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安息日用のパン
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今日はこの「?」なパンのお話でもしましょうか。

安息日用のパンは「ハラ」と呼ばれます。和訳された旧約を読むと種無しパンと書かれていることがありますが、これはまったくの誤訳で、このハラと日常に食べるパンとの違いはなく、イーストも入っていますし、材料も作り方も同じものです。

さて、現在では黄金のドームが建っている場所ですが、それ以前にはそこにはユダヤの神殿がありました。話はその時代にさかのぼります。じーざすさんの生まれる950年も前の昔の時代の話。その紀元前950年頃から紀元70年、ユダヤの第一と第二神殿がローマとギリシャに破壊されるまでの間、ユダヤの人々はこの神殿に基づいた規則の生活をしていました。

神殿とは、そこにユダヤでいう「世界で唯一のカミサマ」が住んでいる場所ではなく、ユダヤの人々とカミサマとがミーティングできるオフィスのようなものとでも言いましょうか。その神殿は誰でもいつでも出入りできるわけではなくて、コハニム(コーヘンの複数形)と呼ばれる神殿の司祭たちがいて(現在のユダヤ系のコーヘンという苗字はここから来ています)、司祭でもなんでもない一般のユダヤの人々は、その当時、収穫物の10%をコハニムの日々の糧として彼らに寄贈していました。

しかし、神殿が破壊されてからは当時の規則や法律は成り立たなくなり、収穫物の10%もコハニムに寄贈する必要もなくなりましたが、神殿の崩壊から現在までかつての神殿の記憶そして未来のいつの日にかまた新しい神殿が建つことを思い続けることが、ユダヤの生活の中に取り入れられています。たとえば小麦や果物などのあらゆる収穫物の一部は、神殿時代のように10%ではなくほんの少量ですが、同じように分けられ、食べられることはありません。

そしてパンを作る時には、まずはじめするのは、こねたパン種の一部をかつてはコハニムに寄贈したように切り取って、それを誰も食べないように火の中に入れて焼いてしまいます。この、「はじめに行う」という言葉をヘブライ語で「ハトハラ」と言い、この部分を「ハラ」と呼ばれますが、これが安息日のパンがハラと呼ばれる由縁。

四角いイギリスパンのようなもの、まあるいもの、いろんなカタチがくっついているものなどなど、ハラの形も様々。その中でも代表的ななものは、4つ編にしたハラ。そして日本の小正月のような安息日には、最高においしいハラを食卓に乗せようとママのホームメイドや店先のおいしいハラが競い合って求められます。

ユダヤの法では、安息日には三度食事をしなければならないのですが、ユダヤの食事ではパンがなければ食事とはされず、安息日の食卓にはハラは欠かせません。一食目となる安息日の晩のフルコースの晩餐とハラ、二食目の安息日のブランチとハラ、そして安息日が終えようとする前に最後のアフタヌーン・ティーならぬアフタヌーン・ハラ、と安息日はハラを囲んでのフルコース。そして安息日が明けた翌日の日曜日などには、残ったハラでフレンチトーストなどなど、毎週こんな風に食べるものだから、みんな太っちゃうんですよね。

おまけのにゃんこせんせー。
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by ck-photo | 2005-01-24 07:25 | ユダヤ雑学
木々の新年 טו בשבט がやって来る!
木々の新年 トゥ・ビ・シュヴァット(טו בשבט)。

朝にベッドルームの窓に当たる雨がやけにうるさいなぁとおもったら、大きな氷の塊のようなものが、空から降っていました。

ここ数日のエルサレムでは「中東に降る雪」ではなく、なんと雹(ひょう)が降る日が続きました。ひょっとすると明日あたりは雪になるのかも。でも、やっぱりここはエルサレム。明日は青空快晴なんてことも可能ですが、短い雨季の冬の間(12月から3月まで)、一年間の雨がまとめて降り注ぎます。

エルサレムから死海へ行く途中の砂漠などでは、これからの2月、3月と砂漠の山々に青海苔を振りかけたようにやわらかな雑草が生えはじめるのを見ることができ、地中海沿岸のテルアヴィヴに向かう高速道路から見える田園地帯なども、雑草が芽を出して日に日に美しい緑色になります。

ユダヤ教では一年のうちに「木々の新年」「家畜などの動物の新年」「王様たちの新年「人の新年」の4つの新年があるとApple&Honeyで書きましたが、今週の月曜日の晩にはトゥ・ビ・シュヴァットと呼ばれる「木々の新年」がやって来ます。この木々の新年とは、エルサレムにあったユダヤ教の神殿に一年の収穫物を税として収めることがそのはじまりですが、これは長々と説明してもつまんない話なので、現在のこのお祝いについて。

トゥ・ビ・シュヴァットの晩、食卓には、デイツ(なつめやしの実)、イチジク(干し無花果)、ざくろ、オリーブ、ぶどう、麦、ナッツ類、キャロブ、スターフルーツ、など、イスラエルの土地から採れた7種類の作物をメインに用意し、春の訪れである木々の新年を家族でお祝いをします。


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この晩には安息日などと同じようにワインが飲まれますが、自然界の冬から春への色の変化を感じるようと、はじめのグラスは白ワイン、そして次はロゼ、そして最後には赤ワインという順番でほんのりと少しずつ色づくグラデーションで飲まれます。家庭によっては同じようにテーブルに白い花、ピンクの花、そして赤い花を飾ったりして、もうすぐやって来る春が待ち遠しい夜となります。

まあ早い話、ユダヤ版節分のお祭りのようなものでしょうか。
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by ck-photo | 2005-01-23 07:17 | ユダヤの暦
箱の中からこんなものが出てきたよ
前々からこの写真を載せようと思いつつもすっかり忘れていましたが、机の下を掃除していたら現物が出てきたので「あ、そうだった。」と、今更ながらに思い出しました。

さてさて、取り出したるは一つの箱よ。ちょっとピンボケごめん。
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そして、ひとおつ、中から取り出したるは?
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ダイビングのマスク・・・ではござらんよ。ガスマスク。と注射セット。ガスが散布されたらこのペンみたいなのをブスッと太ももにどーぞ。

このガスマスク、イチオウ賞味期限がありまして、あ、使用期限ですか。この前のアメリカのイラク攻撃に当たって、イスラエルでも万が一に備えて全国民に新しいマスクの交付がありました。古いマスクを交換所に持っていくとそれを無料で新しいものと交換してくれますが、余分のマスクがほしい場合や外国の方などは100シェケル(3000円ほど)ほどだったかで購入可です。 しゃれにもお遊びで「かぶっちゃいました♪ う、息がでけん!バタッ。」ってのは、ちとイヤですので、被ってみたところはご想像にオマカセ。
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この見た目、何のヘンテツもない部屋のドア。実は自宅内の一室のこの部屋は、「しゃえるた~」。部屋の中の窓にも頑丈な鉄の重たいドアが付いていて完全シャットアウト(のはず・・・)。

エルサレムにはこういった個人の家の中だけではなくて、外にもいろんな所にしぇるた~があります。普段はシナゴーグになっている地下しぇるた~も近所にあります。その他ではアパートの建物の地下が住人共同のしぇるた~になっているところが多いですね。

そういえば、湾岸戦争や先日のイラク攻撃の時などは、町中でこのマスクの箱を肩からぶら下げて~、ってな姿がよく見られました。ワタシはおしゃれさんなので、こんな不細工なものはぶら下げられません・・・ってのはウソですが、まあ、エルサレムの場合は、一応イスラーム教徒にとっても聖地とされているのと、アラブの人も大勢住んでいるので諸アラブ軍からの攻撃はないでしょうし、マスクもしぇるた~もいらないと思いますけどね。ま、用心には越したことがないということで、新市街などでもコンピュータバッグのようにごくごく普通に掛けて歩く姿が見られました。

と、こんな季節外れの、時期外れですか、のエルサレムのしぇるた~&ガスマスク事情でした。
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by ck-photo | 2005-01-18 06:54 | 中東の職人技
アラビアン・コーヒーと水煙草でも。
旧市街のアラブ地区のおっちゃん専用のカフェ。この「カフェ・おっちゃんの集い(勝手に命名)」へ水煙草をぷか~ぷか~っと吸いに近所のおっちゃん達が「よ~!」とご機嫌で集まってきます。イスラエルで初めて水煙草を見た時は「・・・あ、あやしい!オピウム???」などと、かな〜り、とんちんかんでしたが、「た・ば・こ」なんやね、これ。

いつもここの前を通るたびに、いいなぁと思っていたのですが、なんてったって、くちひげおっちゃん連中しかいませんから、・・・入れませんでした。が、今回は物珍しげに外から見ていたら中のオニーチャンが手招きするので、ちゃっかり座ってみました。店内は15人ほどのイスラームなオトコ連中のみ。かなりドキドキものでしたが、向こうもアジアの珍客には目じりがちょっと下がり気味に、ぷか~ぷか~。
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この水煙草、りんご味、バナナ味、シナモン味などなど様々な味付き。個人的にはりんご味がグー。普段煙草は吸わない私でも水煙草は吸えますが、何と言っても吸った後には「クラ~クラ~」。世界がグルルルルンッと回っちゃいますので、最近では吸うこともなくなりました。最近六本木かどこかで高いお金を払って水煙草がすえるバーがあるらしいですが、やっぱりあれはお飾り的なニッポンのお遊びであって、こちらではこんな所です。

そんでもって、アラブ・コーヒーとミントティーの登場です。この「カフェ・おっちゃんの集い」には水煙草とこれ以外には何もおいてないし、メニューなんてハイカラなものもありまっせん。そんなもんなんですなぁ。
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e0009669_6504525.jpg、アラブ・コーヒーはこの頬のこけたオニィチャンの手元にある真鍮のポットやキッチンの壁に掛けてあるポットでコーヒーを沸かしてくれて、カルダモンとコーヒーのすんごくいい香り。パチパチと真っ赤に燃えている炭ですが、これは水煙草用。

ちなみに気になるお値段ですが、グラス一杯のアラブ・コーヒーとミントティー、共に5シェケルなり。100円ちょいでしょうかね。同じもの(しかもそれほどおいしくない)を新市街のおっしゃれ~なカフェで頼むと12シェケルぐらいでしょうか。

そしてそのキッチンとは・・・・。ははは、ガッチャガッチャ。こんなんですわ。ま、汚いキッチンの食堂のほうがおいしいよね、ってよく言いますよね。あー、それって一昔前ですか?今はおしゃれに清潔な食堂のキッチンなのかな。壁につるされているのはアラブ・コーヒー用のポット(おなべ?)の数々。すべてが実用的でおしゃれ~なんて関係ないこの「カフェ・おっちゃんの集い」ですが、なんだかこれだけでも絵になるなあ。
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by ck-photo | 2005-01-16 06:42 | 中東の食卓+α
アメリカン・コロニー・ホテルにてコーランの響きを聴きながら
さてと。

先日の東エルサレムの旅の話が途中でちょん切れたままでした。

旧市街を出てから北上して、東エルサレムのアラブ地区の中を歩いて行ったのですが、その前日に旧市街でかなりの数の写真を撮ったおかげで、この日アラブの町で撮った写真のほとんどはピンボケでございまして、あまり載せられるような写真がありません。あの日、カメラを構えると筋肉痛というかね、腕がぶるぶるしちゃって・・・。

まあ、それはいいのですが、あれから「?」の看板や電気屋さんやレストランなどが並ぶ通りを通り抜けると、あら?こんなところにイスラエルの国旗がはためいて、建物の前には二人のガードマンが仁王立ちでマシンガンを担いで立っている。出入りしている方の格好は、ほぼ、正統派ユダヤひげもじゃ。「ベイト・ミシュパット」・・・ああ、裁判所の一種ですか。そしてここへ出る途中にとてもきれいな庭のあるお屋敷の前を通ったのですが、ひょっとしたらアラブのお金持ちのお屋敷かなとワクワクしたのでしたが、正面に回ってみると「Albright Institute(オルブライト研究所)」と。なんだ、がっかり。

e0009669_6314530.jpgそして、次に目指すはこちら。エルサレムでも、というか、ある意味で世界的に有名なホテル、「The American Colony Hotel(アメリカン・コロニー・ホテル)」へと。

この歴史あるアラブ経営の美しいホテルですが、現在では欧米からのジャーナリストご用達で、しかもほとんどの方が親パレスチナなのを常々とても不思議に思っていたのです。  

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去年の記事の「アメリカン・コロニー・ホテルから、和平への道」では、「お金儲けのためなら握手もしちゃおう!」と、パレスチナとイスラエルのホテルマネジャーたちがこのホテルで落ち合って頭を抱えて、経済回復のために現状についてを語り合ったという事を書いて、それはそれで、そんな理由からでも両者が仲良くできるのならばそんなにうれしいことはないじゃないか、と思っていたこのホテル。

e0009669_6344225.jpgクリスマスから新年にかけては、ジャーナリストではなくて、欧米からの観光客や巡礼客で賑わいを見せていて、ここのアラブ・コーヒーがなんとも言えずおいしい。

ホテルの入り口は今通ってきたアラブの町の様子とは別世界的にライトアップされ、どこかヨーロッパの小さなホテルのようなたたずまいさえ感じられる。

そして足を一歩踏み入れたホテル内は石造りのアラブ・スタイルで、しかもそこに施された赤と緑のクリスマスのデコレーションがなんともミスマッチなような不思議な華やかさ。個人的には普段のさりげないアラブな内装が好きなのですが。

ホテルの奥のカフェには、アメリカからのキリスト教徒の宿泊客でいっぱいで、アラブの若い男の支給人達がくるくると忙しそうに働いていて、しかも彼らは客を王様のように扱うのがとてもうまく手馴れている。どうもここへ来ると誰も彼もが王様とお妃様になってしまうよう。

このカフェで、新市街のカフェよりも遥かにおいしくしかも値段も半額ほどのアラブコーヒーを注いでは飲みしながら、その心地よさに辺りを見回す。耳に聞こえてくるのは英語ばかりで、そのうちにその合間から夕方の祈りのコーランが響いてきた。

このホテルの空間は東エルサレムのアラブの町に作り出された架空の空間と言ってもいいほど、ここの現実ではありえない、とてもうまく計算された空間だということに気がついた。アラブ独特の装飾的で少しナルシストな客人のもてなしのあり方と、この現実離れした幻想的な空間に、それとはまったく異なる外の現実から流れてくるコーランの響きは、ここに実際の生活を持たない外国人には何と言っても感覚を麻痺させるほど魅力的というほかに言葉はない。

このホテル内のそういった空間は、まったく装飾的ではなくひたすら実質的なユダヤには決してまねのできないもので、そういう意味では彼らには到底太刀打ちはできないのだなぁと。

深い落ち着きのある椅子に座ってアラブコーヒーを注ぎながらコーランを聴きながら、そしてすっかりと日が沈んだ東エルサレムの通りへとホテルを後にした。通りはただ簡素で味気なく色もなく、そこから新市街のユダヤの正統派の黒いゴミゴミとした町へと、現実へと、道は続いていた。

なぜここに泊まるジャーナリストが親パレスチナなのか、またはここに泊まる事によってそうなるのか、なんだかちょっとだけわかった様な、そんな気がした。

さて、おまけ。ホテルなどの化粧室チェック、好きなんですねぇ。ここの化粧室はなかなかグー。さほど大きくないですけど、清潔・実用的かつ落ち着く、の3拍子。赤ちゃんのおしめ替え様のベッドもちゃんとありました。e0009669_6351841.jpg
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by ck-photo | 2005-01-14 06:33 | エルサレム・エルサレム
あなたはリチャードさんではござらんか。なぜここに?
ぱらぱらと読んでいたインターネットの英字新聞の記事で彼の姿を拝見。
よ、大将、おひさしぶりっ。

が、しかしやね。
なんで思いっきりアメリカ~ンなあんさんがここに???

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パレスチナのテレビ放送でのリチャードさんいわく。

「Hi, I'm Richard Gere, and I'm speaking for the entire world,We're with you during this election time. It's really important: Get out and vote!」

だそうな。しかも最後にはアメリカ~ンなアラブ語で「投票に行こうぜ!」。

東エルサレムのパレスチナ人住民の多くは、イスラエルの住民票を保持しているので、今回のパレスチナ自治区・議長選挙にはほぼ無関心。だって、彼らは同じパレスチナ人でも自治区のことなんて関係ないのね。エルサレムの生活のほうがいいに決まってますわなぁ。それに対して東エルサレムの票を得たいが為の自治区の苦肉の策が、この「リチャードさんだってテレビで呼びかけなんよ」攻撃。

昨日の自治区の資金話ですが、こんなところに使われちゃうのね。一体彼への出演料は???まさか良きチベット仏教徒(彼ね)の世界平和へのボランティアってこともあるまいに。

あはは、ああ、あほらしっ。
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by ck-photo | 2005-01-12 06:24 | 戦争と平和
アッバス君へ。議長当選へのはなむけの言葉。
こんなドキュメンタリー番組を見た。

ヨニ君は若きユダヤ人で、家族とともにエルサレムでごくごく普通に暮らしていた。しかし、数年前のあの日、彼の乗ったバスでパレスチナ人が自爆して、多くの人たちが帰らぬ人となった。そして高校へ通っていたヨニ君も帰らぬ人となった・・・。

ヨニ君の母マーシャさんは、ヨニ君の一部でも生き続けて誰かの生を助けるのならばと、彼の腎臓を臓器移植へ提供することを決め、そしてすぐに医者からヨニ君の腎臓を必要とする瀕死の幼い少女がいると告げられた。

マーシャさんに告げられたこの少女は、西岸地区に住むパレスチナ人だった。ヨニ君の命を奪ったのはパレスチナ人であり、ヨニ君の腎臓に生死が託されているこの少女またも同じくパレスチナ人だ。そして当時パレスチナ人の70%が自爆攻撃を支持していた現状でも、イスラエルの病院ではこのような病人に対してパレスチナ人もイスラエル人も宗教も何も関係はない。

マーシャさんは、彼女の息子の命を奪ったパレスチナ人と、そしてこのパレスチナ人少女との間で葛藤しながらも、移植を許可を決意し、数年後に東エルサレムとパレスチナ自治区のラマッラという町の間に住むこの少女、ヤスミンちゃんの家を初めて訪ねる。

エルサレムからこのパレスチナ人地区である西岸地区へユダヤ人の女性が一人で尋ねるのはとても危険だ。パレスチナ人運転手のタクシーの車内からマーシャさんは緊張した面持ちで外を眺める。この時に、ヤスミンちゃんの父親が画面に向かってこう語る。ヤスミンちゃんが緊急にイスラエルの医者にかからなければならないたびにチェック・ポイントで引っかかり、娘が病気だといっても疑われるか、相手にされずに立ち往生するのだと。これは過去に産気づいた妊婦や病人を装ったりなんだりしてイスラエル側に入り自爆したパレスチナ人がいるから、というのも理由の一つである。

マーシャさんは西岸地区へ入るチェック・ポイントを通り抜け、ヤスミンちゃんの家を訪れる。

ヤスミンちゃんの父親が笑顔で玄関の扉を開ける。そして家の中に案内され、彼女ははじめて見る元気な、ヨニ君の一部と共に生きているヤスミンちゃんの姿に涙したその姿に、スカーフをかぶったヤスミンちゃんの若い母親は「パレスチナ人もイスラエル人も同じよ」とやさしく告げてマーシャさんの肩を抱き、マーシャさんはその言葉に胸が詰まる。

6歳ぐらいであろうヤスミンちゃんは、彼女の腎臓がいったいどこから来たのかを両親から告げられ知っていて、生前の笑顔のヨニ君の写真とヤスミンちゃんの写真をつなげた大きな一枚の写真を抱えてマーシャさんの隣に座り、彼女の父親は「これは君のお兄さんのヨニ君だよ」と囁く。

と、まあ、言ってみればイスラエルのユダヤ人とパレスチナ人の両者を絡めた典型的なお涙頂戴物語的ドキュメンタリーなのだけど、それなりに見終わった後に心に残るものもあった。パレスチナの次の世代の見るイスラエルとの関係に、少しは期待ができるのだろうか。

これまでのパレスチナ自治政府は難民やイスラエルの攻撃による子供の死を売り物にして世界の注目を集めようとしてきたし、アラファト議長が亡くなった時には、世界の長番付10位内に入るほどの財産または資産が暴露された。自治区の1人当たりの国民所得は第二次世界大戦後にアメリカが実行したマーシャル・プランというヨーロッパの復興計画の時の金額よりもはるかに上回り、しかしそれでもヨーロッパは見事に再興し、パレスチナ自治区内にはいまだまともな設備の調えられた病院のひとつもないということは一体どういうことなのだろう。

パレスチナとイスラエル、どちらがいい悪いじゃなくて、そろそろいい加減に現実的な解決策を「実行」してほしいところ。世界はこの件に関しては相変わらずで、でもアッバス君よ、君はこれからどうするのだろう。

そして、ニッポンの首相さん小泉さんよ。アラファト議長亡き後、この1月10日にアッバス議長誕生となったお祝いなのか何なのか、ニッポンはほんの63億円ほどの緊急資金を補助するらしいね。これだけの金額がほぼ無駄(おそらく)に流れるのならば、日本の今もなお再興できていない神戸や新潟や、その他の国内でもこの資金を当てるべきところは色々とあるんじゃないだろうか。
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by ck-photo | 2005-01-11 06:06 | 戦争と平和
日曜日の哲学カフェ 「夜と霧」第3章 死の蔭の谷にて
さて、年も明けてちょっと日もたちましたので、お約束通りに「日曜日の哲学カフェ 夜と霧」の再開です。この『夜と霧』はヴィクター・フランクルの代表的な著ですが、同じタイトルでフランス人の映画監督アラン・レネによって1955年に36分ほどのドキュメンタリー映画にもなっているんですね。

昨年の最後の章では収容所へのはじめの生活での典型的な反応の初期について読みましたが、今日はそこからさらに次の段階へ進みます。

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「この瞬間、眺めているわれわれは、嫌悪、戦慄、同情、昂奮、これらすべてをもはや感じることができないのである。苦悩する者、病む者、死につつある者、死者―これらすべては数週の収容所生活の後には当たり前の眺めになってしまって、もはや人の心を動かすことができなくなるのである。」

「夜と霧」第3章 死の蔭の谷にて。


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フランクルの言う無感情、無感覚ですが、実はこれに似たようなことを体験したことがある。もちろん、収容所での体験とはまったくレベルが違うとは思いますが。

エルサレムに住みはじめ、2001年の秋ごろからあちこちでパレスチナの自爆攻撃によってバスやカフェ、ホテルなどが突然爆発し、多くの方が亡くなってゆくのを身近に感じて生きています。死と生が本当に真横に、紙一重のところにあるという気がいつもしています。そして、ブログでも書きましたが、不幸なことにも去年の9月のエジプトの自爆攻撃では知り合いを亡くしました。

そういった生活で、私の心の中で、人がこういった形の爆発によって亡くなっていくと言うことに非常に無関心で無感情に陥ったことがあります。ニュースで「今日の午後どこどこどこで爆発して30人亡くなった」と聞いてその場面を見ても、あっさりと「ふーん」なんですよ。

もちろん2001年の秋からそういうことが始まって、最初のころは街を歩くたびにビクビクして、悲しくて。エルサレムの街自体深く沈みこんで喪に服していましたし、そういった悲しく恐ろしいニュースを聞くたびに胸が痛くて、次は自分とはどうして言い切れないのだろうかとかね。そういう毎日だった。

でもね、もうそれから何年もたちますから、どこそこで爆発した、人がン十人死んだ、はすっかり日常の一部になってしまった。これはぶっちゃけた話、異常な日常なわけですが。

こう言うと情がないのかとか非常識だとか、外部の人はそう思うかもしれない。でも実際にそういう爆発音の響く日常を過ごせばそれに否応でも慣れてくるし、ある意味、それに対して感情的には死んでしまったようなところがある。そしてまた変に楽観的な自分もいたりして。きっと心理学的理由はいろいろとあるのでしょう。ただフランクルの言うように「死につつある者、死者―これらすべては数週の収容所生活の後には当たり前の眺めになってしまって、もはや人の心を動かすことができなくなるのである。」と、いうことなんだろうなぁと。

しかしある時、どこかでの爆発をニュースを見ていて、なんとも思わずにいる自分に気がついて、あれ、やばいなぁと。この人が亡くなって行く事実をなんとも思わない日常の麻痺した感覚がとても恐ろしいと。

それでも、知人が9月に亡くなったときはさすがに何度も泣きましたし、今でものどの奥が熱くなります。でも、あの時、そして今でも泣くことができるのにちょっと驚いたくらいです。といっても、普段の日常生活に支障があるわけでも心理的に重大な障害や問題があるわけでもないんですけどね。

ちょっと落ちがなくなっちゃいましたが(・・・落ちなんてなくてもいいんですけど、一応関西人なので、どうも落ちのない話はすっきりしませんワ)。
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by ck-photo | 2005-01-09 05:41 | 日曜の哲学カフェ
えるされむの地図 へぼへぼ版
東エルサレムの続編へ行く前に、もう少し地理的なことを見れたほうがわかりやすいかな、と言うことで、勝手にエルサレム地図編です。地図屋さんが見たらウナダレソウな簡略地図ですが、まあ、お遊びということで。

エルサレム市内の70%がユダヤ系の町でブルー。残りの30%がアラブ(キリスト教徒とイスラーム教徒)の町で、ピンク(ちょっとこの地図上の色分けの割合はおかしいですけどね)。

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新市街の中央あたりがうっすらと紫っぽくなっているのは、東エルサレムのアラブ住民も働いたりショッピングに来るためですが、その反対にユダヤ住民は東エルサレムのアラブの街へはほとんど行かないのでピンクです。

ちなみに、旧市街からテルアヴィヴへ至る一本の道はJaffa(ヤッフォー)通りといって、昔はこの道一本が地中海に面した古いヤッフォーの港から砂漠の中をエルサレムの旧市街へと延びていたそうです。
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by ck-photo | 2005-01-07 05:32 | エルサレム・エルサレム
アラブな東エルサレム
さて、去年の「2004年 あんたがイスラエル一の大貧乏!」大会で優勝したエルサレム市ですが、これを書いた時点ではまだ多くの方が「イスラエルではアラブの町や村が一番貧しいはず」と思われていたようでした。

日本やその他の国では、イスラエルについて限られたメディアから入る情報に頼るしかないので、ごもっともな誤解ですね、はい。さらに、一昨年の輝かしき貧乏ナンバー1の街も、アラブの街ではなく正統派ユダヤ・オンリーの街、べネイ・ブラクでした。

では東エルサレムのアラブの街は一体どういう感じなのかというと、アラブ・クリスチャンの住人、アラブ・ムスリムの住人の街で、エルサレムのユダヤの新市外とはまったく異なる文化圏。
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多くの女性はスカーフにコート、男性も赤や黒のチェックのケフィヤをかぶっている人が多い。言語に至っては、イスラエル国内のユダヤの街の共通語であるヘブライ語はほとんど聞こえず、アラブ語オンリー。タクシーやミニバスもアラブ語表記でヘブライ語はなし、ナンバープレートの色も異なり、路線はアラブの区々を結んでいる。そして物価もユダヤの街に比べるとかなり低いが、生活基準がかなり低いのかと言われるとよくわからない。店先を見る限りでは、最新の電化製品も多く、ベネイ・ブラクなどのような貧困な雰囲気は伝わってこない。

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写真は東エルサレムの電器屋。もちろんユダヤ人の客は一人もいないし、ユダヤの街ではあまり見られないクリスマスツリーが飾ってある。

アラファッちゃんとアバス氏のポスター。これもまたユダヤの街では絶対に見ることのできないモノのひとつ。
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こうやって見ると同じひとつの街でありながらまったく異なった世界が作り出され、お互いが混ざり合うことは少ない。というか、東エルサレムから西エルサレムのユダヤの新市外へはアラブの住人たちはごく普通にやって来るが、その反対はほとんどあり得ないのが現状なり。

ま、このあたりもまたいずれくわしく書けたらいいなあと。
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by ck-photo | 2005-01-06 05:12 | 混沌の文化