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ちょっと一息、うちのかんたん食卓
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エルサレムもユダヤの新年のころにはざくろの季節。
大きなざくろが今年もマハネ・イェフダ市場に並びます。
子供のころ、ざくろは学校の校庭や家の庭の木からもいで食べるものでしたが、
近頃では店先に並んでいるざくろを、お金を出して買うのはなんとも不思議な気分になります。

ざくろを見るときらきらとルビーのようで、それだけでなんだか幸せになります。



さてと、取り出したるは、一枚のピタ。
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これを二枚にスライスして、オリーブオイル、トマトピューレ、ハーブ、むらさきたまねぎ、ツナと乗せていきます。オーブンで5分、チーン!はい、かんたんサクサクピザの出来上がり。えっ?チーズですか?いえね、冷蔵庫に買い置きがなかったんですよ。というかほとんどイエローチーズは買ってまでは食べないから。イスラエルでチーズというと、やはりカッテージなどの白いチーズですね。

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そしてこれまたかんたんクスクス。穀物屋で買ってきた乾燥クスクスをつかって。

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本当ならば、クスクスとスープは別のなべで作るのですが、すぐに食べるから一緒のおなべで。
作り置きのチキンスープにトマトピューレを混ぜて沸騰させる。
そこにクスクスをどどどっ。弱火に落としてふたをして待つこと5分。クスクスのできあがり~。
これは時間がたつと固まっちゃうので、すぐに食べるときだけおすすめ調理法。
チキンスープがないときは、野菜スープ、缶入りのソーセージとお汁なんかでもかんたんですね。
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by ck-photo | 2006-09-30 00:01 | 中東の食卓+α
「No」と言い切れないイスラエルの日本人
自己嫌悪に陥るのはよくない。

テルアヴィヴ北部のヘルツェリアの街での仕事の依頼があり、「ここしばらく時間がないからお断りします」というものの、断りきれなくてOKと言ってしまった・・・。

これでン度目の同じあやまち。もういやだー、今回こそは押し通すぞ!と臨むも、イスラエル人特有の有無を言わせない押しに負けてしまう。

「今は時間がないからこの仕事は引き受けられません。他の人を当たって」
「いや、君が行くんだ!ちょっと僕のことも考えてよね!You must go!!!!」
「はっ????なんで???」
「行かないといけないんだいけないんだいけないんだ!!!
You must go!!!!You must go!!!!You must go!!!!」


この時点で相手の押しに引いてしまう。なぜフリーランスのわたしが「行かなければいけない! You must go!!!!」と言われなくてはいけないのでしょうか。この企業の雇用者でもないのに。と、わけのわからない「You must go!!!!」の理屈に戸惑ってしまいます。


「・・・・・・だから、時間がないから行けないって言ってるでしょうがっ!!」
「いいや、君が行くんだ!You must go!!!!」
「いや、だから、行けないっつうに!!」
「日当は払うって!You must go!!!!」
「・・・あたりまえじゃ。でもお金の問題じゃないねんや。時間がないっての!」
「おい、だから、頼むから、行け!!おれ、もう今日は帰宅したいんだし!
君とばかりかかわってられない!You must go!!!!」
「・・・?!・・・・なんじゃそりゃ・・・そんなん、知らんちゅうねん」

と、まあ、こんな意味のないやり取りを無限に続くかのように繰り返していると、もうどうにも面倒くさくなってしまうのです。「NO」と言い続けても引かない(聞こえない)相手に疲れちゃうんですよね。それで嫌気が差して、「ふう・・・、考えておくから・・・」と言ったところにすかさずに「えっ!じゃあこの日ね!決まりだし!行ってよね!!」と、あああああー!決まってしまうのでした。

そんなこんながここ数回続いて、もうこっちはおなかの中でムーッとした気持ちを抱き続ける。それは健康上まことによろしくない。相手には「ふざけんな、ばかやろー!!いいかげんにしやがれ~!」とぶちまけたいのに、いつもどこかでセーブがかかってしまう気の弱いわたしなんですよ、これが。(信じられる?笑)

今日はあまりにもムッとしたので、親友のシギーに電話する。

「あら、またやられたん?自分のためかお金になる仕事ならすればいいけど、そのどちらかじゃないんだったら、相手がなんと言うと、NOって言ってサヨナラよ!まあ、わかるけどね~。ああいう人種の相手は私もしんどいわあ。そんじゃ、今度NOって言う練習相手になってあげるから」

やさしいなあ、シギー。今度この依頼主と話すときには、しっかり「NO」を貫こう。・・・って前回も肝に銘じたはずなのに・・・・。ちょっと気が弱っているのでしょうか。というよりも、この屁理屈で押しの強いイスラエルのメンタリティーには、何年いてもどうにも慣れないのです。特に疲れているときは戸惑いますね。それに、相手に合わせて自分がそうなるのもいやだし・・・。
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by ck-photo | 2006-09-29 03:24 | 混沌の文化
レイチェルは「雌のひつじ」 
(旧ブログに載せたヘブライ語の名前ですが、リクエストがあったのでもう一度こちらに載せておきますね。)

日本の人の名にはたいていの場合、それぞれ意味がありますが、外国の人の名はどうでしょうか。現在の一般的な欧米の名前では、意味を持たない名、または単なる響きとなっているようです。しかし、それらの名の語源をたどれば、旧約聖書に登場するヘブライ語に基づく名が数多くあります。

旧約聖書に登場する名は、その人の元々の名というよりも、旧約聖書の各エピソードの役柄に応じて名が付けられています。なので、旧約聖書を知らずに名の意味だけを読んでみるとかなり意味不明のことも。

例えば、ヤコブ(英語圏ではジェイコブまたはジェームス)という名には、「かかと」と「要領よく人
の裏をかいてゆく」という意味があります。これは、ヤコブが生まれた時に、双子のエサウのかかとをつかんで生まれてきたことから「かかと」という名に。そしてもう一つの「要領よく裏をかく人」という意味は、ヤコブは一家の柱であり、子供たちの父として日常的に生活してゆくには、要領よく生きてゆかねばならなかった。そこでヤコブは「かかと」のほかに「要領よく裏をかく人」という意味となりました。

そののち、ヤコブは神によって「イスラエル」と改名します。「イスラエル」は一国の名でもあり、またユダヤの民の名。「イスラエル」とは、神に向かって戦う人という意味ですが、これは神に反感して戦うのではなく、神と対話するという意味において戦う人ということです。そこで、旧約聖書では、ヤコブは家庭の人として登場する時にはヤコブと呼ばれ、民の長としての場合はイスラエルと呼ばれています。


では、男性の名前からスタート!名前の横の( )内は同じ名前の英語読みです。

 名前            その意味と説明
 ↓                  ↓
■アダム : 人 (ヘブライ語では土をアダマといい、神はアダマから人を創ったことから)

■アブラハム : 国民の父 (アブラハムの元々の名はアブラムでしたが、
          アブラハムとなることで、すべての父という意味になった) 

■ノア : 休む、慰める (ノアの箱舟の話より。
     ノアの時代、洪水によって文明が途絶えたことから)

■アベル : 息を吐く (吐かれた息は消え、何も残らない。彼の後には何も残らないと言う意味)

■カイン : 何かを完成する

■イツハック (アイザック) : 笑う (神はすぐにサラが妊娠出産すると告げたが、
                  100歳近い夫にはそれは無理だとサラが笑ったことから。
                  イツハックはサラとアブラハムの息子)  

■ヤコブ (ジェイコブ、ジェームス) : かかと (双子の兄弟のエサウのかかとをつかんで生ま                        れたことから)、要領よく裏をかく人 

■エサウ : 赤い (誕生時に全身が赤かった、行動が早く鼓動が早いことから)

■ヨセフ (ジョセフ) : 彼は加わる (ラヘルの子供として加わったことから)

■モーシェ (モーゼス) : 水から引き上げられた、生き残る (赤ちゃんの時にナイルの水から                引きげられた、またはユダヤの民をエジプトから引き上げたことから)

■アロン : 力の山

■サムエル (サミュエル) : 神は聞いた (神がサムエルの母親ハナの願いを聞き、
                  サムエルが生まれたことから)

■イェフダ : 神に感謝する (母親のレアが神に感謝したことから。
        ヘブライ語ではユダヤはイェフディムと呼ばれますが、
        これは神に感謝するというこのイェフダという意味から)

■ベンヤミン (ベンジャミン) : 右手の息子、南の息子
                   (南部のヘブライの民の長となったことから)

■ヨナタン (ジョナサン) : 神は与えた

■ダヴィデ (ディヴィッド) : 最愛の

■ソロモン : 平和 (シャロムから)

■ミハエル (マイケル) : 神に勝るものはいない (女性はミハル、ミッシェル)

■シモン (サイモン) : 聞く

■ダニエル : 神は私の裁き

■ヨエル (ジョエル、ジョー) : 神は神である

■アリエル : 神の獅子

■バラク : 雷 (過去のイスラエルの首相にいましたね)

■イェホシュア、ヨシュア (ジョシュア) : 神は救う、彼は救う

■イマニエル (イマニュエル) : 神は我々と共にいる


女性の名前です。

■ハヴァ (イヴ) : 命、生きる、息をする (すべての人の母であることから)

■サラ (セーラ) : プリンセス 

■ハナ (アンナ) : 神授の才、気品

■ミリアム (マリア) : 苦い 

■ラヘル (レイチェル) : 雌羊

■リフカ (レベッカ) : 罠 (息子エサウを罠にかけたことから)

■レア : 雌のシカ、疲れた

■ミハル (ミッシェル) : 神に勝るものはいない (男性はミハエル、マイケル)

■エステル (エスター) : 星 (元々はペルシャ語の言葉)、隠された

■ショシャナ : 百合、バラ

■デボラ : 蜂

■アビガエル (アビゲール) : 私の父は喜び

■ハダル : 貴重な、輝き

■マヤ : 水 (マイム=水、から)

■ナオミ : 愛想のよい、愉快な、心地よい

■ティクヴァ : 希望 (イスラエルの国歌は「ハ・ティクヴァ」。「希望」という歌ですね。)


最近のイスラエルの世俗社会では、ハナ、リフカ、エステルなど女性の宗教的な名前は古臭く、年寄りの名前と笑われることもありますね。しかし、ユダヤの宗教社会では、これらの名は今でもごく普通に新生児に付けられ、サラ・リフカ、デボラ・レアなど二つの名が付けられることも多い。その名にあやかるようにと、子に対する親の思いは国や宗教が異なっても同じなのでしょう。

女性とは反対に、世俗社会でも男性の名前は宗教的な名もまだ付けられることも多いのがちょっともしろいですね。やはりアブラハム、ヤコブ、アロン、モーシェ、など旧約聖書の登場人物の名が一般的ですね。 宗教的ではない名ではエレズ(レバノン杉)やリオール(光)などといった名前がよく見られます。

そして、同じ名前でも、スファラディー系、アシュケナジー系などの系統によって呼び方が変化します。例えばサラという名だと、スファラディー系ではサリットとなり、アシュケナジー系のイディッシュ語ではスリ、スラとなります。余談ですが、トム・クルーズの娘さんはなぜかしらヘブライ語の名でスリちゃんと伝えられていますが、これはヘブライ語ではなくイディッシュ語なのでしょう。

男性の一般的な名のモーシェも、スファラディー系ではそのままモーシェですが、イディッシュ語ではモイシーとなり、モロッコ系などになるとモシコー、「シ」に強調アクセントと、ドスコイっ!なイメージに変化。

と、まあこんなところでしょうか。
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by ck-photo | 2006-09-28 23:57 | ユダヤ雑学
三都そら物語

このブログの一番上の夜景は、テルアヴィヴ上空。夏に旅したときの一枚。旅の疲れでぼ~っとオレンジ色の光を見つめたまま、すっかりシャッターチャンスを逃してしまいました。いつも旅のはじめと終わりには、イスラエル上空の眺めには心を奪われます。


今回は、夏のはじめにテルアヴィヴ⇒イスタンブール⇒ザグレブへと飛び立ったときの写真です。すっかりこの写真を忘れていました。だからどうしたという写真でもないのですが。


テルアヴィヴのベングリオン空港。空港に国旗が掲げてあるのも珍しいような・・・。
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2000年のミレニウムにあわせて、新しい空港を建設するも、やっぱりイスラエル。2000年には間に合わず。新しくていいのですが、無意味に広い&おもしろくない&以前の場所からさらに地中海よりになったこととドルの変動で、エルサレムから空港までのミニバスが値上がり。狭くても機能的な前の空港のほうがよかった・・・。これは関空ができたときにも思いましたね。それまでは伊丹空港で十分だったし、京都からもシャトルバスで1000円ほどとお手軽だった。ちなみに、空港内のマクドナルドは珍しくカシェルなんですね。それにしても高すぎ・・・。


ベングリオン空港内で見た軍用機。運搬用でしょうか。
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ベングリオン空港から地中海沿岸にかけての街。こういった街並みが多いイスラエル。
テレビのニュース映像とはまたちがった砂の色。日本のニュースで見ると、ものすごい色あせ方。
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地図で見るのと同じ地形をしているのが、あたりまえやん・・・と思いつつも「おお~っ!」
改めて、緑のない国ですね。地中海は美しいけど。そして地球は丸かった!
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by ck-photo | 2006-09-27 05:48 | 旅の空
チキンスープと秋  ユダヤの新年
ご心配をおかけしましたが、ぼちぼちアタマも働くようになりつつあります。今回のウィルスはしんどかったぁ・・・。疲れ気味のこともあって、長引いてしまいました。ウィルスもどんどん進化するので、困ったものですね。春も、ヨーロッパから帰ってすぐにマハネ・イェフダの市場へ買い物に行ったら、即効で何かもらって来ました。その後、数日は気分がすぐれなかった。エルサレムは雑菌が多すぎるのでしょうか。

さて、ユダヤの新年。今年は安息日と重なりました。ショファーも安息日だと吹いてはいけないので、静かな新年でした。新年がやってくると、やはり秋も近くなりつつあるエルサレムです。夜は寒いので、毛糸の靴下。でも昼間はまだ灼熱してますが。そしてこのあとは、一年に一度の贖いの日がやってきて、それから仮庵の祭り。それが10月の終わりごろでしょうか。そうなると雨が降り始めます。これからの一ヶ月は、イスラエルへ旅行するにはちょうどいい季節ですね。

休養中と新年の間に、いろーいろと人生の方向について考えることがあって、まあ、西暦の2006年は、自分にとっては考える年なのでしょう。今年の答えは来年だなあ、きっと。それはそれでよし。物事にはすべてそれにあったタイミングがあるわけですから。と、「オーラの泉」という番組をYouTubeで見ていて、なんておもしろいんだと思ったここ数日です。東京に住む私のいとこは全部丸見え&すごい体験の数々で、美輪さんやら江原さんやら、ああ、そういう方たちってやっぱりいるんやなあ、へー、と。

で、以前お世話になったチベット仏教学の長尾先生が、去年98歳で亡くなられたのですが、「現世ではもう間に合わないから、来世でしてみよう」と笑いながらおっしゃっていたことなどなどを「オーラの泉」を見ながら思い出したり。先生のような悟られた方でももしまた輪廻するなら、今はどこにいらっしゃるのでしょうか。またどこかでお目にかかれることを願わずにはいられません。と、こういう輪廻という観念はユダヤにはないので、ユダヤの友人たちに話したところでピンとこない。なぜかしら、自分の中では、秋から冬にかけては仏教的な感覚が強くなります。不思議ですね。

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と、とりとめもなく書いてしまいました。で、書きついでにもうひとつ。休養中に友人が訪ねて来たのですが、「高熱で気分悪いから・・・」「えー?!なんか作ってあげるよ!ダブルめだまやき?!サラダ?!」うーん・・・・、めだまやきなんてそんな濃いものはいらん・・・、サラダは体が冷えそう&消化に悪い・・・。この感覚の違いっておもしろいなあ。で、結局、自分で作ったのが、手羽先のチキンスープ!わはは・・・。これも、日本では、病気のときの食べ物ではないですね。ユダヤの家庭だと、病気のとき=チキンスープ。でも意外といいんですよ、これが。すーっと体に沁みるし、栄養もあるし。と、これはかなりユダヤな影響部分ですね。

ということで、ぼちぼち再開していきます。またよろしく。



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by ck-photo | 2006-09-25 10:20 | ユダヤの暦
ユダヤ暦5767年の新年
まだかなり頭も体もぼーっとしておりますが、今日の夕暮れからユダヤの新年がやってきます。去年書いたものをちょっと手直しして載せておきます(ちなみに、わかりやすい書き方ではないので、申し訳ないです)。去年すでに読まれた方もいるかもしれませんが、新しく書き直すのは体調的にちょっとむりでした。


9月22日の日没後にはユダヤ暦5767年の新年(ロシュ・ハシャナ)が明けます。この新年(ロシュ・ハシャナ)は、毎年、ユダヤ暦のティシュリ月のついたちに訪れます。西暦でいうと、たいてい9月初旬から中旬ごろ。今年は遅めですね。新年に食べるもののひとつ、ざくろがいつもよりも大きくなりました。

旧約聖書のはじめには、天地創造について述べられています。神は最初の五日間でこの世にあるすべてを創り、そして六日目に人、アダム(ヘブライ語で土という意味)を土から創り、神の息を吹き込んで魂を持つ生き物としたとされています。その日が、ティシュリ月のついたちにあたります。そこでユダヤでは、それを暦の起源とし、新年としました。

この新年(ロシュ・ハシャナ)のお祝いは二日間、続きます。むかし、ユダヤの月初めを確認するには、ラビたちが空の月を確認をしました。そして火をおこし、それを見つけたユダヤの村々(または集落)が、それがその月のついたちだと次の村々に伝えてゆきました。それがそのうちに火ではなく、馬などで使いが走るようになりました。新年はティシュリの月初めですから、いつもの月初めと同じように使いによって知らされていましたが、それでは遠くの村に知らせが届いた頃には、もう新年は始まってしまっています。それはいけないということで、誰もがきちんと新年を祝えるように、新年はティシュリ月のついたちとふつか、この二日間を祝うこととなりました。


ヘブライ語でロシュ・ハシャナ(ロシュ=頭、ハシャナ=その年)と呼ばれる新年ですが、ユダヤ暦では、一年の間にロシュ・ハシャナが四度訪れます。その四つの新年には、「木々の新年」、「家畜などの動物の新年」、「王様たちの新年」、そして今日の日没からはじまる「人の新年」があります。この四つの新年では、神の元で「ディン」と呼ばれる審判が行われ、新しく訪れる年のそれぞれの運命が決められます。さらに、この「人の新年」には天国では、次の三冊の本が開かれます。


「いのちの本」
「死の本」
「そのどっちでもない本」


この三冊のどこかに、その年の行いによって自分の名が記されることとなります。そして「人の新年」の十日後には、「ヨム・キプール」という一年に一度の贖罪の日が待っています。この日、天国ではすべての人々の履歴書のようなもの、生まれてからの行いが記された本が開かれています。そしれ、一人一人が神の前で審判をもらいます。そんなわけで、新年からヨム・キプールまで、その心の準備に入ります。

この新年の食卓では、たいていのユダヤ家庭では「甘い年になりますように」と、リンゴに蜂蜜をつけて食べますが、これは実は味覚と脳の知的な部分のつながりにあります。特に甘い味覚は、知覚と心とに深いつながりを持っているので、心と知を同時に働かせるために、新年にはリンゴと蜂蜜を食べ、人としてこの世での目標は何か、いかに人として正しく成熟するかを、十日後のヨム・キプールに向けて考えます。


また、新年にはショファーという羊の角笛が一日中、街中のあちこちから聴こえてきます。ショファーの音色は、新年とヨム・キプールのためのスピリチャルなモーニングコール。これまでの自分の行いを改め、そして方向転換せよと警告を発しています。




ショファーの音はこちらで視聴できます。

イスラエル在住の方々、ユダヤの家庭がおありの方々、そのほかの方々、
「甘い年になりますように! שנה טובה (シャナ トヴァ!)」


関連リンク: 
ロシュ・ハシャナのリンク集(英語です)


追伸:しばらくコメントは返せそうもありませんが、それでもよろしければ、なんでもどうぞ。
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by ck-photo | 2006-09-22 08:30 | ユダヤの暦
またしても・・・
体調がすぐれないので、もうしばらくお休みします。

また、ウィルスが飛んでいるようで、
あそこの親子も、こっちの息子さんも、と
高熱の症状が出ているエルサレムです。

私も例に漏れず、しっかりウィルスにかかってしまいました。
熱が続くと、ああ、しんどいですね・・・・。

それじゃまた、よくなったら再開しますね。
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by ck-photo | 2006-09-20 11:42 | おしらせ
言葉の根っこ
あっという間に9月も半ばを過ぎてしまいました。ばたばたとした日々をすごしながら、気がつけば、来週はユダヤの新年がやってきます。一年、また一年。月日がたつのが早いなあ~。ユダヤの新年については、また、のちほど。

新年なので大晦日、というわけではありませんが、忙しいときに限って家の大掃除をしたくなる。ほら、テスト前になると、普段しないことをいそいそとはじめたり、部屋の掃除をしてみたり。出てくるわ、出てくるわ、いらなくなった書類、メモ、パンフレットなどなど。一日掃除をして、ちょっとは机周りもすっきりしたようです。

さて、まったくそれとは関係ない話。いきなりですが、先日のこと。仕事の合間に、イスラエル人のE君の、生まれたばかりの息子の名前について話していたときの会話。


「エロンという名にしたんだ」とE君。

「エロン、エロン、エロン・・・・なんだったかな、この意味。
ああ、アロンと同じ語源だから、オークの木だね。いい名だね」

「いいや、エロンはエロン。単なる名前だから意味なんてないよ」

「いいや、エロンはアロンと同じ語源。
ヘブライ語の言葉には、それぞれちゃんと語源と意味があるよ。たとえば・・・」



シェメシュ shemesh
שמש =太陽


シュマシュ Shamash
שמש =召し使い



ヘブライ語で「太陽」は「シェメシュ」。そして、非常によく似た「シャマシュ」は「召し使い」。このふたつの言葉、つづりは同じでも、意味がまったくちがうはどうして?


太古の昔、人々は太陽を崇めていた。
しかしある時、太陽は崇めるべき神ではないことに気がついた。
太陽は光や生命を与えるが、それよりも大きな神が存在するのだと。
つまり、太陽は神ではなく、神の召し使いであると。

そこで、「太陽」という言葉から、「召し使い」という言葉が生まれた。



もうひとつはこんな言葉。


レヘム Lechem
לחם =パン


「レヘム(パン)」という言葉。そしてそこから生まれたのが、


ロヘム Lochem
לוחם =戦士



ニルヘム Nilchem
נלחם =戦争で戦う



ミルハマ Milchama
מלחמה =戦争




「パン」が「レヘム」で、「ロヘム」は「戦士」。
そこから戦争、戦う・・・?
戦争と平和ならぬ、戦士とパン?

昔、人々はパンを求めて争った。
そうしてパンは戦争、戦士という言葉へと。



人はパンのみにあらず・・・ですが、そう簡単に戦争されるのも困ったものです。
ん?なんだか変なオチですね。


ちなみに、旧約聖書をヘブライ語で読んでいくと、なかなかおもしろい。
他の言語に訳されたものではわからない、ヘブライ語の言葉や意味、語源が「おお~っ!」。
やはり旧約を読むのはヘブライ語が一番でしょうね。




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by ck-photo | 2006-09-17 02:13 | ユダヤ雑学
あれから……
オヤスミといったばかりですが、今日は9月11日だったことを思い出しました。
9・11とエルサレムの話です。2003年に書いたものですが、長いですよ。
コメントにお返事はできませんが、なにか書きたいことがある方はどうぞ。
                                    
(あの日、NYに住んでいらしたせばさんの「9/11が浮き彫りにする日常の営み」へトラックバックさせていただきました。)


________________
      

 2003年。あの日から二年が過ぎ、マンハッタンと同様にこの砂漠の街にも9月11日が訪れる。テレビ画面では去年よりも大げさな感をぬぐえない、アメリカの特集番組が繰り返しセプテンバー・イレヴンを語っている。あの年の9月11日の午後、私は自宅から五分ほどのエルサレムの中心街へと、ベツァレル通りの坂を歩いていた。9月初めの砂漠の街の太陽は厳しく、額はうっすらと汗ばむ。ちょうど坂を上がりきったところで、鞄のポケットが踊った。携帯電話のスキップするような、軽やかな呼び出し音。

 「アロー?」
 「チカ! 大変だ! ニューヨークのツイン・タワーが攻撃された!! 攻撃されたんだよ!」

 早口のニューヨーク訛りの英語で、興奮した友人の声が、耳の奥へ刺すようにして飛び込む。受話器の向こうから、エルサレムの新聞社に勤める彼の緊張と混乱が伝わってくる。太陽の照りつけるベツァレル通りの坂の上で、なにがなんだかわからず、「どこのツイン・タワー?……」と、ピント外れな私。それから一瞬の間をおいて、ツイン・タワーのそびえるウォール・ストリートあたりのマンハッタンが、脳裏に浮かび上がった。

 

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by ck-photo | 2006-09-11 20:06 | 戦争と平和
日曜のない国、学なりがたし・・・
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光陰矢のごとく・・・・
トンネルを抜けるとそこは・・・

出口。



それまでちょっとオヤスミです。



おそらく今週いっぱい。
といってもどこかへ抜け駆けするわけじゃないよ。わはは。
仕事、仕事。


日曜のない国での一週間。
あっという間に時間切れ。
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by ck-photo | 2006-09-10 06:30 | 混沌の文化