして、ブログでも書きましたが、不幸なことにも去年の9月のエジプトの自爆攻撃では知り合いを亡くしました。

そういった生活で、私の心の中で、人がこういった形の爆発によって亡くなっていくと言うことに非常に無関心で無感情に陥ったことがあります。ニュースで「今日の午後どこどこどこで爆発して30人亡くなった」と聞いてその場面を見ても、あっさりと「ふーん」なんですよ。

もちろん2001年の秋からそういうことが始まって、最初のころは街を歩くたびにビクビクして、悲しくて。エルサレムの街自体深く沈みこんで喪に服していましたし、そういった悲しく恐ろしいニュースを聞くたびに胸が痛くて、次は自分とはどうして言い切れないのだろうかとかね。そういう毎日だった。

でもね、もうそれから何年もたちますから、どこそこで爆発した、人がン十人死んだ、はすっかり日常の一部になってしまった。これはぶっちゃけた話、異常な日常なわけですが。

こう言うと情がないのかとか非常識だとか、外部の人はそう思うかもしれない。でも実際にそういう爆発音の響く日常を過ごせばそれに否応でも慣れてくるし、ある意味、それに対して感情的には死んでしまったようなところがある。そしてまた変に楽観的な自分もいたりして。きっと心理学的理由はいろいろとあるのでしょう。ただフランクルの言うように「死につつある者、死者―これらすべては数週の収容所生活の後には当たり前の眺めになってしまって、もはや人の心を動かすことができなくなるのである。」と、いうことなんだろうなぁと。

しかしある時、どこかでの爆発をニュースを見ていて、なんとも思わずにいる自分に気がついて、あれ、やばいなぁと。この人が亡くなって行く事実をなんとも思わない日常の麻痺した感覚がとても恐ろしいと。

それでも、知人が9月に亡くなったときはさすがに何度も泣きましたし、今でものどの奥が熱くなります。でも、あの時、そして今でも泣くことができるのにちょっと驚いたくらいです。といっても、普段の日常生活に支障があるわけでも心理的に重大な障害や問題があるわけでもないんですけどね。

ちょっと落ちがなくなっちゃいましたが(・・・落ちなんてなくてもいいんですけど、一応関西人なので、どうも落ちのない話はすっきりしませんワ)。
[PR]
by ck-photo | 2005-01-09 05:41 | 日曜の哲学カフェ
アラブな東エルサレム
さて、去年の「2004年 あんたがイスラエル一の大貧乏!」大会で優勝したエルサレム市ですが、これを書いた時点ではまだ多くの方が「イスラエルではアラブの町や村が一番貧しいはず」と思われていたようでした。

日本やその他の国では、イスラエルについて限られたメディアから入る情報に頼るしかないので、ごもっともな誤解ですね、はい。さらに、一昨年の輝かしき貧乏ナンバー1の街も、アラブの街ではなく正統派ユダヤ・オンリーの街、べネイ・ブラクでした。

では東エルサレムのアラブの街は一体どういう感じなのかというと、アラブ・クリスチャンの住人、アラブ・ムスリムの住人の街で、エルサレムのユダヤの新市外とはまったく異なる文化圏。
e0009669_5214973.jpg

多くの女性はスカーフにコート、男性も赤や黒のチェックのケフィヤをかぶっている人が多い。言語に至っては、イスラエル国内のユダヤの街の共通語であるヘブライ語はほとんど聞こえず、アラブ語オンリー。タクシーやミニバスもアラブ語表記でヘブライ語はなし、ナンバープレートの色も異なり、路線はアラブの区々を結んでいる。そして物価もユダヤの街に比べるとかなり低いが、生活基準がかなり低いのかと言われるとよくわからない。店先を見る限りでは、最新の電化製品も多く、ベネイ・ブラクなどのような貧困な雰囲気は伝わってこない。

e0009669_5221736.jpg

写真は東エルサレムの電器屋。もちろんユダヤ人の客は一人もいないし、ユダヤの街ではあまり見られないクリスマスツリーが飾ってある。

アラファッちゃんとアバス氏のポスター。これもまたユダヤの街では絶対に見ることのできないモノのひとつ。
e0009669_523391.jpg


こうやって見ると同じひとつの街でありながらまったく異なった世界が作り出され、お互いが混ざり合うことは少ない。というか、東エルサレムから西エルサレムのユダヤの新市外へはアラブの住人たちはごく普通にやって来るが、その反対はほとんどあり得ないのが現状なり。

ま、このあたりもまたいずれくわしく書けたらいいなあと。
[PR]
by ck-photo | 2005-01-06 05:12 | 混沌の文化
エルサレムより・・・
さて、今年後残すところ一日となりましたので、たまにはまともな写真でも載せてみようかな。

エルサレム、今日もいいお天気、気温は20度ぐらいで、イスラエル・ブルーな空が広がっていました。街行く姿には半袖のTシャツ一枚にサングラスの青年や、ポンチョのようなコートを着込んだお姉さんやら、チョコレートのように美しい肌のエチオピア人も、雪の姫様のようなロシア人も、へぼへぼイラン人も、イェメン人も、シルクハットのような帽子のポーランド人も、ニュー・エイジなアメリカ~ンも、ユダヤ人もアラブ人も、キリスト教徒も、そしてフィリピン人もタイ人も、ニッポン人も。

ざっと通りを見渡せば、これだけの、いえ、もっとたくさんの国の人たちがごちゃ混ぜに信号待ちをしていたり、バスを待っていたり、楽しそうに、悲しそうに、怒ったように、ごくごく普通の日常があって、この写真のようにモスクがあり、教会があり、シナゴーグがあり、色々な人々がこの街で毎日を生きています。私にとってエルサレムという街は、単に美しいだけの街ではなくて、たくさんの人たちの悲しみの涙の街だと思っています。このことについてはまた年が明けてから、そういうことを話す時がくればまたお話したいと思います。

5月からはじめたこのブログです。つたない表現や、不十分な説明、答え、時には疲れたり、またある時はすばらしい出会いに繋がったり、短い時間で色々なことがあって。そして色々なことを学んだり、時にはうっかりと学んだことも忘れたり。本来ならば、コメントを頂いた皆様のブログ一つ一つを尋ねてご挨拶するべきなのでしょうが、なんせ、エルサレムは新年は9月の終わりに済ませているので、まったく普段と変わりない生活があって、そうしたゆっくりした時間が取れません。この場を借りてご挨拶とさせていただきます。

本当に大変お世話になりました。来年はブログはどうなることやら、ですが、何とかボチボチと続けていく予定ですので、またよろしくお願いいたします。みなさま一人一人にとって、来る年が今年よりも実り大きく意味深い年になりますよう。

よい年越しを。
e0009669_19291381.jpg

[PR]
by ck-photo | 2004-12-30 19:28 | 混沌の文化
猫だってエルサレム色
e0009669_19584252.jpg


旧市街でであったノラさんです。なんてすてきな保護色なんだろう
[PR]
by ck-photo | 2004-12-27 19:57 | 猫三昧
言葉っておもしろい 〜アメリカン・イディッシュ英語
日本語よりも英語の方が得意になる理由? 
言葉と文化とコミュニケーション

言葉と環境の関わりのおもしろさについて考えた。やっぱり言葉って、環境にそって発達して行くもので、それが母国語であっても環境によっては忘れていくこともあるんだなと。そしてまた再びその人にあった母国語の形なり、または他の言語でありを見つけ出すこともあって。そんなことを思っていると「すべってころんでかかとがとれた」という多和田葉子さんの著書を思い出した。

そして、一言に英語と言ってもイギリス英語、アイルランド英語、オーストラリア英語、南アフリカ英語、アメリカ英語などなどアクセントのちがいはもとより意味のちがいなど色々とありますが、ここ数年、日本語を押しのけて第一言語になりつつ私の英語ってナンだろう?と改めて思ったら、かな~り、へんてこりんな英語。母国語である自分の日本語についての話は、また別の機会にでも。

そして英語が第一言語になりつつあっても、いざ英語圏に行けば「イスラエル訛りの英語だね」と。これって、全然自慢できることではない気がする。しかし、私の話す英語って実はイスラエル英語ではなくて、イディッシュ英語なんじゃないかと。

TB先のお話とはずれますが、ちょっと思いついたおもしろいイディッシュ英語をいくつか挙げてみました。NYなどイディッシュスピーカーの多いところではこんな英語も耳にします。

This is geshmack! むっちゃ美味しいやん!
(Geshmack ゲシュマック =おいしい)

Gevolt! That is great!  すごい!
(Gevolt! ゲヴォルト =すごい! )

He is a mensch.  真のオトコだね〜。
(Mensch メンチ =男の中の男)

He acts like a real meshungina.  クレイジーなヤツやなあ。
(Meshungina メシュガナ =クレイジ~な人)

What kind of mishigas is that?  なんちゅうクレイジーな。
(Mishigas ミシュガス =クレイジ~なこと)

I was noshing all morning.  午前中はポリポリ食べまくってたよ。
(Noshing ナッシング =むしゃむしゃつまみ食いすること)

I had to schlep it across the town.  これを街中、引きずって歩いたワ。
(Schlep シュレップ =引きずる)

He's a schmuck.  あいつ、サイテーやね。
(Schmuck シュマック =サイテーなヤツ)

Your clothes look like a shmatas.  あんた、それ、ボロ着てるみたい・・・(ダサい・・・)。
(Shmatas スマタス =雑巾、ラグ )

I am such a klatz.  いやー、うちってドンクサイわ〜。
(Klatz クラッツ =どんくさい人)

Good bye! Zai gezundt!  ごきげんよう。
(Zai gezundt ザイ・ゲズント =お元気で、神のご加護あれ)


こんなのがイディッシュ英語の日常語です。英語圏の方々、いくつほどわかりました?
[PR]
by ck-photo | 2004-12-22 19:14 | ユダヤ雑学
朝の祈りの道具・テフィリン
e0009669_19562529.jpg


それでは、ちょっと雰囲気を変えて。
エルサレムの市民の台所、マハネ・イェフダ市場での一こま。

以前書いたハバッド派という正統派ですが、彼らは世界中に散らばり、世俗のユダヤ人にユダヤ教を正しく教え伝えるという活動で知られています。東京にも今ではハバッドはいますし、タイ、香港、南米、ヨーロッパ、と一人でもユダヤ人がいればそこへ飛んで行ってハバッド・ハウスと呼ばれる事務所&コーシャーレストランを開き、ユダヤ人が心開いてやってくるのを待ちます。

そのハバッド軍団はマハネ・イェフダの市場にも出没します。金曜日の安息日前でごったがえす市場、卵売り場の横に彼らは歌い、踊り、そして世俗のユダヤの人に祈りの仕方を教えています。写真左の黒帽子がハバッドの若者、そして真ん中で腕をぐるぐる巻いて変な箱とキパを頭に乗っけているのは飛び込みの世俗のおっちゃん。この箱と腕にまいた革の道具はテフィリンと呼ばれ、腕用とおでこ用の二つでワンセット。13歳以上の男性が祈る時の道具で、一般には朝の祈りなどに使い、皮製の箱の中にはユダヤ人が忘れてはならない4つの大切な祈りが書かれた紙が入っていています。写真では見えませんが、最初に左の腕の心臓と平行な高さの部分に箱が来るようにし皮ひもを手のひらまで巻きます。これは心によって神を思う、という理由からです。

そしてそれからもう一つのテフィリンをおでこの真ん中に箱が来るようにベルトの皮ひもを後で止めます。これは頭つまり、知的な部分と神とのつながりを意味しています。こうして心と知的な部分で神とつながりを確認し、嘆きの壁に向かって立ち朝の祈りをはじめます。
[PR]
by ck-photo | 2004-12-21 19:53 | ユダヤ雑学
食べ物への祈りについて
ひげもじゃ教では一日のうちに数回ほど祈りというものをするのですが、それらは朝の祈り、午後の祈り、夜の祈りになります。この3回の祈りは男性は義務づけられていますが、家事や育児で忙しく、泣き喚く赤ん坊をよそに決められた時間内に祈りをささげることなどは難しいであろうと言う理由に、女性には義務とされていません。そこで女性は一日に一度、短い祈りを捧げるだけでよしとされています。

祈りにはそれとは別に、生活に拘わる色々な祈りがあり、例えば虹を見たときの祈り、香りをかいだ時の祈り、そして自分の町を離れ旅路へつく時の祈り、それから、食事に関する祈りなどなど色々あります。

そこで今日は食事の祈りについてのお話。食事の祈りは大きく分けると5つのカテゴリーになります。
e0009669_1961134.jpg


・ハモツィ:パンへの祈り

「バルフ アタ、アドナイ エロケイヌ メレハ ハオラム。ハモツィ レヘム ミン ハアレッツ。
(Blessed are you God, our God, King of the universe, Who brings forth bread from the earth.)」

・メゾノット:パン以外の穀物からできたもの(パスタ、ピザ、麺類、米、クッキーなど)への祈り

「バルフ アタ、アドナイ エロケイヌ メレハ ハオラム。ボレ ミネ メゾノット。
(Blessed are you God, our God, King of the universe, who creates species of nurishment.)」

・ハエッツ:木や枝になるもの(りんご、オレンジなどの果物、ナッツ、など)への祈り

「バルフ アタ、アドナイ エロケイヌ メレハ ハオラム。ボレ プリ ハエッツ。
(Blessed are you God, our God, King of the universe, who creates the fruit of the tree.)」

・ハアダマ:土から取れるもの(ジャガイモ、ニンジン、トマトなどの野菜、豆など)への祈り

「バルフ アタ、アドナイ エロケイヌ メレハ ハオラム。ボレ プリ ハアダマ。
(Blessed are you God, our God, King of the universe, who creates the fruit of the ground. )

・シェアコール:それら以外のもの(飲み物、肉・魚類、飴などの加工品で主原料がなんだかよくわからない食べ物など)への祈り

「バルフ アタ、アドナイ エロケイヌ メレハ ハオラム。シェアコール ニーヤ ビッドバロ。
(Blessed are you God, our God, King of the universe, through whoes word everything came to be.)」


これらの祈りの仕方ですが、食べ物を口にする前にこれらのカテゴリーに合わせて食物ごとに祈りを唱えます。と言っても、いちいち食事中の一口一口に祈りをするということではなく、例えば上の写真のようにお皿にニンジンとフライドポテト、それにチキンが乗っているとします。ニンジンとジャガイモはハアダマ(土のもの)のカテゴリーになりますから、これらのどちらかの一切れ取って、最初の一口の前にハアダマの祈りを唱え、残りのジャガイモなどに同じ祈りを繰り返して捧げる必要はありません。そしてチキンはシェアコール(その他のもの)ですから、パクッと行く前にその祈りを捧げます。

これらの口へ入れる前の祈りは、この世に存在するものは人間の力ではなく、神によって与えられた物であり感謝し、神のよって創造された一つ一つを忘れないためにです。

そして食事が終わってからは、ごちそうさまのお祈りをします。この祈りの長さはパンを食べたか食べないかによって、そして5つのカテゴリーのどれを食べたかのよって変ります。

昔は欧米ではパンは食事のメインであり、パンのない食事は一食とは見なされなず、そこでパンは最も神に感謝しなければならない食物ものでした。その習慣が今でも受け継がれ、パンを食べる前、そしてパンのある食事では手を清め、祈りを捧げます。そして食後にはきちんとパンのある食事を得たことへの長い感謝の祈りが唱えられます。
[PR]
by ck-photo | 2004-12-21 19:04 | ユダヤ雑学