タグ:エルサレム探索 ( 126 ) タグの人気記事
ハヌカの街角 その①
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エルサレムのヤッフォ通りにある大きなお菓子屋さん&レストランのスフガニヤ売り場。
やっぱり何度見ても今年のスフガニヤは疲れてる。
なんだか今ひとつおいしそうじゃないなあ。

ひげものおにいさんもどれにしようかな~と真剣な後姿。
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エルサレムのお菓子屋さんやファラフェル(ひよこ豆の揚げ団子)の店など、こういうふうにセルフサービスというか、自分で好きなものを袋に詰められる店が多い。というのも、何事にも首を突っ込まなくては気のすまない国民性、自分の手で自分の選んだものを自分の持つ袋に入れたい。こんなちょっとしたことでもよーッく国民性が出てるなあと。個人的にはこれはちょっとNGかも。激甘シロップがかかっていたりするので、べたべたなところにお客の出入りでかなり埃もくっつくだろうし、しかも、マナーがないエルサレム。手でつかんだあとで気に入らなかったらしく、また戻す人も。おーい、汚いやんか。だからおなか壊すんやな。


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こちらはアップルピツァというアメリカ移民&留学生ご用達、エルサレムのリトルアメリカな店のハヌキヤ。ピツァは1スライスで10シェケル。高いなあ。

下は近所のイタリアンレストランのハヌキヤ。この窓だけ見るとNYのどこかの店の窓のような。写真左端のヘブライ語で書かれたものはカシェル認定証。カシェルを守っている人たちが入店前にどこの認定証なのかわかるように、レストランの入り口などにこうやって認定証が張られている。
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ヘブライ文字の書かれたハヌカの駒。
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で、日没にあわせて毎日ハヌキヤに火を灯すのですが、エルサレムの繁華街のど真ん中でも
大きなハヌキヤが出現。
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ハバッド派とよばれるひげもじゃ軍団(正統派ユダヤ)が主催で派手派手なユダヤ宗教ポップミュージックにあわせて毎晩点火。ハヌカ三日目の昨夜も消防車のクレーンに乗ってがんばっておりました。火を灯した後には、スフガニヤが配られ、いらなかったんだけど思わず手が・・・。ということで、またひとつ食べちゃいました。いったいハヌカが終わるまでスフガニヤを何個食べるのでしょうか・・・。

それにしても今週はかなり冷え込むエルサレムです。
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by ck-photo | 2006-12-18 21:25 | 中東の食卓+α
こらぼ さらくだ 久々の更新
テヘラン大学に勤められているサラさんとのイスラーム&ユダヤブログ「こらぼ さらくだ」ですが、久しぶりにちょろり更新しました。

エルサレムの旧市街のまわりをぐるりと囲む城壁にはいくつかの門があります。そのひとつは黄金門と呼ばれ、ユダヤの教えではメシア(救世主)はオリーブ山のほうからこの門を通ってやってくるとされています。しかし、それを防ぎたいムスリムはその門の前に墓地を作り、門をふさいでしまいました。

ブロックされた黄金門、とムスリム墓地

その黄金門の写真などアップしてあります。
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by ck-photo | 2006-12-18 17:44 | ユダヤ雑学
イタリアン シナゴーグ from Conegliano to Jerusalem
さて、ようやくぼちぼちと復活の兆しです。ご心配おかけしました。

お約束していたエルサレムのイタリアン シナゴーグです。

お散歩がてら、ぷらぷら歩いて行ってきました。エルサレム新市街にあるこのシナゴーグは小さなミュージアムになっていて、入場料は大人15シェケル。以前はイタリア系ユダヤ人の知人がここの管理者だったので、このシナゴーグには遊びに行ったことはあったのですが、ミュージアムははじめての経験。

このシナゴーグはもともと北イタリアのコネリアーノ(Conegliano)のコミュニティーにあったのですが、第二次大戦後の1951年にエルサレムに転居。シナゴーグ内にあるもののほとんどは18~19世紀のもの。シナゴーグの内部の一番奥のゴージャスな戸棚はアロン・ハコデッシュといって、ユダヤの聖典であるトーラー(旧約聖書のモーセの五書)が保管されています。このアロン・ハコデッシュは1652年に作られたもので重厚ですね。世界各国、どこのシナゴーグでもアロン・ハコデッシュはエルサレムのかつてのユダヤ神殿の西の壁、つまり嘆きの壁の方向に置かれます。
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シナゴーグの真ん中にあるのは祈りをリードする男性の立つお立ち台。
これは常にアロン・ハコデッシュに向いています(つまり西の壁の方向)。
一階は男性、二階が女性の場所です。二階のギャラリーからは木彫りの目隠しのあいだから一階を見ることができます。正統派ユダヤのシナゴーグの場合は、上階と下階または左右で男女別々に座ります。

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職人さんが1652年作のアロン・ハコデッシュの飾り部分をちょうど塗り直しをしていました。ほんものの金なのかなあ・・・。うーん、尋ねればよかったのですが、慎重に塗っていたのでそそそそーっと外に出てきちゃいました。
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ミュージアムの中。1600年に作られたアロン・ハコデッシュや、椅子、18世紀あたりの銀細工の祈祷書カバーなど、いろいろな道具があります。

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これは来週にやってくるハヌカの祭りに使う古い銀のハヌキヤ。ああ、ハヌカがくるともう12月なんだなあと実感。

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いかにもイタリアーンなデザイン。ビーナスの乗っていた貝殻のようなモチーフもありました。
で、ここまで写真を撮ったところで、「あー、写真撮影はあかんでー」だって。

そしてシナゴーグとミュージアムを後にして、イタリアーンとくればパスタかピツァと行きたいところですが、やっぱりエルサレムなので思いっきりローカルにホムス。なかなかおいしかった!
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で、このホムス。以前は自分でよく作ったのですが、最近はたまーにレストランなどで注文するぐらい。作り方は簡単。缶詰(または家庭で茹でた)ひよこ豆の汁を切ってミキサーでガーッ。そこにレモンの絞ったの、オリーブオイル、タヒニ(練りゴマ)、ガーリック、を加えてさらにガーッ。塩を適当に入れて、はい、できがり。タヒニを多く入れるとまろやか~でグー。でも太るよ、絶対に。初めてイスラエルに来たときに2ヶ月で5キロ増えたオンナです。
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by ck-photo | 2006-12-11 05:47 | 中東の職人技
シナゴーグを覗いてみたよ
やっと仕事がひとつ終わりそうなところまで来ましたが、そろそろ体力切れ・・・。でもまだあとふたつあるので、ああしんど・・・。
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エルサレムの旧市街の外に作られたシナゴーグ(ユダヤの宗教でいう祈りとコミュニティーの場)で、いちばん古いものが繁華街のど真ん中のナハラット・シヴァ通りの裏路地にあります。といっても写真のこれ↑ではないのね、わははっ。ちなみに、自宅の近くには、とても美しいイタリア系のシナゴーグがあります。いちど写真を撮りたいのですが、そう思ってはやン年。ヨルダンやエジプトなどと同じように、近ければ近いほどわざに行かないのがナンですねえ・・・。

ある夜、たまたまそのいちばん古いシナゴーグのそばを通りかかったら、そちらはもう電気が消えていたのですが、その向かいにあるスファラディー系のシナゴーグに明かりが煌々と。窓の外から中を覗いてみると、お勉強会。うーむ。男性ばかりなのでさすがに入れてくれとは言えず、怪しくならないように窓にもあまり近寄らないようにこっそりと・・・。って、これじゃあ、かえってヘンですが。

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黒帽子のラビ 「おい、君、君!聞いてるか?!」
右のかんぺーちゃん 「だっておもろないねんもん・・・。かいーの・・・。」

なんて会話だったのでしょうか。そんなわけないですか。
窓の外からでは、結局何の勉強会だったのかわからずじまいでした。
次の更新はイタリアン・シナゴーグと行きたいところですねえ。

ユダヤ語かんたん注釈:シナゴーグについて
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by ck-photo | 2006-11-14 12:23 | エルサレム・エルサレム
宝石じゃらじゃら・イスラエリーデザイン
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仕事がまったく進まないので、気分はまるで試験前の学生。ちょっと仕事をしては「ああ、そうそう、部屋の掃除がねー・・・」とか、妙に落ち着かず。気がつけば、ああ、今日も一日終わってしまった・・・。かなりまずい状態です。今月いっぱいというか、今年いっぱいはカツカツ状態。はひー。

11月2日に載せたゲイパレード反対デモですが、あれから連夜白熱。テレビで毎晩映し出される様子は、もうわたしごときがうろちょろするような状況ではなし。騎乗隊も路地の中まで入り込んで学生をとっ捕まえる、炎もかなり大きくなっているようですね。これについては、ゲイパレードを阻止したい警察が正統派の彼らにデモを起こさせたのに、結局上からはパレード続行指示が出てしまいどうにもならなくなった、という話も聞きますね。なんのこっちゃ・・・。

さて、こちら。エルサレムのジュエリーショップなどでよく見かけるアクセサリー。ストーンとビーズでかなり大振り&カラフル。胸元とがばばーんっと開いたシンプルな服に似合いますね。が、やはりエルサレム。そんなおしゃれセンスのある女性は少ない。ちょっと中堅クラスのグラマラスなおばちゃんが、ばばーんっとよく肥えた大きな胸を揺らしながら、どかっとこんなネックレス。うーん、すべてが大柄でコテコテにど迫力。ま、それはそれである意味、かなり見ごたえがありますねえ。でも若いきれいなオネエサンがさらりと胸元につけてくれるとうれしいような気がします。・・・・と、ものすごくオヤジ発言ですね。わははっ。値段もそれなりなので若い人には清水の舞台飛び降りかも。e0009669_2124251.jpg

ちがうお店のショーウィンドーで。あら?上の写真の真ん中のものと同じデザインだった・・・。店で見ているときは気がつきませんでした。イヤリングもあるのかー。こういうデザインを見ていると、どうしても旧約聖書時代というか、「お宅のむすめっ子とらくだ20匹でどや?」「ほな、とびっきりの宝石つけて嫁がすわな」、みたいな会話がどこかから聞こえてくるような。

ワタシは若いオネエサンのカテゴリーにはもう入らず。ですが、どどーんなおばちゃんになる前に、一度ぐらいはこういうのもつけてみたい気もします。が、日本人のおしょうゆ顔では負けてしまいそうですね。
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by ck-photo | 2006-11-07 21:57 | 中東の職人技
エルサレムのサラディンの兵士墓地とプラハのユダヤ墓地
e0009669_7232150.jpgエルサレムの新市街の真ん中には、古いムスリムの墓地、マミラ墓地があります。

今となっては「なぜこんなところに墓地が?」と、墓地にするには不似合いな場所ですが、墓地ができた12~13世紀ごろでは、ここは旧市街の外で人も住まない荒野だったのでしょう。映画「キングダム オブ ヘブン」でも登場する、十字軍の手中だったエルサレムを奪還しようと戦ったムスリムリーダー、サラディンの兵士がここに埋葬されているといわれています。

現在の墓地公園はこんな感じですが、向こうに見える塔はエルサレムのYMCA。このビルはニューヨークのエンパイアーステイトビルディングと同じ建築家の作品で、そういわれて正面から見てみればなんとなく共通点があるようなかんじがします。

e0009669_720870.jpg墓地公園内にある一番大きな墓。これも聖廟というのでしょうか?現在は入り口がふさがれていますが、中に墓があります。何かアラブ語で書かれていますが、読めないので誰の墓なのか不明。

中は暗いので覗いてもほとんど見えませんが、そういうところを覗くのは度胸がいりますね。変なものが写ったらコワイし、あるものまで写ってなくてもコワイし。とか言いつつもちゃっかり覗いてますが・・・。正統派ゆだやのおじさんが「こんなところでなにしとんねん?」と、不思議そうに通りすぎました。 (聖廟内(?)の様子は撮影後にはじめて知った)
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古いムスリムの墓。形やレリーフがおもしろい。残念ながらアラブ語なので、何が書かれているのかは不明。

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左の墓はその形からも、上の写真の墓よりも新しいものでしょうか。右は東ヨーロッパの特定の町にしかないユダヤの墓石と同じ形のもの。こちらの墓のほうが古いので、これをまねたものかも?と思うも、この形はエルサレムのムスリム墓地でもあまり見ないように思う。


さて、ムスリムの墓もさることながら、世界中にユダヤの墓地がありますが、中でも有名なのはプラハのユダヤ墓地。この旧ユダヤ墓地は、プラハでも人気の観光地のひとつですが、ヨーロッパに存在するユダヤ人墓地では最古のものだそう。1439年から1787年までの348年の間に10万人のユダヤ人が埋葬され、ある一定の時間が過ぎるとその上にまた新しい墓を作ったので埋葬層は12層。さらに、その狭い墓地内にある墓石数は1万2千と、上にも下にも横に斜めにと、通勤ラッシュの電車内のようですね。

この旧ユダヤ墓地には、有名なユダヤの人たちも埋葬されていますが、この墓地で最も有名な墓は、ユダヤ教神秘主義のカバラを学んでいたラビ・ユダ・ロウ(Judah Loew 1525 - 1609)。彼はユダヤ版フランケン・シュタインを作り出したとされ、伝説的人物とされました。そしてもう一人は1439年に亡くなったラビ・アヴィグドール・カラ(Avigdor Kara)。彼は1389年に起こったプラグでのポグロム(集団でユダヤ人に対して行う暴行、破壊、虐殺のこと)を生きのびた数少ない一人でした。このポグロムは、「ユダヤ人はキリスト教の儀式に使う聖体を盗み、黒魔術をかけている」といううわさを信じた住民たちによって行われ、当時プラハに住んでいたユダヤ人3000人のほとんどが亡くなりました。こういったポグロムはヨーロッパの各地で行われていました。

このプラハの旧ユダヤ墓地がヨーロッパ最古のユダヤ墓地となった理由は、第二次大戦でドイツ軍に破壊されなかったため。と、とてもかんたんな理由ですが、ヒトラーはユダヤ人撲滅後にプラハにユダヤ博物館の建設を計画していたので、この旧ユダヤ墓地を残すことにしたといわれています。

プラハの旧ユダヤ人街を見てみると、墓地だけではなく数件のコーシャーレストラン、9軒のシナゴーグなど、現在もユダヤの人々が住んでいるのが伺えますね。ピンク色の旧市役所の時計も、よく見るとヘブライ語文字の時計。ちなみにプラハの有名なユダヤ人といえば、フランツ・カフカですが、でもカフカが亡くなったのは1942年。この墓地が閉鎖されてからのちのことなので、彼のお墓はここではないですね。


(このプラハの墓地については旧ブログのほうでも取り上げたので、読まれた方もいらっしゃるかと思いますが、あちらのブログで書いたものも少しずつこちらに移行していきますので。)
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by ck-photo | 2006-10-19 07:52 | ユダヤ雑学
シェルターとクッキーなわけ
仮庵の祭りも終わり、雨乞いが叶ったようで4月以来はじめて本格的な雨が降り、ついに夏が終わってしまいました。そこで引越しをしました。

といっても、家内引越し。

自宅のまわり近所がどうにもやかましい。毎日毎日、どうやったらそれだけの騒音が出せるのか。一階に住む中年おやじは毎日のようにがなる、趣味の日曜大工で鉄を切るチェーンソーのようなものをウィーーーーーンンンンッと日がな一日中使い続ける。その家の躾のされていない犬たち。そして、向かいの家の子供たちに手を焼いている母親のヒステリックな叫び声。

たしかに人間の日常の営みなわけですが、自宅で仕事をしている者にはかなりきつい。そこで、自宅のリビングにあった仕事場を、シェルター内へ引っ越しました。シェルターは、当然ほかの部屋よりも壁も頑丈で厚く、鉄製の窓と入り口のドアをガシャーン、閉めてしまえば外からの音はほぼ遮断。これほど仕事場に向いている部屋はあるまい。今まで書庫&物置状態だったので、もったいないことをしたなあ。写真だとごくごく普通の部屋に見えますねえ。左に写ってるヘブライ語が書かれたのが、鉄の窓。重くて片手では開け閉めは無理。これだったら生物化学兵器もシャットアウトかな?と、サラリとそういうオソロシイことも言ってみる。
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イスラエルの家屋にはシェルターが備わっているものが多く、一般的にはアパートのビルの地下に住人共同シェルター(ほぼ、物置状態だったりする)となりますが、うちの場合は築9年ほどなので、どうやら家の中に個人のシェルターを設置したよう。近所などでは、公園の地下に地区のシェルターもありますね。

今年の夏のハイファのように、いつ何時他国から攻められるかわからないイスラエル。なので、シェルターがあるわけですが、エルサレムにはいらないなあ・・・・。いちおう、イスラームいわく、エルサレムはイスラームの聖地のひとつですから、自爆テロは起こしても空爆などの標的にする確立はほとんどない。安全なのか、そうでないのか、よくわからない街です。

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そして、雨が降るたびに気温が下がっていくエルサレム、これから冬にかけて食べたくなるのがこのジャムサンド・クッキー。暑い夏場は見向きもしませんでしたが、今頃になるとこの赤い子供だましのようなジャムに、どうもついつい手が伸びてしまいます。カシェル的には肉でも乳製品でもない中間食品なので、当然バターもミルクも使ってないので、クッキー独特の甘いバターの風味もありませんが、それでもお菓子のおいしくないエルサレムではかなりハマッテしまうクッキーです。
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by ck-photo | 2006-10-15 22:16 | 戦争と平和
イスラエルの飲酒の習慣
ちょっとしたきっかけで、しばらく考え中の「イスラエルの飲酒」について。

日本では飲酒に関してなんだか物々しいほどの処分やら騒ぎのようですが、それにしても日本の人ってよくアルコール類を飲むなあというのがわたしの感想。酒を飲めないのは男じゃない、なんて都合のよい言い分もあるようで、それも飲めない人、またはアルコール類が好きではない人には拷問でしかない。

さて、イスラエルの飲酒ってどうかなあと考えたところ、わたしのまわりのユダヤの人たちにおいてはあまり飲まない。はじめてイスラエルに来た当時、1989年だったか1990年ごろですが、このころの20代でも、あまり飲酒していたという記憶もない。テルアヴィヴなどのビーチに行けば、まあ、マカビかゴールドスターの一本ぐらいは飲む人もいたけど、友達の家で集まったりしても、アルコールをたしなむという習慣はあまりなかった。

当時、安息日のはじまる前、金曜の午後には、ホフ・マアラビというテルアヴィヴのビーチでのパーティーがとてもはやっていた。ビーチのカフェ・バーから流れる音楽に踊る人たち。TOTOの「アフリカ」やREMがよくかかっていた。そこでも、やはりビール一本ぐらい、もちろん、その後でみな車を運転していたけど、飲酒運転の取締りなんてしているところは、この16、7年間で一度も見たことがない。

彼らの親の年代や50代になると、ほとんどアルコールの飲酒はなく、夕食後に親戚や近所の友達を訪ねていっても、たいていはミルクと砂糖たっぷりのネスカフェにクッキーかケーキ。イスラエルにはアラックと呼ばれる安いウォッカのようなものもありますが、ビールやそういったアルコール類が出ていたという記憶はない。

ワインになると、当時はワインは安息日などの祈りに使うものという感覚だったようで、普段アルコールを飲まないので、飲みやすいように甘いワインが多かった。なので、普段におしゃれにワインを飲むということもまったく記憶にないし、ちょっとワインを飲んだだけでもほろろろっと酔ってしまう人も多かった。

それが、ここ数年でガラリと変化してきたように思う。テルアヴィヴでは、おしゃれな欧米風のレストランが立ち並び、そういったレストランはだいたいがカシェルではないので、それにあわせてワインもカシェルでないものも多い。ここ数年で、テルアヴィヴでカシェルのレストランを見つけるほうが大変になってきた現状。世俗派では、友達どうして誰かの家での食事に集まるときなどでも、今ではワインを手土産に持っていくことも。

そんなこんなで、エルサレムではどうかというと、テルアヴィヴとはまたちょっとちがう。住民の30%が正統派ユダヤとあってまだまだ宗教色が濃く、あとはアラブが30%(基本的には彼らも飲まない)、世俗ユダヤが40%。その40%の世俗人口での飲酒はやはりビールが主流。最近ではアイリッシュ・パブが大流行で、ギネスなども飲めるようになった。時々、アメリカからの留学生たちが酔っていることがあるといっても、へべれけに酔った若い人、というのはあまりお目にかからない。ちなみに、正統派ユダヤでは遊びで飲酒するということもほとんどなし。彼らが飲むのは、祭りや安息日の祈りに使うワインぐらいで、でも安息日だからといって、たくさんワインを飲むわけでもなし。まあ、グラスに一杯か二杯ぐらいでしょうか。最近ではエルサレムでもカシェルでないワインを置いている店も出てきましたね。これもこの国の時代の流れというか。

なので、イスラエル、またはユダヤ人の飲酒の習慣と文化はどういうものかと考えたら、わたしのまわりの世代もしくはそれよりも年配世代では、世俗、宗教的にかかわらず、ユダヤの人が飲酒をするという文化はあまりないように思う。今の20代になるとロシア移民なども多く、これまでとはちがった飲酒文化なのかもしれませんが。

なぜユダヤに飲酒の文化がないかについては、やはりカシェルの問題などユダヤの伝統と歴史とにかかわりがあるのかなと。ディアスポラで散らばっていた長いあいだも、伝統的にはカシェルでないワインは飲まなかったでしょうし、コミュニティーで生きてきたユダヤの人たちが、ユダヤではないほかの人たちと交わってアルコールを飲むということもなかった。まあ、そんなところからではないでしょうか。
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by ck-photo | 2006-10-10 22:32 | 中東の食卓+α
ラマダンの街角
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ラマダンのエルサレムの旧市街
夕暮れが近づくにつれ
あちこちの角から食事の仕度がはじまる

フル豆の炊いたんから上がる湯気
肉を炭火で焼きはじめる角の出店
ひよこ豆の揚げ団子、ファラフェルを仕込む少年

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そのにおいにせかされるように
断食の終わりに向けて人々の動きが敏速になる

もう少しで今日もラマダンの旧市街の日が暮れる


(ラマダンのエルサレムの旧市街、アラブ・イスラーム地区)

P.S.ファラフェルを仕込む少年の手が、すーんっごく慣れていて、只者ではないくらいに素早かった。いつも手伝わされているのねーと感心するやら、学校行ってる?と疑問に思うやら。写真を撮った直後に、少年たちの背後のおっちゃんから「No Photo!」とNGを出されたので、ますます「学校に行ってるのか疑惑」が強くなった・・・。アラブ・イスラーム地区では、小学校高学年ぐらいの少年たちが、昼間、家業の手伝いをして働いているのをよく見かける。
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by ck-photo | 2006-10-09 06:34 | エルサレム・エルサレム
5767年の仮庵の祭り 
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今日の日没から仮庵の祭り(スコット)がはじまります。ユダヤ暦5767年、ティシュリ月の15日。日本では中秋の名月でしょうか。

ユダヤの新年から贖いの日までは重く厳粛ムードでしたが、長い夏の終わりを告げる楽しい仮庵の祭りへとユダヤの暦は移ろいます。雨を祈り、この世が仮の住処であることを確認し、神に感謝するお祭り。

一週間のあいだ、家のベランダや外の通りに建てられた仮の小屋(スカー)で食事をしたり、寝たりします。小屋の中には、イスラエルを代表するくだもの(ナツメヤシの実、ざくろなど)の飾り物や、七夕のようなきらきらした飾りをつけ、子供たちにはそれだけでもワクワク、待ちに待ったお祭り。街中のレストランやカフェも小屋を建て、エルサレムの街はお祭りムード一色。

祭りの前日まで、祭りの道具を売る特別の露天が正統派ユダヤの街メア・シェアリムに溢れます。道具はすべてカシェル(認定)でなければならないので、みな真剣に選びます。

こちら にメア・シェアリムの街の光景を載せておきました。興味のある方はどうぞ。
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by ck-photo | 2006-10-06 21:51 | ユダヤの暦