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本日、ヨム・キプールのエルサレム
バルコニーへ出るとチキンスープのいい香りがあちこちから漂って来る今日のエルサレム。猛暑になることの多いヨム・キプールにしては珍しく、空は穏やか、風はさわやか。

ただいま午後の3時。
国営放送だけはヨム・キプールの特別番組を流しますが、
その他のラジオもテレビの放送もすべて終わりました。

こちらは嘆きの壁からの24時間実況中継です。

Have an easy fast!
And Hatima Tova!
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by ck-photo | 2004-09-24 04:16 | エルサレム・エルサレム
タクシー
さて、バスが爆発しても銃撃戦があっても、ここにはここの日常があるわけで。

今日は新しい仕事のミーティングがあったので、午後からエルサレムの町の端っこの死海へ行く道に建つ、エルサレムのなんちゃってシリコンバレー、テクノロジー・パークへ行ってきました。

うちを出てから「さてっと、バスで行こっかなー」なんていつものようにお気軽に思ってたんですけどね、齢30半ばにしてエルサレムでコッパミジン・・・・・、ってな死に方もきっと親には文句ぶつぶつ言われるだけで、お葬式もろくろく出してもらえそうにもないだろうから、結局タクシーで行くことにしたんですね。

炎天下の道にしばらく立っていると、ガーッ、とタクシーが一台向こうからやってくるのが見えたので、さっと手を挙げると止まったまではいいのです。でもよく見ると、後部席にはお客さん一人、ちゃんと乗ってますよ。

ビーッと窓が開いて、運転席から運ちゃんが言いました。

「どこまで行くねん?」
「テクノロジー・パーク」
「よっしゃ、乗りーや!」

と思いっきり手招き。ほんじゃまあ、と失礼して、タクシーに乗り込んで、あ、助手席にです、

「で、テクノロジー・パークまでほんまに行ってくれるん?」

と乗ってから思いっきりノンキなことを聞くと

「あ~、後の客?すぐそこで降りるし、そのあとで。」

え~!すぐそこってどこよ?急いでるんだけどなあ・・・。

でもこのお客さん、ほんとにすぐそこで降りてくれたのでホット一息、タクシーは一路目的地へと。このあたりの無駄のなさ、とってもイスラエル。

「ほな、20シェケルでええか?」

と運転手。もちろんメーターなんて使うと後で税金で引かれるでしょ。だから、そんなものは頼まなければ使わないんですよね。頼んでも「壊れてる」とかミエミエのうそ言うこと多々あり、結果ケンカすることも多々あり。で、今日のは、まあ大体メーターでもそれくらいの距離だって知ってたので「OK!」と言うと、運ちゃんすっかり調子に乗っちゃって

「あ、やっぱり30シェケルはどう?」
「んじゃ、やっぱり15シェケルね。」
「ああああー、それはないわ!」

どっちがですか。

と、こういったタクシーの運ちゃんとの会話はいつものこと。バスが吹き飛ぼうがなんだろうがどこかいつもユーモアがあって、でもどこか抜けていて。これもまたエルサレム。
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by ck-photo | 2004-09-03 10:00 | エルサレム・エルサレム
イスラエル史上初のオリンピック金メダル!
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イスラエルが建国されてから50ン年。

これまでにオリンピックで得た金メダルの数はなんと、

ゼロ。

だったのですが、

アテネ五輪ヨット男子ミストラル級で28歳のガル・フリードマン選手が25日にイスラエル史上初の金メダル獲得!ちなみに「ガル」とはヘブライ語で「波」。彼にピッタリの名前。そしてテレビでは「国民的英雄の誕生の瞬間なり!」といわんばかりに、その瞬間とアテネの空にイスラエル国家が流れて旗がひるがえり、大歓声が沸きあがった様子をくり返しくり返し放送。

ここ数年、インティファーダだの何だのと、明るいニュースのないイスラエルでは久しぶりのさわやかニュースでした。
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by ck-photo | 2004-08-29 22:25 | 混沌の文化
スカッド・ミサイル・パニック
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2年前にイラク戦争がはじまった頃、春先でしたが、湾岸戦争の時にもそうだったようにアメリカがイラクを攻撃すれば、イラクはイスラエルにスカッド・ミサイルと落とすだろうとパニックになりました。エルサレムでは、写真の左の男性の肩から掛かっている箱(ガスマスク)をどこに行くにも携帯している姿がよく見られました。 

そして、アラブの自爆攻撃やその他の攻撃に備えて、右の男性のようにカジュアルな服装にいとも日常品の一部であるかのように、マシンガンや銃を抱えて歩く若者の姿も街のあちこちに見られた光景です。 

このスカッド・ミサイルのパニックで、実は数人のイスラエルの方が亡くなっています。それというのも、ミサイル攻撃に恐れて窓から何から締め切った家の中で、ガスマスクをしたままバーベキューをしていたイスラエル国籍のアラブ人の一家が、室内換気ができずにガス中毒になって亡くなってしまいました。笑えるような笑えないような話です。
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by ck-photo | 2004-08-23 22:07 | エルサレム・エルサレム
夢のあと
2000年9月28日に始まったインティファーダ、それからのイスラエルについて。

はっきり言ってこの「インティファーダ」という言葉。これはなにがどういう意味でこういう言葉なのか、イスラエル在7年にして、いまだにピンと来ない。

2000年、あの年は建国以来でも、きっとイスラエルが一番油の乗っていた年だったように思う。それまでイスラエルではダイヤモンド産業が一番で、そこにハイテク産業が急成長し始めたのが2000年。たくさんのハイテク・スタートアップ企業があちこちに見られ、テルアビブにはシリコンバレーならぬテルアビブバレーが登場。当然エルサレムもそれに負けまいと2つもの巨大なハイテク・パークを建設し、パーク内の企業で働くのがアメリカ移民のステータスのようだった。そして、日本人のIT職関係者の少ないこの街では、わたしはまさに引っ張りダコ。そうして街も潤い出し、少々リッチな気分になった市民たちが、ビーチに死海にエイラットにあふれ、キラキラと輝いたイスラエルの黄金時代の到来。

しかしそれもつかの間。このわけのわからない、どう使っていいのかさえも困ってしまうような言葉、「インティファーダ」とやらが始まって、見る見るうちにあちこちで爆弾を抱えた人達が何100人という他人をも巻き込んでの自爆が続く。そして、恐怖におののいた市民は家に引きこもり、激減した観光客のために店じまいと余儀なくされた数々の商店やレストラン。街中にはなんとも言いがたい、重苦しく泣き声の響くような空気に包まれた。そして、追い討ちを掛けるように、ハイテク産業の没落。まさにイスラエルはその頂点からマッサカサマに転げ落ちていった。

そして現在2004年。状況はといえば、経済はあいかわらずボロボロで、ハイテク・パークはゴースト・タウン。夢と希望を抱えて移住してきた若いアメリカ移民たちの多くは経済的にも精神的にも疲れ、無念ながらも本国アメリカにUターン。でも帰る国のある彼らは良いよ。イスラエルの人はここに留まるしかない。

そして、大きなデパートやカフェの入り口には金属探知機を持ったエチオピア移民のボディーガード。細くて優しそうな彼らには爆弾を何キロも抱えた人を止められるとは思えないが、「ボディーガード」がいるというほんの気休め、という事かな。

これが現状。でもすっかりそれにも慣れて、それが当たり前のような、もしかしてこれも平和なのかと思わせる風景になりつつある。
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by ck-photo | 2004-06-22 03:08 | エルサレム・エルサレム