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今日は更新しないつもりだったんだけど(笑)。 カウントダウン 21/31
一昨日から写真のアーカイブを2003年あたりからずっとにらめっこしているのだが、一枚一枚、ああ、そういえば、ああ、そうだった、あー・・・、いろんな事件やストーリーを思い出した。

いったいいくらあるのかわからない枚数の写真も、これでいいのか?というものが多い。なにかをしようと思ったら最低20年だね・・・、なんて思ったら、わたしはやり残したこと以外にいったいなにをしてきたのかと、どれも中途半端でなにひとつ納得していない。人って、ホント、おかしな生き物だね。自分はどうしたいのか、なにをしたいのか、なにを言いたいのか、そこから先どうしたいのか、しばらくちゃんと考える必要あり。

2006年7月25日。いとこの誕生日のイチニチ後。
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そうだった。

神殿の西の壁の前に、何万という人が祈った日だったっけ。ガザ撤退の行く末を、それぞれがそれぞれの想いで壁の前にいた。
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この伸ばした手は、どこに、誰に、なにを叫んでいたのだろう。
祈り。
そのパワーに、
自分がなにかに祈り続けてきたからなのか、そうではないからなのか、
あの日のことを思い出し、なぜだか目頭が熱くなった。
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つまりは、結局なんだかんだ言いながら、この約十年のエルサレム時代は、この国の政治的にも個人的にもけっこうおもしろい時代だったんじゃないかと思った。やっぱり人っておかしな生き物だ。一つのオワリにあたり、見えてくるいろいろなこと。

さーっ、
ヨナカ、じゃないか、明け方か、にいつまでもひとりでこんなことをしていては、精神衛生上よろしくありませんな。といっても、いろんな理由でこれも今やらなきゃいけないことのひとつだから、コツコツやってますが。

コメントの返事はもちっと待っててね。
さ、そろそろ寝よっと。
明日もよい天気になるといいね、エルサレム。


ちょいと私信:寧夢さんへ(読まれていたらですが。笑)。
そう、一生、I will learn ですよ。


追記:今週の「金曜の市場」はお休みです。
なぜならば、昨日の夕方に行っちゃったから。(笑)
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by ck-photo | 2008-01-25 11:36 | 戦争と平和
そこに壁はあった
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壁の向こうはパレスチナ自治区。
こちら側はイスラエル。
エルサレムのオワリ。
空の彼方にそびえるはヨルダンの山脈。
なるほどねえ。
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by ck-photo | 2008-01-16 08:25 | 中東の職人技
ひとつの歴史的瞬間だったんだよねえ
2005年にイスラエルがガザ撤退した時だった。

ガザに住んでいたユダヤ人たちは自国の軍隊に追い出され、今でも住居もなく職もなく、いわゆる難民化して流浪している人たちがいる。あの時、よほどガザまで行ってみようかと思ったものの、テレビに映し出される泣きながら抵抗するユダヤの人々の姿に、その答えは明白だった。そういう姿に向けるカメラは私にはないなと。

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(「praying」Aug.2005 The Western Wall, Jerusalem )

そのガザ撤退の前に昔のユダヤ神殿の西の壁(嘆きの壁)で行われた、撤退を阻止する祈りの集会でのワンシーン。壁の前は祈る人々で埋め尽くされていたあの日の夕暮れ。著書「ロスト・ラゲッジ」の表紙のイラスト(ブログ右下)は実はこれがオリジナルなのですが、今考えればわざわざイラスト化するのであれば写真のままでもよかったんじゃないかと。ま、今更ですが。

今でも好きな一枚ではあるものの、でもやっぱり二年の月日は大きいモノで、いろいろとアマいね・・・。なーんって言えるほど進歩したのかは別問題ですが。わははっ。
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by ck-photo | 2007-08-08 08:15 | エルサレム・エルサレム
ゲットーってなに?パレスチナはゲットーか?
先日、バール・イラン大学で比較宗教学の博士号を取っている韓国人留学生に車でエルサレムまで送ってもらったときのこと。

e0009669_6363998.jpg高速バスのルートとはちがう国道443を通って、テルアヴィヴ方向からエルサレムへ向かった。この路の近辺では、旧約のヨシュアの話やマカビーの戦いなどのユダヤ史がおもしろい。また途中でパレスチナ自治区のウェストバンク(ヨルダン川西岸地区)を一瞬横切るので、アラブの町や村のモスクの塔や沙漠の丘など、平和なときには「ああ、中東だなあ」と、旅の途中ような風景が続いている。(国道443の写真は他から借用)

ウェストバンクを横切りながら、はじめはそのグラフィックの描かれた壁は高速にありがちな防音壁かと思ったが、どうやらそうではないらしい。壁の後ろには有刺鉄線。在イスラエル8年になるその韓国人留学生が言った。

「こうしてパレスチナ人を有刺鉄線の向こうに閉じ込め、ゲットー*(収容所)にするなんて、ひどい話だよ。ホロコーストでナチがユダヤ人に行ったのと同じことをイスラエルはパレスチナにしているんだ。自分たちがそうされたからって」

パレスチナとイスラエルを分離する壁ができ始めてから、メディアやピース団体のデモなどで使われるアホなコメント代表だ。決して彼はアホではないが。

どんなお偉いさんが言おうとも、このゲットー論はめちゃくちゃである。まず、ゲットーを持ち出すのであれば、第二次大戦時のナチが作ったゲットーが一体何たるものだったかを知っていなければ話にならない。当時のナチによるゲットーは、ユダヤ人、ジプシー、外国人、そしてキリスト教の聖職者、同性愛者、など彼らの目指す社会に不適切だと見なされた人々を排除し「殺す」ために作られたものである。

e0009669_8425392.jpg仮にイスラエル側がパレスチナとの境界に有刺鉄線を置いたとすれば、それはこじれた状況の中でイスラエル側の身の安全(テロリストの侵入防止)、つまり自己防衛であって、ナチの作った「排除した者を隔離し殺すため」のゲットーとはまったく異なる。いわんやその反対の理由である。この443での有刺鉄線と壁の理由は、2001年などインティファーダ当時において、パレスチナのスナイパー(狙撃手=この場合はテロリスト)に一般ユダヤ人の通行車が狙われ死傷者が数多く出たことにある。最近でもちょうど一年前に、イスラエル国籍アラブ人が同じように彼らに狙い撃ちされ死亡している。

こういう状況で、この有刺鉄線の向こう側がパレスチナ人たちを抹殺するための居住区ということになるのだろうか。エルサレム周辺にも壁はあるが、その向こう側がそういった『ゲットー』だとは思わない。

そして、そもそもパレスチナとイスラエル間には他の国同様に国境を引くべきなのだから、そこにあるものが普通の鉄線でも少々物々しいが有刺鉄線でもいいのではないか。

と、仕事で疲れている帰路、わざわざさらに疲れそうな話には首を突っ込みたくなかったので、「ヘー」とか「あ、そう?」とか適当に返事をして、夕暮れのエルサレムに着いた。


*ゲットーについて(葉っぱの坑夫にも載せてありますが、少々書き直ししたものです)

■ゲットーとは

1:ゲットーの語源は13世紀のベニスが発祥のイタリア語で、石切り場の大きな穴という意味。のちにローマ教会がキリスト教徒とユダヤ人を区別するため、ユダヤ人を集めて住まわした地区がゲットーと呼ばれ、中世ヨーロッパにおけるユダヤ人居住地という意味でゲットーが用いられる。都市によっては壁に囲まれたゲットーもあった。

2:第二次世界大戦時においてドイツ軍によって強制的に集められたユダヤ人が、どの収容所に輸送されるかが決まるまでの借りの居住区のことをゲットーと呼んだ。有名なものでは1943年にドイツ軍によって破壊されたポーランドのワルシャワゲットーがある。ワルシャワゲットーは中世にユダヤ人の居住地だったが、その後ユダヤ人はゲットー以外に住むことを許された。そして第二次世界大戦時のドイツ軍によって再びユダヤ人を集めた居住地区となった。

3:日本語でのおもに使われる第二次世界大戦時のドイツ軍によるユダヤ人強制(または絶滅)収容所という意味のゲットー。英語ではおもにConsentration Camp(コンセントレーション キャンプ)という。


■Consentration Campとは

強制収容所と絶滅(または撲滅)収容所の二つに分かれる。

1:強制収容所は囚人を収容し、死に至るまで労働させることを目的とした。ドイツで最初に設置されたのはミュンヘン近郊のダッハウ強制収容所で、ダッハウ強制収容所は終戦近くになりガス室を設けられたが、一度として使われる事なく終戦を迎えた。

強制収容所での収容者はおもに政治犯、犯罪者、キリスト教神父、などヒトラーのイデオロギーとは異なった、社会に影響を与えそうな人達が収容されていた。ここに送られたユダヤ人たちは収容所で必要とされていた職業を持つ者、たとえば医者、針子、鍛冶、など何らかの手に職があった人達だったが、ドイツ軍における最終目的は彼らを抹殺することだった。

2:絶滅収容所ははじめから抹殺を目的とした機能の収容所で、ほとんどの絶滅収容所はヨーロッパ内で最も反ユダヤ主義の強かったポーランド国内に設置された。その中でも最も大規模で有名なのはアウシュヴィッツ絶滅収容所である。絶滅収容所での収容者は、主にドイツ人の純血を乱すと見なされた人種であるジプシー、精神病者、同性愛者、外国人、ユダヤ人、そして労働不可者(病人、子供、老人)など。
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by ck-photo | 2007-06-18 06:47 | 戦争と平和
よっ、大統領!とめちゃくちゃ自治区。
パレスチナ自治政府設立して3ヶ月。思っていた通り、すでにあっけなくも崩壊しましたね。穏健派と呼ばれているアッバス議長のファタハ派とそれに反発しているハマスとの対立が激化し、ここしばらくは双方に死傷者が出ていますが、一昨年の8月にイスラエルが撤退したガザ地区はハマスが武力制圧し、略奪やらなんやらで、住民の中にはエジプトなどへの亡命希望やイスラエル側を通って西岸地区へ逃げ出すなどなど。ファタハ派ですら、ヒトゴロシ軍団のハマス(殺戮のけっこう恐ろしい映像とか記事ともあるんですが、載せるのは遠慮しておきます)とは対話しないと言っているので、彼らの場合は対イスラエルだけではなく身内同士ですらこんなものなんですよ。さて、これで少々日本や欧米社会が目を覚ませばよいのですが、この先あそこはどうなるのやら。イスラエルはガザ地区などの市民への物資支援の道は閉ざさないと言っておりますが。ちなみにこれは自治区内での戦乱なので、イスラエルで普通に生活している分にはほとんど遠い世界のお話。道を歩いていて巻き添えを食うなんてことはないのでご心配なく。

そうして、もうひとつ。イスラエルには政治を司る首相の他に大統領職もありますが、特に政治的な権限はなしなので、わたし的にはいてもいなくてもええんではとその程度のポジション。で、前大統領ですが、仮にも一国の大統領なのにも関わらずなんとレイプ疑惑で失脚し(*南米のイスラエル大使がSM行為で素っ裸になっていたところを発見されて失脚したのも耳に新しいイスラエル。らしいと言えばそれまでですが・・・)、先週、イスラエル現大統領は、なぜかしら未だに現役のシモン・ペレスに決定。仕事場で「今度の大統領はペレスだってよ!」と聞いて、がくーっと来たのですが、前大統領のように誰かをレイプなんてそんな気合いの入った大それたこともできそうにないお方ですので、ああ、そりゃまたどうもってな感じで。ペレスは過去に代理首相(正規の選挙ではまず無理ですから)のようなこととか、著名人を集めてのお誕生会中継とか、自国を危うく潰しかかるとか、第一線(または一流)の政治家とは言いがたいような非常にしょうもないことばっかりしているので、ナーンかこう、いてもいなくてもいいというか、今回も他に誰もいないし、やらせろってうるさいからってな感じでしょうかね。まあ、もういい加減年だしね、引退したらどうよ?と思うのはわたしだけなんでしょうかねえ。
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お二方とも、もうちょっとご飯を食べるのが上手になってくれるといいなあ・・・。
ご飯粒つけまくり。←鶏の茹でたの
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by ck-photo | 2007-06-17 10:24 | 混沌の文化
いろいろ。
くったくたの2週間の終わり。
はーっ、疲れたよ。

エルサレムはすっかり気温が真冬から初夏へと、またしても急激な変化。
週末は暖かいそうですが、その後また急降下したりして。
もうすぐ出エジプト記にちなんだ過ぎ越しの祭り(ペサハ)がやってきます。
エルサレムでは祭りのためにみんな家の大掃除に大忙し。
(またこのあたりのことは改めて)

で、お祭りとはまったく関係ない話ですが、
寝不足でお昼寝をしていた数日前のこと。
午後2時過ぎだったかな?

ウーウーウーウーウー!!

空襲警報のようなサイレンが数分間エルサレムの空の下、
けたたましく鳴り響いて、なんやろ~?っと目が覚めた。
んー?安息日に鳴らすサイレンの故障?
救急車とパトカーがいっせいになんかやってる?
長い間昏睡のシャロン元首相が亡くなったとか?
テレビをつけ、ネットでJ-postやらハアレッツをチェックするも、何もニュースになってない。

その翌日になって知った。
空襲があったときの予行練習のようなものだったらしく、
イスラエル国中にサイレンが鳴り響いていたらしい。
北部の町などで、君はけが人、ぼくは救急隊員、それじゃ、レッツゴー、だったそう。
なんだ、戦争時の練習やったんや。
小学校の時にやった火災訓練みたいなもんやね(ちょっとちゃうか・・・)。
まあ、これも、平和だからのほほーんっとやってられるわけで。
今は至って平和な春のような気がしないでもないのですが。

仕事帰りにマハネ・イェフダ市場の地元食堂で久しぶりにえらくエルサレムチックな
チキンのミックスグリルの夕食。
いったいいつからある食堂なのか、壁には昔っからの有名人の写真がずらり。
なかなか中東らしい味のある店。
が、くったくただったのと、仕事帰りだったのでカメラは残念ながら不携帯。
ごめんよー。また次回にでも。

忙しかったので、当然写真も撮っている暇がなかった。
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先月、旧市街のアラブ市場(観光客がお目当ての場所)を通り過ぎに
立ち止まらず狙いを定めないで撮った一枚なので、やっぱりピンボケ。
このアラブお土産市場にはこういった石をよく売っているのだけど、
小さくてキレイデショ?
でもね、観光客さん、ご注意くださいませよ。
ほとんどが、ニセモノデスノデ。
こういう石は人工的に色をつけてあるものがほとんどで、ネックレスでもキケン。
しかも70ドルとか、とーんっでもない値段を吹っかけてきます。
ま、払っても30シェケル(7ドルぐらい)でしょう。
旧市街のアラブ市場でおみやげ物を買うときは、ものにもよりますが、
言われた値段の5~10分の1ぐらいが妥当。
ああ、住みにくい世の中だなあ~。

って、ぼったくりは昔からどこでもあるか・・・。
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by ck-photo | 2007-03-23 05:56 | エルサレム・エルサレム
プリム 兵士 ヒッチハイク
月曜日のエルサレムは
旧約聖書のエステル記にちなんだプリムの祭りで、
仮装した人たちでいっぱいでした。
運悪く、わたしはテルアヴィヴの近くで仕事だったので、
今年のプリムの写真はなし。

プリムの祭りはユダヤの祭りまたは行事では珍しく
ユダヤの暦の中でもこの日だけは「酔っ払う」ことが前提。

シナゴーグではエステル記の朗読があり、
悪代官ハマンの名が読み上げられる度に
カタカタと音のなるおもちゃでブーイングを鳴らす。



テル・アヴィヴ近くでの仕事の帰り、
高速のそば、何もない荒野の真ん中のような
ツォメット・メスビムのバス停には
いろいろな方向への長距離バスが停まり、
どこからともなくたくさんの人が集まってくる。
近くには軍の基地もあり、
自宅からの通いの兵士の姿も多い。

この日はプリムとあって、
エルサレムへ出かける人も多いらしく
北部から来たエルサレム行きのバスは満員通過。
シェウルート(ミニバス)もやって来ない。
おかげで一時間も待ちぼうけを食らった。

待ちぼうけ軍団の中には
痺れを切らせてヒッチハイクを試みる人も多く、
でもイスラエル社会も変わってきたんだなあ。

昔は結構みんな停まってくれたのに、
現在はほとんど停まらない。
私も昔はよくヒッチハイクしたけれど、
今はもう危ないなあ。
しないなあ、できないなあ。

ひとり、エルサレムに向かう兵士君がヒッチを試みていた。
彼も一緒なら大丈夫かも?と、
いやいや、待てよ。
ヒッチしている兵士はアラビー(アラブの人)たちの
ターゲットになりやすい。
乗せてあげて、誘拐してどこかでお命頂戴いたします、
ってこともよく聞く話。
うかつに兵士君と同乗したがゆえに巻き込まれないとも限らない。

兵士君はご機嫌に口笛なんぞ吹いている。
その埃まみれのカーキー色の後姿を見ながら、
ん、そっか・・・・。

すっかり小麦色になった肌に
青い目のロシア移民の若者も
笑顔がまぶしいエチオピア移民の若者も、
まるで河原町あたりで
携帯でメッセージを打ちながら
バスを待っている大学生たちと変わらない。

だけど、
軍隊リュックに書かれた名前。
肩から提げた黒い重そうなマシンガン。

そう、
戦争が始まれば、
いざこざが起これば、
すぐにこの子達は
国を守るために身を守るためにこの銃を取り
ひとつ間違えばそこで命を終える。
リュックに大きく書かれた名前は
身元確認に役立つわけだ。

そんなこととは関係ないように
口笛を吹いているのも
ひょっとすれば
明日には命を終えているかもしれないことも、
どちらも現実なんだなあ。

そんなことを思っていると
ようやくエルサレム行きのバスが来た。
バスはすでに満員だったが
また次のバスまで30分ほども待つなんてまっぴら御免。
運転手横、入り口の階段に子供みたいに座る。

運転手「あれ?奥にもう空席ないの?」
わたし「ないよ」
運転手「あっそ。」

バスが高速に乗り、
ビュンビュン景色が流れる。
ひょとしたらここは特等席かも?
でもえらく事故の多いイスラエルの高速。
もしこのバスが事故ったら「ぷちっ!」
わたし、誰よりも先につぶれたトマトになるな。
どうかエルサレムまで無事に帰れますように。

プリムでエルサレムの入り口は大渋滞。
おいしいホムスで有名なアラビーのアブゴッシュの町から
普段なら10分のところを40分ノロノロ。
さすがに階段に座ったままではおしりが痛い・・・。

そうしてようやく着いたエルサレム。
バスを降りた瞬間に鼻がムズムズッ!
花粉さんよ、こんにちは。
恐るべし3月のエルサレムの空気。
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by ck-photo | 2007-03-09 02:50 | エルサレム・エルサレム
フツパ事件簿@アメリカン・コロニー・ホテル
先日のこと。1900年代のはじめ創業、エルサレムでも歴史ある「American Colony Hotel(アメリカンコロニーホテル)」へ友人とお茶に行ったときのこと。

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このホテルは古くから世界中のジャーナリストたちの贔屓宿というものの、かなり辺鄙なところにあり、歩く気分ではなかったので、ぴっかぴかのベンツで運ちゃんはアラブ男のタクシーに乗った。どうやら彼はわたしたちを観光客またはショートステイの外国人にわか住人だと思って、ホテルまでの道のりをぐーるぐーると余計な回り道をし始めた。

友人(男性)が助手席に座り、わたしは後部席。この友人は欧州からエルサレムに移住してきて7年ほどで、でもあまりイスラエルのフツパ(受けいれがたい悪態、無礼)気質になじまず、いまだに欧州の礼儀正しき男性。タクシーも自動的にメーターをかけてくれているものと思ってしまうらしい。

後部席に座っていたので、はたしてメーターが回っているのかよくわからず、まあいいわ・・・と思いながら、ホテルに到着。さて、降りようとすると、アラブ運ちゃんが「じゃ、45シェケル」と、ふつうなら25シェケルあたりのところを、なんともフツパなことを言い始めた。欧州紳士の友人はびっくらこいて、「そんな話は聞いていない、メーターはどうした?」とまっとうな返答。アラブ運ちゃんはここぞとばかり、「乗ったときにヘブライ語でホテルまでは45シェケルだよ、と言っただろうが!」と怒鳴り声。

聞いてないなあ・・・そんなこと。と思うも、男社会に生きるアラブ人相手の場合は女性は黙っていたほうがいい。友人とアラブ運ちゃんの水掛け論がヒートしはじめて、当然45シェケルも払うつもりもないわたしと友人は、「そいじゃ、払わないから」と一言残し、ホテルのロビーへと。

「こいつら払わねえって言いやがるんだ!X&%*$(#)@_!)*&$$#!!! (放送禁止用語の羅列)」

と、ロビーまでアラブ語の汚い言葉で罵声を飛ばしながら追っかけてくる運ちゃん。アラブ語はわからなくとも、そういう言葉は自然と理解できる。ロビーのフロント係りがすばやく警備員を呼ぶと、さらはアラブ運ちゃんは「警察を呼べ!警察だ警察!」と野太い声で叫ぶので、そこでこっそり友人に耳打ち。

「うん、警察呼べって方向に持ってったほうがいいよ。メーターなしでの営業は法律で禁止されてるから、捕まるのはあっち。」

それを聞いて、ふふんっと勝ち誇る友人。

「オー、それじゃ、呼んでもらおうじゃないか。だって、おまえ、それって違法だろ?」
「な、な、なんだと!汚いユダヤ人め!すべてのユダヤ人はお前のようなやつばかりだ!」
「オー、すべてのアラブ人はお前みたいなずるいやつばかりか?」

と、こんなちょっとした言い合いでも、宗教や民族が入り込む。で、だんだんと無駄に疲れてきたので、運ちゃんには「ほなサイナラ」と、ホテルのカフェに向かう。そうなればこちらはホテルのお客、でも運ちゃんは警備員が止めるのでさすがにそこまでは入ってこられない。

それからしばらくすると、カフェに警備員が申し訳なさそうにやってきて、他のタクシーの運転手に問い合わせたら、わたしたちの乗った距離だと25シェケルが妥当だとのことなので、申し訳ないがそれだけはこのアラブ運ちゃんに払ってもらえないかと。それならいいですよと、25シェケルを運転手にと警備員に渡して、一件落着。

と、いつものエルサレムの光景ながら、なんて疲れる日常なんだろうか。でもこのホテルは同じアラブ人経営といえども、まさにそんなエルサレムのオアシス。石造りの小さなアラブのお城のようでちょっと息抜きに最適。とはいうものの、そこにたどり着くまでがしんどすぎか・・・。

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by ck-photo | 2006-12-26 03:05 | エルサレム・エルサレム
シェルターとクッキーなわけ
仮庵の祭りも終わり、雨乞いが叶ったようで4月以来はじめて本格的な雨が降り、ついに夏が終わってしまいました。そこで引越しをしました。

といっても、家内引越し。

自宅のまわり近所がどうにもやかましい。毎日毎日、どうやったらそれだけの騒音が出せるのか。一階に住む中年おやじは毎日のようにがなる、趣味の日曜大工で鉄を切るチェーンソーのようなものをウィーーーーーンンンンッと日がな一日中使い続ける。その家の躾のされていない犬たち。そして、向かいの家の子供たちに手を焼いている母親のヒステリックな叫び声。

たしかに人間の日常の営みなわけですが、自宅で仕事をしている者にはかなりきつい。そこで、自宅のリビングにあった仕事場を、シェルター内へ引っ越しました。シェルターは、当然ほかの部屋よりも壁も頑丈で厚く、鉄製の窓と入り口のドアをガシャーン、閉めてしまえば外からの音はほぼ遮断。これほど仕事場に向いている部屋はあるまい。今まで書庫&物置状態だったので、もったいないことをしたなあ。写真だとごくごく普通の部屋に見えますねえ。左に写ってるヘブライ語が書かれたのが、鉄の窓。重くて片手では開け閉めは無理。これだったら生物化学兵器もシャットアウトかな?と、サラリとそういうオソロシイことも言ってみる。
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イスラエルの家屋にはシェルターが備わっているものが多く、一般的にはアパートのビルの地下に住人共同シェルター(ほぼ、物置状態だったりする)となりますが、うちの場合は築9年ほどなので、どうやら家の中に個人のシェルターを設置したよう。近所などでは、公園の地下に地区のシェルターもありますね。

今年の夏のハイファのように、いつ何時他国から攻められるかわからないイスラエル。なので、シェルターがあるわけですが、エルサレムにはいらないなあ・・・・。いちおう、イスラームいわく、エルサレムはイスラームの聖地のひとつですから、自爆テロは起こしても空爆などの標的にする確立はほとんどない。安全なのか、そうでないのか、よくわからない街です。

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そして、雨が降るたびに気温が下がっていくエルサレム、これから冬にかけて食べたくなるのがこのジャムサンド・クッキー。暑い夏場は見向きもしませんでしたが、今頃になるとこの赤い子供だましのようなジャムに、どうもついつい手が伸びてしまいます。カシェル的には肉でも乳製品でもない中間食品なので、当然バターもミルクも使ってないので、クッキー独特の甘いバターの風味もありませんが、それでもお菓子のおいしくないエルサレムではかなりハマッテしまうクッキーです。
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by ck-photo | 2006-10-15 22:16 | 戦争と平和
あれから……
オヤスミといったばかりですが、今日は9月11日だったことを思い出しました。
9・11とエルサレムの話です。2003年に書いたものですが、長いですよ。
コメントにお返事はできませんが、なにか書きたいことがある方はどうぞ。
                                    
(あの日、NYに住んでいらしたせばさんの「9/11が浮き彫りにする日常の営み」へトラックバックさせていただきました。)


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 2003年。あの日から二年が過ぎ、マンハッタンと同様にこの砂漠の街にも9月11日が訪れる。テレビ画面では去年よりも大げさな感をぬぐえない、アメリカの特集番組が繰り返しセプテンバー・イレヴンを語っている。あの年の9月11日の午後、私は自宅から五分ほどのエルサレムの中心街へと、ベツァレル通りの坂を歩いていた。9月初めの砂漠の街の太陽は厳しく、額はうっすらと汗ばむ。ちょうど坂を上がりきったところで、鞄のポケットが踊った。携帯電話のスキップするような、軽やかな呼び出し音。

 「アロー?」
 「チカ! 大変だ! ニューヨークのツイン・タワーが攻撃された!! 攻撃されたんだよ!」

 早口のニューヨーク訛りの英語で、興奮した友人の声が、耳の奥へ刺すようにして飛び込む。受話器の向こうから、エルサレムの新聞社に勤める彼の緊張と混乱が伝わってくる。太陽の照りつけるベツァレル通りの坂の上で、なにがなんだかわからず、「どこのツイン・タワー?……」と、ピント外れな私。それから一瞬の間をおいて、ツイン・タワーのそびえるウォール・ストリートあたりのマンハッタンが、脳裏に浮かび上がった。

 

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by ck-photo | 2006-09-11 20:06 | 戦争と平和