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アーティチョークの炒め物、と美しい日本
そしてまいどの中東の食卓です。

アーティチョークの炒め物。
季節感のあまりないエルサレムですが、昼間はまだ日本の5月ぐらいでしょうか。
それでもここしばらくで朝夕はすっかり冷え込んできました。
ちょっとこってりしたものが食べたくなったかも。

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便利なのでスーパーなどに売っている缶詰を使います。
マハネ・イェフダ市場で生のものの写真を撮るのを忘れました。

にんにく、たまねぎのスライスをぎゅっと握ってから、
オリーブオイルをひいた中華なべで、炒めます。
そこに戻した干ししいたけ、ねぎ、キャベツ(または白菜)のみじん切りを加え、
缶のアーティチョークもえいっ、よく火を通します。
これに作り置きのハーブ入りトマトソースをよくからめてできあがり!
今回は干ししいたけを入れたので、
トマトソースの代わりにおしょうゆとお酒で味付けをすればあっという間に中華風。
それもおいしそうやなあ。

アーティチョーク、食感はたけのこの炒め物。
野菜大好きなわたしとしてはかなりうれしい一品です。
ブロッコリー(エルサレムでは高級品)を入れてもよさそう。
お肉がほしい方は、ミンチを入れるといいでしょうね。


e0009669_0304551.jpgそして、今日の午後、宝物がひとつ増えました。
大切にしている絵本のコレクションにもう一冊、こんなすてきな絵本が浜名湖の湖畔のお友達から届きました。

画家の原田泰治さんと、歌手でありなんでも器用なさだまさしさんの絵本、というか、原田さんのほんわりとした絵にさださんの美しい歌の本。ページをめくるたびに、古きよき日本がそこにあり、日本にいても海外にいても、とにかく思いっきりホームシックになりそうな一冊です。永久保存版ですね。こんな砂漠の僻地までこれぞという品を送っていただいて、本当にどうもありがとう!

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その湖畔のお友達に教えていただいたのですが、さださんって歌のほかにも美しい絵本や本も書かれているのですね。

小さいお子さんのいる方、そして大人の方もぜひ本屋さんで見てみてください。

で、美しい日本といえば、こちら、のらさんのブログ。今回ののらさんの写真がなんともこの絵本と重なります。


原田泰治美術館


追記・・・投稿直後には「エルサレム・アーティチョーク」と書いてありましたが、ボケてました。
これとエルサレム・アーティチョークは別物っ!
エルサレム・アーティチョークはお芋のような、でも味はちょっとごぼうのような野菜です。
これは単なるアーティチョーク(の芯の部分ね)ですワッハッハ。失礼おば。
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by ck-photo | 2006-10-31 00:46 | 中東の食卓+α
サラダとアメリカンなエルサレム
e0009669_92576.jpgなぜかしら、どんどんと食べ物ブログになりつつあります。書きたいことが他にないわけでもないのですが、取り立てて書くほどのことでもなく、プラス、あれやこれやと仕事で頭が一杯。

最近のマイブーム。「サラダ」

もうエルサレムですら寒くなり始めたところに思いっきり季節外れですが、イスラエルの人は本当によくサラダを食べますね。テルアヴィヴなどに仕事に行くと、ランチにはサラダ・バーに行ったり、ベジタリアン・ライフが楽しめますが、エルサレムでもようやく自分でトッピングを選べるサラダ・バーがオープン。

大盛りと普通のどちらかを選び、レタス、きゅうり、アルファルファー、マッシュルームなどなど、好きな野菜、を「あれとこれとそれとどれにしようかなあ~」と選べます。その上にチーズや卵、ツナサラダ、グリルしたなすびにさつまいも、パプリカなども乗せちゃえ!


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今回のチョイスは、レタスにアルファルファー、ローズマリーとグリルしたパプリカとさつまいも、なすび、マッシュルーム、そしてバジルソースのパスタ。これにバルサミコのドレッシングをもらいましたが、それなしでも十分すぎるほど美味しかった。それにパンと飲み物がついて、35シェケル。他のレストランでは同じ値段でステーキ・ランチセットが食べられるほどなので、値段としては決して安くはない。でもたまに、むしゃむしゃ、シャリシャリ、もうええわ・・・って思うほどサラダが食べたくなる。

そして、もう絶対に食べないもの。カフェのケーキ。アメリカンちっくなチーズケーキや、チョコレートムースの美味しそうなケーキがエルサレムでもようやく市民権を得てきましたが、ちょっと待て・・・。一切れ、25シェケル・・・。これだけはいただけません。ピタに詰めたファラフェルが10シェケルほど、シャワルマ(日本ではギリシャ語のギロス?)が17~20シェケル。これでおなかパンパン、一食分。それがケーキ一切れごときに25シェケルとは、なんというか、日本の感覚だったら、財布は薄いのに1000円もするようなケーキを一切れ注文しちゃったわ・・・という感じで、冷や汗たらり。以前はイスラエルの家庭では、おっかさんがケーキやクッキーをよく焼いていたので、こういったおしゃれなケーキの出現はここ最近のこと。しかもアメリカからの留学生がわんさかなエルサレムの街では、どうも価格がアメリカーンなのか、どこかでアメリカーンな憧れがあるのかも。今夜もこういうカフェでちょっとお茶していると、飛び交うはコテコテのアメリカ英語。見渡せば店内はほぼ90%がアメリカからの若い留学生。まるでアメリカのどこかの大学カフェテリアのようで、とってもにぎやか(いや、うるさい・・・)なので、とっとと退散してきました。まあ、街に活気があるのはいいことですけどね。
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by ck-photo | 2006-10-29 09:39 | 中東の食卓+α
冬の到来かもしれない
すーすーすー・・・あれっ、寝てる?
ちょっと、おやすみします。
冬眠には早すぎる・・・。


昨夜、夜中に雷が鳴って、稲妻が見えました。
雨が降るのかもしれない。
今年は冬の訪れが少し早いような気がします。


コメントへのお返事は必ずしますので、もうしばしお待ちを。
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by ck-photo | 2006-10-25 13:18 | 何気ない日々
ほうれん草のサラダを彩る宝石

バラの香りの真っ赤なルビーはいかがですか?
おうちでちょっと贅沢

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ローズウォーターをかけた柘榴の誘惑

甘くて酸っぱくて
バラの香りが口いっぱいに広がったよ

ほうれん草のサラダを彩る赤い宝石
ドレッシングははちみつレモン&オリーブオイルできゅっと
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by ck-photo | 2006-10-20 03:28 | 中東の食卓+α
エルサレムのサラディンの兵士墓地とプラハのユダヤ墓地
e0009669_7232150.jpgエルサレムの新市街の真ん中には、古いムスリムの墓地、マミラ墓地があります。

今となっては「なぜこんなところに墓地が?」と、墓地にするには不似合いな場所ですが、墓地ができた12~13世紀ごろでは、ここは旧市街の外で人も住まない荒野だったのでしょう。映画「キングダム オブ ヘブン」でも登場する、十字軍の手中だったエルサレムを奪還しようと戦ったムスリムリーダー、サラディンの兵士がここに埋葬されているといわれています。

現在の墓地公園はこんな感じですが、向こうに見える塔はエルサレムのYMCA。このビルはニューヨークのエンパイアーステイトビルディングと同じ建築家の作品で、そういわれて正面から見てみればなんとなく共通点があるようなかんじがします。

e0009669_720870.jpg墓地公園内にある一番大きな墓。これも聖廟というのでしょうか?現在は入り口がふさがれていますが、中に墓があります。何かアラブ語で書かれていますが、読めないので誰の墓なのか不明。

中は暗いので覗いてもほとんど見えませんが、そういうところを覗くのは度胸がいりますね。変なものが写ったらコワイし、あるものまで写ってなくてもコワイし。とか言いつつもちゃっかり覗いてますが・・・。正統派ゆだやのおじさんが「こんなところでなにしとんねん?」と、不思議そうに通りすぎました。 (聖廟内(?)の様子は撮影後にはじめて知った)
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古いムスリムの墓。形やレリーフがおもしろい。残念ながらアラブ語なので、何が書かれているのかは不明。

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左の墓はその形からも、上の写真の墓よりも新しいものでしょうか。右は東ヨーロッパの特定の町にしかないユダヤの墓石と同じ形のもの。こちらの墓のほうが古いので、これをまねたものかも?と思うも、この形はエルサレムのムスリム墓地でもあまり見ないように思う。


さて、ムスリムの墓もさることながら、世界中にユダヤの墓地がありますが、中でも有名なのはプラハのユダヤ墓地。この旧ユダヤ墓地は、プラハでも人気の観光地のひとつですが、ヨーロッパに存在するユダヤ人墓地では最古のものだそう。1439年から1787年までの348年の間に10万人のユダヤ人が埋葬され、ある一定の時間が過ぎるとその上にまた新しい墓を作ったので埋葬層は12層。さらに、その狭い墓地内にある墓石数は1万2千と、上にも下にも横に斜めにと、通勤ラッシュの電車内のようですね。

この旧ユダヤ墓地には、有名なユダヤの人たちも埋葬されていますが、この墓地で最も有名な墓は、ユダヤ教神秘主義のカバラを学んでいたラビ・ユダ・ロウ(Judah Loew 1525 - 1609)。彼はユダヤ版フランケン・シュタインを作り出したとされ、伝説的人物とされました。そしてもう一人は1439年に亡くなったラビ・アヴィグドール・カラ(Avigdor Kara)。彼は1389年に起こったプラグでのポグロム(集団でユダヤ人に対して行う暴行、破壊、虐殺のこと)を生きのびた数少ない一人でした。このポグロムは、「ユダヤ人はキリスト教の儀式に使う聖体を盗み、黒魔術をかけている」といううわさを信じた住民たちによって行われ、当時プラハに住んでいたユダヤ人3000人のほとんどが亡くなりました。こういったポグロムはヨーロッパの各地で行われていました。

このプラハの旧ユダヤ墓地がヨーロッパ最古のユダヤ墓地となった理由は、第二次大戦でドイツ軍に破壊されなかったため。と、とてもかんたんな理由ですが、ヒトラーはユダヤ人撲滅後にプラハにユダヤ博物館の建設を計画していたので、この旧ユダヤ墓地を残すことにしたといわれています。

プラハの旧ユダヤ人街を見てみると、墓地だけではなく数件のコーシャーレストラン、9軒のシナゴーグなど、現在もユダヤの人々が住んでいるのが伺えますね。ピンク色の旧市役所の時計も、よく見るとヘブライ語文字の時計。ちなみにプラハの有名なユダヤ人といえば、フランツ・カフカですが、でもカフカが亡くなったのは1942年。この墓地が閉鎖されてからのちのことなので、彼のお墓はここではないですね。


(このプラハの墓地については旧ブログのほうでも取り上げたので、読まれた方もいらっしゃるかと思いますが、あちらのブログで書いたものも少しずつこちらに移行していきますので。)
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by ck-photo | 2006-10-19 07:52 | ユダヤ雑学
深い森から見える海
なぜかしら仕事がいっこうにはかどらず、心はあちらこちらと彷徨うばかり。なにか限りなく透明なものを見たくて仕方がない。きっと心が少しくすんでいるのかもしれない。

この近くで「透明なもの」、死海かなと思うものの、バスに乗っていくのもなぜか面倒くさい。モーティベーションも低いなあ。そうだそうだ、去年行ったときにもって帰ってきた死海の水を詰めたペットボトルが、ドアストッパーのかわりになっている。小さなガラス瓶にその死海の水を入れて、紫色の紐でとめた翡翠の輪をかけてみた。少し気分は透明になったかな?・・・なってない・・・。スランプかな?と思うもの、スランプといえるほど普段は生産的なのかと、自問自答してみる。

かなえたい夢のひとつは、いつか水のそばに住むこと。すーっと広く、まわりになにもない海を見ながら一日を終えたい。仕事部屋は当然、海に面している。だけど、もっとよく考えたら、広い海ではなくて、まわりが囲まれた静かな森の奥がいい。そこの仕事部屋から海が見えればそれに越したことはないけど。広い海と深い森、影響と作用する脳と心の部分がどうもちがうような気がする。

秋ですかねえ。どこか心が空回りしているようなエルサレムの日々。イスラエルの乾いたオリーブ色の山ではなく、どこかの深い森で葉っぱをガサガサさせながら歩きたい。

(ということで、しばらく画面のスキンの色が落ち着きません。スキンを濃い色にすると写真は映えますが、文字が読みづらいし、なんといっても書きにくい。うーん・・・。)
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by ck-photo | 2006-10-19 03:05 | 何気ない日々
リトル・プリンセス
エルサレムのとあるユダヤの結婚式で出会ったお姫様たち
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みんな10歳~12歳ぐらいでしょうか。
お姫様ドレスが似合いますね。
ちょっと羨ましかったりして。
昔のヨーロッパの香りがしました。

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くるくるくるくる!
見て見て!
ドレスが広がるよ♪
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by ck-photo | 2006-10-18 05:51 | エルサレム・エルサレム
シェルターとクッキーなわけ
仮庵の祭りも終わり、雨乞いが叶ったようで4月以来はじめて本格的な雨が降り、ついに夏が終わってしまいました。そこで引越しをしました。

といっても、家内引越し。

自宅のまわり近所がどうにもやかましい。毎日毎日、どうやったらそれだけの騒音が出せるのか。一階に住む中年おやじは毎日のようにがなる、趣味の日曜大工で鉄を切るチェーンソーのようなものをウィーーーーーンンンンッと日がな一日中使い続ける。その家の躾のされていない犬たち。そして、向かいの家の子供たちに手を焼いている母親のヒステリックな叫び声。

たしかに人間の日常の営みなわけですが、自宅で仕事をしている者にはかなりきつい。そこで、自宅のリビングにあった仕事場を、シェルター内へ引っ越しました。シェルターは、当然ほかの部屋よりも壁も頑丈で厚く、鉄製の窓と入り口のドアをガシャーン、閉めてしまえば外からの音はほぼ遮断。これほど仕事場に向いている部屋はあるまい。今まで書庫&物置状態だったので、もったいないことをしたなあ。写真だとごくごく普通の部屋に見えますねえ。左に写ってるヘブライ語が書かれたのが、鉄の窓。重くて片手では開け閉めは無理。これだったら生物化学兵器もシャットアウトかな?と、サラリとそういうオソロシイことも言ってみる。
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イスラエルの家屋にはシェルターが備わっているものが多く、一般的にはアパートのビルの地下に住人共同シェルター(ほぼ、物置状態だったりする)となりますが、うちの場合は築9年ほどなので、どうやら家の中に個人のシェルターを設置したよう。近所などでは、公園の地下に地区のシェルターもありますね。

今年の夏のハイファのように、いつ何時他国から攻められるかわからないイスラエル。なので、シェルターがあるわけですが、エルサレムにはいらないなあ・・・・。いちおう、イスラームいわく、エルサレムはイスラームの聖地のひとつですから、自爆テロは起こしても空爆などの標的にする確立はほとんどない。安全なのか、そうでないのか、よくわからない街です。

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そして、雨が降るたびに気温が下がっていくエルサレム、これから冬にかけて食べたくなるのがこのジャムサンド・クッキー。暑い夏場は見向きもしませんでしたが、今頃になるとこの赤い子供だましのようなジャムに、どうもついつい手が伸びてしまいます。カシェル的には肉でも乳製品でもない中間食品なので、当然バターもミルクも使ってないので、クッキー独特の甘いバターの風味もありませんが、それでもお菓子のおいしくないエルサレムではかなりハマッテしまうクッキーです。
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by ck-photo | 2006-10-15 22:16 | 戦争と平和
イエメンのご飯 ~レモンの鶏肉とポテト煮込み
「中東の食卓」というカテゴリーがあるにもかかわらず、このブログになってからはお料理も遠のく日々。たまには何かつくらなあかん・・・と、久しぶりにかんたんイエメン料理を作ってみました。

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イスラエルの家庭でよく炊かれるイラク米。
名前がイラク米なので、イラクのお米なのかなあと思うものの、本当はどうだかわからない。
タイ米やバスマティ米のような風味と細長さで、ピラフやカレーにグー。

でもなかなかうまく炊けたことがなかった。
なんでかなあ。

「お米を洗う。
炊きはじめたら触らない。」

この鉄則が、どうもうまく炊けない理由のよう。
イスラエルのお母ちゃん方を見ていると、このイラク米は洗わないで、そのまんま、なべへ。

おなべにオリーブオイルを多めに温めたところに、お米をバラバラッと。
そして、油を絡めるようにして、お米を5分ほど弱火でジャッジャッ、炒める。
そこにお水をジャーっといれて、チキンスープのもを入れる。
もう一度、お米がくっつかないようにかき混ぜてふたをする。
それから、途中でもう一度、ふたを開けて、混ぜ混ぜ。

さて、炊き上がったお米は・・・
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こんな感じで、おいしそうにパラパラ。
熱々のうちに風味付け。新鮮なディルとコリアンダーのみじん切りを多めに混ぜる。
これだけでもしっかりピラフのようでおいしい。

そして、お米を炊いているあいだに、イエメンの煮込みを作ります。
(いや、本当はその反対。煮込んでいるあいだにお米を炊く。)
材料はじゃがいも2~3個。たまねぎ2個。鶏肉を適当。よく洗ったレモン1個。
スパイスはパプリカの粉。

たまねぎとじゃがいもを3ミリぐらいの輪切りに。
おなべにオリーブオイルを熱して、そこにパプリカの粉を大匙2ぐらい。
ええ、あとでスープが真っ赤になるくらいの多めがいいんですよ。

そこに、輪切りのたまねぎを敷き詰め、その上にじゃがじゃがを重ねます。
そしておなじように、適当に切った鶏肉を乗せます。
最後に一番上に、スマイリーに切ったレモンを皮のついたまま敷き詰めます。

そこにお水をレモンの上すれすれぐらいとスープのもとを入れて、
40分~1時間、弱火~中火で煮込みます。
焦げないようにね。でも混ぜないで。

できあがりはこちら。炊いたご飯の上に、かけて召し上がれ。
ちょっとおいしそうに見えませんねえ・・・。残念。
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レモンが酸っぱくて、たまねぎとじゃがいもがなんともおいしいのですが・・・。
で、いつものごとく、鶏肉は別になくてもよかった・・・。
まあ、お愛想であったほうがいいかということで。
そして、忘れてはいけないのが、これ。スフーグ。
これがレモンの酸味の効いた煮込みにぴったり。
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イエメンのグリーンチリペッパーとコリアンダー、にんにく、
ほかなんだかわからないものいっぱいのスパイシーなペースト。
赤いスフーグもありますが、わたしはこのグリーンのものが好き。
マハネ・イェフダ市場のお店には、ホームメイドのものもありますが、
日持ちがしないので、いつもこれを買ってしまいます。



デザートは、季節外れの桃とココナッツミルクのシナモン風味寒天寄せ。
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ゼリーで作るともっとプルプルかもしれませんが、
煮込みのあとは、あえてちょっとシャキッと寒天で。

ごちそうさんでした。


追記:ヘブライ語ではオレズ・イラキー(イラクのお米)と呼んでいたのでイラク米と思っていましたが、スーパーなどではパッケージにはイラン米と書いてありますね。ということは、イラン米のイラク風に炊いたん、ということなのでしょうか。こんがらがってしまいました。真相はいかに?

追記2:後日になりますが友人の料理人に聞いてみたところ、やはりイラン米やバスマティーなどをイラク風に炊いたものをオレズ・イラキーと呼ぶそうです。
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by ck-photo | 2006-10-13 03:13 | 中東の食卓+α
イスラエルの飲酒の習慣
ちょっとしたきっかけで、しばらく考え中の「イスラエルの飲酒」について。

日本では飲酒に関してなんだか物々しいほどの処分やら騒ぎのようですが、それにしても日本の人ってよくアルコール類を飲むなあというのがわたしの感想。酒を飲めないのは男じゃない、なんて都合のよい言い分もあるようで、それも飲めない人、またはアルコール類が好きではない人には拷問でしかない。

さて、イスラエルの飲酒ってどうかなあと考えたところ、わたしのまわりのユダヤの人たちにおいてはあまり飲まない。はじめてイスラエルに来た当時、1989年だったか1990年ごろですが、このころの20代でも、あまり飲酒していたという記憶もない。テルアヴィヴなどのビーチに行けば、まあ、マカビかゴールドスターの一本ぐらいは飲む人もいたけど、友達の家で集まったりしても、アルコールをたしなむという習慣はあまりなかった。

当時、安息日のはじまる前、金曜の午後には、ホフ・マアラビというテルアヴィヴのビーチでのパーティーがとてもはやっていた。ビーチのカフェ・バーから流れる音楽に踊る人たち。TOTOの「アフリカ」やREMがよくかかっていた。そこでも、やはりビール一本ぐらい、もちろん、その後でみな車を運転していたけど、飲酒運転の取締りなんてしているところは、この16、7年間で一度も見たことがない。

彼らの親の年代や50代になると、ほとんどアルコールの飲酒はなく、夕食後に親戚や近所の友達を訪ねていっても、たいていはミルクと砂糖たっぷりのネスカフェにクッキーかケーキ。イスラエルにはアラックと呼ばれる安いウォッカのようなものもありますが、ビールやそういったアルコール類が出ていたという記憶はない。

ワインになると、当時はワインは安息日などの祈りに使うものという感覚だったようで、普段アルコールを飲まないので、飲みやすいように甘いワインが多かった。なので、普段におしゃれにワインを飲むということもまったく記憶にないし、ちょっとワインを飲んだだけでもほろろろっと酔ってしまう人も多かった。

それが、ここ数年でガラリと変化してきたように思う。テルアヴィヴでは、おしゃれな欧米風のレストランが立ち並び、そういったレストランはだいたいがカシェルではないので、それにあわせてワインもカシェルでないものも多い。ここ数年で、テルアヴィヴでカシェルのレストランを見つけるほうが大変になってきた現状。世俗派では、友達どうして誰かの家での食事に集まるときなどでも、今ではワインを手土産に持っていくことも。

そんなこんなで、エルサレムではどうかというと、テルアヴィヴとはまたちょっとちがう。住民の30%が正統派ユダヤとあってまだまだ宗教色が濃く、あとはアラブが30%(基本的には彼らも飲まない)、世俗ユダヤが40%。その40%の世俗人口での飲酒はやはりビールが主流。最近ではアイリッシュ・パブが大流行で、ギネスなども飲めるようになった。時々、アメリカからの留学生たちが酔っていることがあるといっても、へべれけに酔った若い人、というのはあまりお目にかからない。ちなみに、正統派ユダヤでは遊びで飲酒するということもほとんどなし。彼らが飲むのは、祭りや安息日の祈りに使うワインぐらいで、でも安息日だからといって、たくさんワインを飲むわけでもなし。まあ、グラスに一杯か二杯ぐらいでしょうか。最近ではエルサレムでもカシェルでないワインを置いている店も出てきましたね。これもこの国の時代の流れというか。

なので、イスラエル、またはユダヤ人の飲酒の習慣と文化はどういうものかと考えたら、わたしのまわりの世代もしくはそれよりも年配世代では、世俗、宗教的にかかわらず、ユダヤの人が飲酒をするという文化はあまりないように思う。今の20代になるとロシア移民なども多く、これまでとはちがった飲酒文化なのかもしれませんが。

なぜユダヤに飲酒の文化がないかについては、やはりカシェルの問題などユダヤの伝統と歴史とにかかわりがあるのかなと。ディアスポラで散らばっていた長いあいだも、伝統的にはカシェルでないワインは飲まなかったでしょうし、コミュニティーで生きてきたユダヤの人たちが、ユダヤではないほかの人たちと交わってアルコールを飲むということもなかった。まあ、そんなところからではないでしょうか。
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by ck-photo | 2006-10-10 22:32 | 中東の食卓+α