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真夜中の立ち話
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(東エルサレムにて)

クリスチャン&ムスリムなアラブ人の多い東エルサレムと旧市街。在エルサレム Yes No に関わらず、ユダヤ系イスラエリーに聞けば「おっかね〜!(お金じゃないよ。笑)とてもじゃないけど行けんぞ」という。ええ〜?そうかなあ〜。全然平気やけど。「それは君がユダヤ人らしい風貌じゃないからや」と、一瞬もっともらしい気もするが、観光客だってアタマのおかしいアラブ人に刺殺されることもあるのだから、あまり関係ないような気もする。運でしかない。同じイスラエル内でも、イスラエル人にとってですら、東エルサレムはもちろんやはり旧市街は特殊な街であり、そこの現実が掴めないらしい。

昨夜、ティシャベ・アヴの祈りに訪れるユダヤ人たちを撮影しに、アラブ人の門であるダマスカス門から旧市街へとアラブ市場を抜け、嘆きの壁の前に出た。アラブ地区の所々に、万が一のユダヤ人とアラブ人の衝突騒動のためにユダヤの警察官たちの姿あり。以前ならばこれだけ警察官が待機しているときは、恐れをなしたアラブ人たちの姿を路上で見ることはなかったが、ここ数年では彼らもおかまいなしにあちこちでたむろしている。中には情けないことにおちょくられているユダヤの警察官もいる。

ユダヤ人にとって聖なる神殿の崩壊を悲しむ日であるはずのティシャベ・アヴ、これもまた変わりつつある。以前は真剣に神殿の西の壁(嘆きの壁)の前で悲しみ、祈りを捧げている人たちが圧倒的だったが、ここ3年ほどで西の壁はアメリカ系ユダヤ人や、入植地に住む若いユダヤ人たちのイベント会場のようになってしまった。この晩にはエルサレム郊外の各入植地から西の壁行きのチャーターバスが出ることもあり、イモ洗い状態の西の壁の前で友達と連れ立って楽しそうにはしゃいでいる、または携帯電話中や記念撮影中のティーンエイジャーも多い。その波の合間にぽつん、ぽつん、と悲しげに床に座っている人たちの姿を垣間見る。

何千年も昔に起きた神殿の崩壊を、これだけの時を超えて実感し悲しむことはほとんど不可能に近いような気もするが、それでもこうしてその日を忘れまいとする精神はすごい。が、おそらく、もうティシャベ・アヴを求めてかつての神殿の名残に出かけることはないと思った。
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by ck-photo | 2007-07-24 22:04 | エルサレム・エルサレム
水タバコとお茶でもしばこっか
バタバタと仕事が続き、
めずらしく来週とさ来週もいっぱいいっぱい。
ちゃんと書きたいんだけどねー、ブログ。
が、すでにバテバテ、
帰宅と同時にバタンQ。
なので、仕事が一段落するまで
お茶と水タバコでもどーぞ。

コメントのお返事、遅れててすんません。

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エルサレム旧市街の水タバコ屋にて。

ちなみにどうしてこの冷蔵庫もない店で出される水が、まるで氷水のように冷たい!のかというと、(おそらく)自宅で凍らして来た氷入の大きなペットボトル。そこにエルサレムのまずい水道水をジャー。あっという間に氷とボトルの隙間に冷たい氷水の出来上がり。今時こんなんあり?と思いつつ、「はい、どーぞ!」。これが砂漠の街では、こ洒落たカフェのお冷やよりもずっとうれしくなるから不思議。
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by ck-photo | 2007-06-01 07:46 | 中東の職人技
美味しいアラブコーヒーの淹れ方

旧市街の路上で発見したアラブコーヒーの出店で、おっちゃんの淹れるコーヒーを観察。
これまでなんとなくわかっていたようないなかったようなで、なーるほどー。

お茶の時間です。

1)アラブコーヒー用の小さななべで湯を沸かす。
2)沸騰したところでなべを火から下ろして、
カルダモン入りのコーヒーの粉をスプーン3杯ほど入れる。
すると、瞬時に粉はぷくぷくと膨らんでくる。
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3)もう一度なべを火にかけ、細かな泡が膨らんできたら、
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ふわ~っ!と吹き零れる寸前にサッと火から下ろしてそのままカップにそそぐ。
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カップの底にコーヒーの粉が沈むのを待っているあいだ、
ああ~、カルダモンとコーヒーのいいにおいです。
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このアラブコーヒーですが、イスラエル以外の国ではトルココーヒーと呼ばれているのが一般的。エルサレムではアラブコーヒーと呼ばれるそのワケには、かつてエルサレムはオスマントルコ帝国の支配下だった歴史があり、エルサレムのアラブ人には忘れがたき屈辱の過去。なので決して支配者側だったトルコのコーヒーとは言わず、こちらがオリジナル、アラブコーヒーだと言うわけですな。

ちなみに、アラブ人の誰に聞いてもこれといった理由はわからないのですが、アラブ男性の淹れる紅茶とコーヒーの味のおいしいことったら。他の人が同じように同じレシピで淹れても、彼らのような味が出ない。たかだか沸かしたお湯に粉やお茶っ葉を入れるだけ、なのですが、ぜんっぜんちがう・・・。まったりと官能的。

そしてお茶請けは最近すっかりハマッてしまったチョコレートワッフル、というかウェハースね。エルサレムで上品な美味しいお菓子を求めると奈落の底に突き落とされるので、駄菓子だと思えばそれなりにサクサク美味しかったりする。チョコレートとヘーゼルナッツのクリームを挟んだワッフルなども癖になる味。
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それにしても、せめてパッケージぐらいはもう少し美味しそうにしてくれてもいいような・・・。


《いきなり白い画面に変えてビックリ?(笑)・・・いえね、ここしばらくPCとにらめっこの日々で、目に負担がかかりすぎ。このブログの黒い画面に白文字を見るたびに目がパッキンパッキン、チカチカ☆するのでしばらくはこれで。》

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by ck-photo | 2007-02-07 00:36 | 中東の食卓+α
エルサレムのサラディンの兵士墓地とプラハのユダヤ墓地
e0009669_7232150.jpgエルサレムの新市街の真ん中には、古いムスリムの墓地、マミラ墓地があります。

今となっては「なぜこんなところに墓地が?」と、墓地にするには不似合いな場所ですが、墓地ができた12~13世紀ごろでは、ここは旧市街の外で人も住まない荒野だったのでしょう。映画「キングダム オブ ヘブン」でも登場する、十字軍の手中だったエルサレムを奪還しようと戦ったムスリムリーダー、サラディンの兵士がここに埋葬されているといわれています。

現在の墓地公園はこんな感じですが、向こうに見える塔はエルサレムのYMCA。このビルはニューヨークのエンパイアーステイトビルディングと同じ建築家の作品で、そういわれて正面から見てみればなんとなく共通点があるようなかんじがします。

e0009669_720870.jpg墓地公園内にある一番大きな墓。これも聖廟というのでしょうか?現在は入り口がふさがれていますが、中に墓があります。何かアラブ語で書かれていますが、読めないので誰の墓なのか不明。

中は暗いので覗いてもほとんど見えませんが、そういうところを覗くのは度胸がいりますね。変なものが写ったらコワイし、あるものまで写ってなくてもコワイし。とか言いつつもちゃっかり覗いてますが・・・。正統派ゆだやのおじさんが「こんなところでなにしとんねん?」と、不思議そうに通りすぎました。 (聖廟内(?)の様子は撮影後にはじめて知った)
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古いムスリムの墓。形やレリーフがおもしろい。残念ながらアラブ語なので、何が書かれているのかは不明。

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左の墓はその形からも、上の写真の墓よりも新しいものでしょうか。右は東ヨーロッパの特定の町にしかないユダヤの墓石と同じ形のもの。こちらの墓のほうが古いので、これをまねたものかも?と思うも、この形はエルサレムのムスリム墓地でもあまり見ないように思う。


さて、ムスリムの墓もさることながら、世界中にユダヤの墓地がありますが、中でも有名なのはプラハのユダヤ墓地。この旧ユダヤ墓地は、プラハでも人気の観光地のひとつですが、ヨーロッパに存在するユダヤ人墓地では最古のものだそう。1439年から1787年までの348年の間に10万人のユダヤ人が埋葬され、ある一定の時間が過ぎるとその上にまた新しい墓を作ったので埋葬層は12層。さらに、その狭い墓地内にある墓石数は1万2千と、上にも下にも横に斜めにと、通勤ラッシュの電車内のようですね。

この旧ユダヤ墓地には、有名なユダヤの人たちも埋葬されていますが、この墓地で最も有名な墓は、ユダヤ教神秘主義のカバラを学んでいたラビ・ユダ・ロウ(Judah Loew 1525 - 1609)。彼はユダヤ版フランケン・シュタインを作り出したとされ、伝説的人物とされました。そしてもう一人は1439年に亡くなったラビ・アヴィグドール・カラ(Avigdor Kara)。彼は1389年に起こったプラグでのポグロム(集団でユダヤ人に対して行う暴行、破壊、虐殺のこと)を生きのびた数少ない一人でした。このポグロムは、「ユダヤ人はキリスト教の儀式に使う聖体を盗み、黒魔術をかけている」といううわさを信じた住民たちによって行われ、当時プラハに住んでいたユダヤ人3000人のほとんどが亡くなりました。こういったポグロムはヨーロッパの各地で行われていました。

このプラハの旧ユダヤ墓地がヨーロッパ最古のユダヤ墓地となった理由は、第二次大戦でドイツ軍に破壊されなかったため。と、とてもかんたんな理由ですが、ヒトラーはユダヤ人撲滅後にプラハにユダヤ博物館の建設を計画していたので、この旧ユダヤ墓地を残すことにしたといわれています。

プラハの旧ユダヤ人街を見てみると、墓地だけではなく数件のコーシャーレストラン、9軒のシナゴーグなど、現在もユダヤの人々が住んでいるのが伺えますね。ピンク色の旧市役所の時計も、よく見るとヘブライ語文字の時計。ちなみにプラハの有名なユダヤ人といえば、フランツ・カフカですが、でもカフカが亡くなったのは1942年。この墓地が閉鎖されてからのちのことなので、彼のお墓はここではないですね。


(このプラハの墓地については旧ブログのほうでも取り上げたので、読まれた方もいらっしゃるかと思いますが、あちらのブログで書いたものも少しずつこちらに移行していきますので。)
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by ck-photo | 2006-10-19 07:52 | ユダヤ雑学
ラマダンの街角
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ラマダンのエルサレムの旧市街
夕暮れが近づくにつれ
あちこちの角から食事の仕度がはじまる

フル豆の炊いたんから上がる湯気
肉を炭火で焼きはじめる角の出店
ひよこ豆の揚げ団子、ファラフェルを仕込む少年

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そのにおいにせかされるように
断食の終わりに向けて人々の動きが敏速になる

もう少しで今日もラマダンの旧市街の日が暮れる


(ラマダンのエルサレムの旧市街、アラブ・イスラーム地区)

P.S.ファラフェルを仕込む少年の手が、すーんっごく慣れていて、只者ではないくらいに素早かった。いつも手伝わされているのねーと感心するやら、学校行ってる?と疑問に思うやら。写真を撮った直後に、少年たちの背後のおっちゃんから「No Photo!」とNGを出されたので、ますます「学校に行ってるのか疑惑」が強くなった・・・。アラブ・イスラーム地区では、小学校高学年ぐらいの少年たちが、昼間、家業の手伝いをして働いているのをよく見かける。
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by ck-photo | 2006-10-09 06:34 | エルサレム・エルサレム
立ち話。 おんな、女、オンナ、
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@the old city, jerusalem
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by ck-photo | 2005-07-22 07:12 | 混沌の文化
ちょっと 一服  take a break for the real one
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@the old city, jerusalem

ちょっとここらで、いっぷく。
ほんまもんでも吸おかな。
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by ck-photo | 2005-07-14 08:17 | 混沌の文化
ほんとう に 空飛べる? Can you fly?
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@old city, jerusalem
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by ck-photo | 2005-07-14 07:22 | 混沌の文化
happy shopping!  どれ に する?
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@the old city, jerusalem
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by ck-photo | 2005-07-08 17:00 | 混沌の文化
アラブな東エルサレム
さて、去年の「2004年 あんたがイスラエル一の大貧乏!」大会で優勝したエルサレム市ですが、これを書いた時点ではまだ多くの方が「イスラエルではアラブの町や村が一番貧しいはず」と思われていたようでした。

日本やその他の国では、イスラエルについて限られたメディアから入る情報に頼るしかないので、ごもっともな誤解ですね、はい。さらに、一昨年の輝かしき貧乏ナンバー1の街も、アラブの街ではなく正統派ユダヤ・オンリーの街、べネイ・ブラクでした。

では東エルサレムのアラブの街は一体どういう感じなのかというと、アラブ・クリスチャンの住人、アラブ・ムスリムの住人の街で、エルサレムのユダヤの新市外とはまったく異なる文化圏。
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多くの女性はスカーフにコート、男性も赤や黒のチェックのケフィヤをかぶっている人が多い。言語に至っては、イスラエル国内のユダヤの街の共通語であるヘブライ語はほとんど聞こえず、アラブ語オンリー。タクシーやミニバスもアラブ語表記でヘブライ語はなし、ナンバープレートの色も異なり、路線はアラブの区々を結んでいる。そして物価もユダヤの街に比べるとかなり低いが、生活基準がかなり低いのかと言われるとよくわからない。店先を見る限りでは、最新の電化製品も多く、ベネイ・ブラクなどのような貧困な雰囲気は伝わってこない。

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写真は東エルサレムの電器屋。もちろんユダヤ人の客は一人もいないし、ユダヤの街ではあまり見られないクリスマスツリーが飾ってある。

アラファッちゃんとアバス氏のポスター。これもまたユダヤの街では絶対に見ることのできないモノのひとつ。
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こうやって見ると同じひとつの街でありながらまったく異なった世界が作り出され、お互いが混ざり合うことは少ない。というか、東エルサレムから西エルサレムのユダヤの新市外へはアラブの住人たちはごく普通にやって来るが、その反対はほとんどあり得ないのが現状なり。

ま、このあたりもまたいずれくわしく書けたらいいなあと。
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by ck-photo | 2005-01-06 05:12 | 混沌の文化