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彼の心理を探る!なんちて。
さてと。

なんだかここ数日いろいろと話題満載の中東ですが、では本場中東のイスラエルでは何が話題なのでしょうかと言えば、やっぱりシャロン首相のガザと入植地の撤退に関するゴタゴタ。そして、なんと言ってもアラファト氏のパリ入り。テレビで見る車椅子に乗ったブルーのジャージ姿におそろいのブルーのボンボンのついたスキー帽のアラファトちゃん。何だ、思ったより元気そうではないですか。いや、そうは見えても本当に重態なのかもしれない。でも、これももしかしたらいつもの手なのでは?!
 

そこで仮想。題して、

e0009669_3343647.jpg「僕ちゃんおフランスに帰りたいの作戦」

昨日の昼下がり。体調が優れぬにもかかわらず、ラマダンでお腹をすかせたアラファト氏は、ラマッラの自宅でゆり椅子に座りながらこう考えていた。

「アメリカではブッシュとケリーの選挙で盛り上がって、中東への関心が遠のいたぞ。この前のミサイルのことで怒っちゃったヨーロッパやアラブ諸国の政治家も選挙に関心が少なからずともあるんだろう。なんか僕ちゃんの影が薄いぞ。こりゃやばい。

ラマッラの東京通りにパレスチナ文化センターなんてものを作ってくれたお人よしのニッポンも新潟地震とイラクの邦人人質事件で精一杯やしなぁ。

強敵シャロンは右派を抑えてまでもガザ撤退なんて劇的な動きを見せて、世界にアピールするイメージ的には僕ちゃんよりも断然いいじゃんか。って、ことはこっちもこれからはまともに対応せなならんのけ?自爆作戦ももう先が見えんしなぁ。はぁ・・・なんだかため息が出ちゃう。最近の自治政府内でももう僕ちゃんの評判はがた落ちで、悪事の数々もばれちゃったし。かと言っていまさら引退もできんやんなぁ。んじゃ、僕ちゃんはどうなっちゃうのよん?ほんで今、ラマダンやしなぁ。なんや腹減ると頭が回らんわ。あー、ほんま、腹へったなぁ・・・。

・・・ズー、ズー、ズー・・・ずびびびっ。

・・・はっ!寝てもうたがな。うたた寝するなんて僕ちゃんももう年なのね。持病の病もなんや、ゆっくりゆっくりやしなあ。

おっ!せや!わかったで!これや!!気ぃ失ったろ!かわいそうな僕ちゃんに愛の手を!そんでもって、自治区脱出や!でも他のアラブ諸国はいややで、信用ならんわ・・・。そや!おかあちゃんの待ってるおフランスの、しかもパリのホテルの最上階に戻ったんねん!

ほな、後はもう知らんで、おまえらで勝手にやってくれよ。

おーい、医者や医者!医者呼んでんかっ!気ぃ失のうたるから、今から。」

余談:いやいや、中東事情、まじめに書こうかを思ったんですが、なんだかアホらしくなったのでこんな形になりました。事実以外の部分はあくまでも仮想ですのであしからず。って、そりゃあたり前ですね。
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by ck-photo | 2004-10-29 03:35 | 混沌の文化
胸に掲げられた星を見つめなおしてごらん。
「イスラエルに行きたいのですが危険ですか?情報を下さい。」という問い合わせが年がら年中、とても頻繁に送られてきます。

情報をくれというのならば、差し上げますと、たいていの場合はアホみたいに返事を書くのですが、こういった問い合わせをしてくるほとんどの方に、なぜ来るのか、と理由などは当然問いません。ただ、この中東へ来たいと言う時点で、当然彼らはしっかりとものを見て考えて、判断できる基礎が日本での生活でできている方であろうと判断しているからです。

でも、私はどうも間違っているようです。

まず、こういう方たちにお返事をまじめに差し上げて「ありがとう」のメールをもらったことがないのです。憶えているかぎりでは一通もありません。そして、新たな質問があるとまたメールを返信してきますが、そこの最後にちょこんととって付けたように「どうも。」というように気持ちのこもらない感謝があらわされている。

そこにどうしても疑問が生じます。こんな初歩的な人と人との間の常識すらない方が、なぜ日本の外で、しかもこの中東でやっていけるのでしょうか。一体なにを得られるのでしょうか。自分を探す、日本ではない場所で何かをやってみたい。それはそれでいいでしょう。でも、その前に自分の足元を見てほしい。自分の立っている地点をみて考えてほしい。


以前、こんなユダヤの若い女性に出会いました。
ハタチ過ぎぐらいの彼女はちょうど結婚間近でした。彼女とてもは仏教に興味があって日本という国に行って見たいと。しかもアジアを旅することは兵役を終えた若いイスラエル人にとても流行っているからとも。

そこで私は彼女に聞きました。

「あなたはすぐに結婚するけれど、自分のルーツについて何か知っているのですか。」と。

彼女はユダヤのことについては特に関心はないし、何も知らないと答えました。
彼女に言いました。

「自分のバックグラウンドを知らずにどうして他のことが理解できるのですか。自分のルーツのユダヤ教を知らずにどうやって他人の仏教を理解できるのと思うのでしょうか。」

すると彼女はちょっと苛立って言いました。

「私はユダヤ教には興味がない!って言ったでしょう!」

私は言いました。

「あなたの胸に下がっているきれいな星のネックレスは何ですか。どうしてあなたはそれをつけているの?」と。

彼女は言いました。

「母にもらったのよ・・・・。」

「あなたのお母さんはどうしてそのユダヤの星を結婚前のあなたにあげたのかわかる?」

そう尋ねると、彼女ははっと気づいて、そしてこう言いました。

「そうね、私は自分のことを何も知らないわね・・・。そんな自分が外へ出ても意味がないわ。まず、ここでユダヤのことを、そう、つまり自分のことを知らなければ。それが先決ね。日本にはまだまだ行けないね、うんん、きっとまだ行くべきではないのね。今の私が行っても何も見えないでしょう。ありがとう、目が覚めたわ。結婚式には絶対に来てね!」
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by ck-photo | 2004-10-28 03:29 | 混沌の文化
なんちゃってジャーナリスト、サイクリングへゆく。
昨日のニュースでまたしても邦人がイラクで人質となる事件が報道されていました。最初はふ-ん、またかい、という程度でしか気にとめていなかったのですが、今日のニュースを読んでいると新たな情報が載っているではないですか。

彼はイラク入りする2、3ヶ月前にテルアビブでバイトをして資金稼ぎ。あらっ、テルアビブって、イスラエル。ふむふむ。そして、アンマンへ入ってそこからイラクへ渡ったと。えっ?アンマンへはエルサレムからって、ひゃっ、それってここから?

なんでしょうね・・・。なんと言ったらいいのでしょうか。

もしかしてこの前あそこで見たヒッピーっぽい旅人は彼だったのだろうか。いや、あっちの通りですれ違った長髪の彼がそうだったのかも・・・。そう、多いのですよ、エルサレムには日本人のパッカー君たちが。そして彼らは往々にして現地の人は絶対に行かないような、その国のいわゆる「危険地帯」へ嬉々として乗り込むチャンスをうかがっているようでして。なんちゃってジャーナリストを語り、ほいっとそのへんの自転車なんかに乗っかってサイクリングにでも行くかのようにして、仮にもピリピリと戦闘が行われているラマッラやガザ地区などの町へ軽装で行ってしまうのです。


そして彼らが口をそろえたように発する言葉は、

「真実を見たいんだ」

サイクリングへ出かけた彼らは、一週間やそこらでこの土地で起こっていることの真実とやらを掴むのだという。ちょっと待ってよ。この国にかかわって10年とその1/2のオンナ一人、エルサレムの町に在リけり。真実なんてものがそんなに簡単にわかるのならば、このエルサレムのオンナの費やした10年とン年は、単にそのオンナがとんでもなくアホウなだけなのだろうか。いや、そうに違いない、きっとそうなんだ、うん、それが真実だったんだね?なんて、小さな頭を抱えてしまうのですよ。

ニッポン人の「なんちゃってジャーナリスト」予備軍のオニィ様、オネェ様方は、こうしてどこの誰かもわからない異国の覆面人たちに「首をちょん切るぞ」と脅されること、が彼らの知りたかった真実なのでしょうか。仮に真実などというものが見たければ、それは西岸地区やガザ地区へちょっとサイクリングに出かけてばったり出会うものではない。

本当に真実を、そして自分を探したいのならば、こんな所までわざわざ出かけてこなくても他にいくらでも道はあるはずです。「日本ではない」他の土地で、ほんのちょっとの好奇心が、ほんのちょっとのサイクリングが取り返しのつかないことになってしまう可能性が多々あるということ。それが特にこのあたりの土地の現実なんじゃないのかと。そして「日本人だから大丈夫」は、この中東あたりでは通じない。その反対に、日本人はいいカモになったりもするのです。

これもまた、人生の目標や目的を見出せない殺伐とした、欧米の表面だけをまねっこしているコイズミ日本の現状を反映しているのでしょうね。さて、今回は首相さんはどうするのでしょうかね・・・。
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by ck-photo | 2004-10-27 03:23 | 混沌の文化
ユダヤの葬式とシヴァ
新潟の地震でたくさんの方が亡くなっているようで、まだ暑い中東(北海道ではもう雪だそうです)からそれを実感するのはなかなか難しい。でも数週間前のエジプトの事件では私自身が突然に知り合いを亡くすという経験をしましたことからも、犠牲者の方々、そしてご家族の方に心からお悔やみを申し上げます。

さぁ、気を取り直して。今日はユダヤの葬式について。

ユダヤでは仏教のようにお通夜というものはなく、人が亡くなってからできるだけ早く葬式をし土葬されます。土葬される時は、キリスト教のように棺桶はなく、白い布に巻かれて直接土の中に埋められます。これは、神がアダムを土から創られたように身体のすべてが土に返るようにとされています。そして、この世を救う救世主が将来に現れたときに、全ての死者が蘇るとされているユダヤの救世主の概念からで、その蘇りを妨げないようにと、棺桶などの邪魔なものは一緒に土葬されません。

エジプトの事故やバスの爆発などで亡くなった方の遺体は、必ずしも五体満足というわけでもありません。そういう時には正統派ユダヤの専門ボランティアなどの方が、路上に、壁に、窓ガラスに、あちこちからほんの小さなかけらをも探して集めるというとても大切な作業をします。うーん。ちょっと生々しい話になりましたね。

そして葬式が終わると、遺族はシヴァと呼ばれる7日間の喪に服します。仏教の初七日のようなものでしょうか。このシヴァの期間、遺族は心地よい椅子などには座らず固い床に直接座り、上着には切れ目または直接に生地を手で裂いて悲しみを表します。そして遺族は7日間、家を開放して、亡くなった方の友人や親戚などの訪問者を待ち、亡き人について語り、悲しみをわかち合い慰めあい、訪問者は遺族を心からいたわります。こういう助け合いの心と行いはユダヤの社会ではとても根づいてるように思います。

シヴァの7日間が終わると、遺族にはそれからの一年間の喪がはじまります。これはほとんどの場合は自分の両親の死の場合ですが、兄弟などの死でも行われることもあります。一年間の喪の期間では、パーティーやコンサート、結婚式、お祭りなどの一切の祝い事の催し物には参加できません。愛する人を亡くしたことを受け入れる過程では、こういった楽しみの行動を制限された喪の時間はとても大切なのでしょう。

私も何度かシヴァに行った事があります。中には悲しいだけではなくてなんだかおもしろいシヴァさえありました。亡くなった人について悲しむだけではなく、彼らが残した美しく楽しい思いでも語られていました。
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by ck-photo | 2004-10-26 02:42 | ユダヤ雑学
塩の玉
先日、死海に行ったときに拾ってきました。
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こんな塩の塊がゴロゴロゴロゴロ。
足の裏に刺さってちょっと痛かった。
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ナトリウムが多すぎて料理には使えないのが残念。
この塩をお湯で溶かしてソルトバス、足用のセラピーなんかにグー。
死海の水もしかり。
お肌ツルツル。
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by ck-photo | 2004-10-24 02:18 | 中東の職人技
散らばった羽毛のごとく
さてと。今週はバタバタしておりまして、ニューヨーク時代にお世話になったというか、お世話させられたというか、勝手に「愛する我が叔父」と呼んでいるユダヤのおじ様がエルサレムを訪問。なかなかおもしろい一週間でした。

そこで、彼と話していて思い出したユダヤの話をひとつ。

ーーーーーーーーーー

男はいつものように、人の噂話や陰口を叩いていました。しかしある時、とあるきっかけで、男は一人の人についてまったく思い違いしていたことに気が付いた。

そこで男は白いひげのラビ(ユダヤ教の教師)を訪ねて行き、その人に今まで言ったことについて謝りたいが、一体どうしたらよいかと尋ねました。

ラビは言いました。

「この羽毛入りの枕を持って市場へ行きましょう。」

男は何がなんだかわからずに、でも言われるままに枕を持ってラビと市場へ行きました。

男はラビに尋ねます。

「さて、ラビ、市場に着きましたが、それと私の質問とどう関係があるのですか。」

ラビは男に言います。

「ではここで、この枕を破って中の羽毛を全部取り出してみなさい。」

男は言われるままに枕の中身を取り出しました。すると瞬く間に羽毛は風に乗ってあたり一面に散らばり、あちらこちらへ飛んで行ってしまいました。

ラビは男に言います。

「では今度はこの羽毛をすべて元のように集めてごらんなさい。」

男は答えます。

「ラビよ、それは絶対に無理です。もう探しようがないくらいに、あっちこっちに散らばってしまいました。」

ラビは男に言います。

「その通り。そしてそれはあなたのしたことと同じではありませんか。散らばった羽毛も、もう発してしまった言葉も、いくら謝っても元に戻すことはできない。あなたは言葉を発する前によく考えるべきでした。」

男は自分のした事の重大さに頭をうなだれました。


ーーーーーーー

ユダヤの教えでは、例えそれが真実だったり、または良い噂話であっても、「人の噂話をすること」や「他人についてあれこれ話すこと」は非常に避けなければならない事としています。タルムードと呼ばれる経典では、人前で他人を罵ったりおとしめたりと、辱めることはその人を殺すのと同じに値すると説かれています。人前で他人に精神的な苦しみを与えることはそれほど大変な過ちであり、人を殺したあとでいくら反省してもその人は生き返りはしません。元に戻らぬ散らばった羽毛と同じように。言葉の持つ力を知らなければなりません。

旧・新約聖書では「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」と書かれています。つまり、自分にされて嫌なことは、人にはしてはいけないということ。こう言われれば「そんなことは当たり前じゃない」と思っていても、ついつい自分かわいさに忘れてしまいがちなことです。何事でも行動するにあたって、まず自分がその人の立場に置かれた時のことを思い描いてみる。すると一つ一つの行い、言葉、はおのずから違ってくるのではないでしょうか。

そして、「ごめんなさい」と謝ること、これは何度口から出ようが、言えばよいというものでもない。過ちを犯したときに、その過ちに気付き、本心から「同じ過ちを二度と繰り返さない」と思えばこそ、そこではじめて「ごめんなさい」と言えると。そうしてこそ相手もその「ごめんなさい」を受け入れてくれるのだろうと思います。
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by ck-photo | 2004-10-22 21:25 | 日曜の哲学カフェ
死海のほとり
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(旧ブログに掲載していた写真をそのまま使用したので、ロゴは昔のIDのままです)

死海のほとりにはたくさんのホテルが建っているのですが今回はシェラトンのご紹介。ここのシェラトンも他の一流ホテルと変わらずに、スパあり、マッサージあり、死海の泥パックやエステありで 、まさに死海のオアシス!外にあるプールもなかなかいい感じです。

実は私、「泊まらずにして楽しむホテルめぐり(単に貧乏とも言う)」が大好きで、死海のほとりのホテルはすべて周ってみました。仕事で泊まったのもあわせて大小のホテル15軒くらいかな?クラウンプラザ・ホテルのプールもすっごくすてきでした。(今回は写真なし) やっぱりプール際やビーチの椰子の木が南国してていいですねぇ。あれ?中東は南国って言わないですね、やっぱり。 それにしてもこの芝生。雨の降らない死海周辺では水は非常に貴重です。一体いくらかけて維持しているのかなぁ、などど思ったのでした。 
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by ck-photo | 2004-10-21 02:30 | 何気ない日々
知られざる1945年の脱走劇
ホロコースト書きついでに、こんなお話しをしましょうか。

私は年に数ヶ月ほどヨーロッパへ出掛ける事があります。そして時間とお金が許せばニューヨークのユダヤの街へも出かけて行きます。これらの旅は観光ではなくて、イディッシュ語の文化と、そして現代で失われたものを探しに行くのですが、そこで出逢う人たちの多くはホロコーストと関係のある人たちです。ある人は命からがら収容所を脱出した人だったり、運良くホロコースト前夜にヨーロッパから逃げ出した人だったり、または不運にもおじいさんがナチに連れ去られて二度とは帰ってこなかったりと。そういう人々の心には、何か失われたものがあって。それはなかなか言葉で現しにくいものですが。

ヨシュアという80歳を過ぎたユダヤ人の彼。ヨーロッパのある国で今は一人で老人ホームで海を見つめながら静かに、でもとても明るく過ごしています。彼はその当時19歳の若者で町では床屋をしていました。そして、徐々にナチの影が近づいて来て、ヨシュアを含めた町のユダヤの男性は皆、ナチの手によって収容所へと連れ去られて行きました。ヨシュアの着いた所は絶滅収容所*(下記参照)で、その名前どおり人々を絶滅させる事が目的のキャンプでした。

ある時、いつものように気まぐれのナチの親衛隊がやって来て、ヨシュアと他の人たちを宿舎の外で一列に並べました。彼の気まぐれゲームはその収容所では有名で、毎日のようにこのゲームは行われていました。囚人を並ばせて、銃をぶら下げて順番に誰かの名前を呼びます。そして返事をした者はそれっきり戻ってはきませんでした。親衛隊が名前を呼びました。それは最悪にもヨシュアの名前だったのです。ヨシュアは心臓が止まりそうになって、喉が詰まって声が出ません。そして彼にはドモリの癖がありました。焦れば焦るほど声になりません。でも返事をしなければ!でも返事をしてしまえば最後なのです。声にならずに目の前が真っ暗になって。すると、彼の隣に立っていた男がヨシュアにささやきました。

「君の名だよ。」

親衛隊はその声を聞き逃しませんでした。そして、空に銃声が一つ響いて。その日のゲームはそれで終わりました。ヨシュアはしっかりと閉じた目を開けました。そうです、撃たれたのは彼ではなく「君の名だよ」と言った隣の男でした。その一言が生死を分けてしまいました。その親衛隊には、それがヨシュアだろうが誰だろうが、一人囚人が減る事以外は関係なかったのです。

彼は運良く収容所では床屋という職に就くことができて、その恐ろしい絶滅収容所でなんと4年近くも生き延びる事が出来ました。そして1945年、終戦の10日前のこと。この収容所ではナチの命令で1200人いた囚人の全てを処理することが計画され、囚人たちは自分達が処理後に埋まるための穴を掘らされていました。ヨシュアもまた、穴を掘る手伝いをしていた最中のことです。囚人達はこれが逃げ出せる最後のチャンスと、あたりの様子を伺っていました。そして団結して一気に反乱を起こしフェンスをなぎ倒し、まわりに作られたぬかるんだ沼を渡り、ナチから発砲される弾丸の中を一斉に駆け抜けました。

ヨシュアも走って走って、走りました。そして1200人いた囚人のうち、最終的に脱出成功したのはたったの80人だけでした。

終戦後にヨシュアは生まれ育った町へ戻り、家族を待ちましたが、誰も戻ってはきませんでした。そしてその後、戦犯の裁判に呼ばれ、あの親衛隊の気まぐれゲームの生き証人として証言をしました。それからヨシュアは現在の海の見える街へとやって来ました。彼の瞳はその海のように蒼くて、子供のような笑顔がこぼれます。ヨシュアに尋ねました。「どうやってあなたはあの弾丸の中を助かったの?」と。彼は「あははははっ」と笑って、「ほら、見てごらん。僕はこんなにおチビだろう?当時は本当に栄養失調だったからね。小学生並みさ。弾丸はみんな頭も上をかすめて行ったよ。でももし普通に大きかったら、きっと弾丸は当たってたかもね。」といたずらっぽくウインクしました。

後日、彼と他の方々を交えて色んな話をしていくうちに、会話は「神」の存在について語られ始めたのですが、私にはヨシュアに「それでもあなたは神を信じるのか」とは尋ねる事はできませんでした。そして、彼はみんなに向かって静かに一言「そんな話はしたくない・・・」と。

来年の春、またヨシュアに会いに行こうと思います。
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by ck-photo | 2004-10-18 21:23 | 戦争と平和
杉原千畝氏と「ふぐ計画」とニッポンと。
10月になると思い出すこと。
「The Fugu Plan(ふぐ計画)」
 という一冊の英語の本が手元にあります。第二次世界大戦のユダヤ人とニッポンのお話し。ユダヤ人とニッポン、何の所縁もなさそうでいて、実はある時期に1万5千人ほどのユダヤの人たちが日本にやって来たことがありました。

第二次世界大戦の最中の1940年のこと。ヨーロッパ中でどんどん迫り来るナチの手から逃げるために、ポーランドから多くのユダヤの人たちがバルト海沿岸の小国リトアニアへと命からがら逃れてゆきました。でもそこから先はまったくの八方塞で、どの国の大使館も彼らへ訴えに手を差し伸べませんでした。 しかし、当時のリトアニア日本領事館代理の杉原千畝(ちうね)氏(のちにアメリカで彼の話は映画にもなっていて、イスラエルで名誉賞を与えられた唯一の日本人)は、ドイツとの仲を気にかけてヴィザ発効を認めないとする日本外務省の命令にそむいてまでも、

「人としてするべきこと」

と、ユダヤの人たちに日本通過ヴィザを日夜必死で発行し続けたといわれています。毎日領事館の門の前で何時間も立ちじっと領事の発行するヴィザを待ち続けた数多くのユダヤの人々の命を救いました。

一刻を争う状況の中で、彼らは杉原領事の発行したヴィザを握り締めて、絶望と希望の間でシベリヤを横断し、敦賀港へ到着のち、そこからユダヤ教に改宗していたアブラハム小辻教授(下の写真の左から二人目)やその他の方々の助けによって、神戸または横浜へと長い旅を続けました。
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ある記録では1940年10月6日から翌年1941年6月までの10ヶ月間で1万5千人のユダヤの人々が日本に渡ったと記されています。彼らは日本に数ヶ月滞在したのち上海に渡り、そこから安住の地を求めてアメリカや当時パレスチナと呼ばれていた土地へと渡って行きました。

神戸では写真家の安井仲治氏や漫画家・手塚治虫氏の父・手塚粲氏が、貴重にも当時の神戸に滞在するユダヤの人々の様子を何枚かの写真に収めています。まだ幼かった手塚治虫氏にはどうやら父親の粲氏とユダヤの人々の交流が心に残ったのでしょう。のちの彼の漫画にはユダヤの人がぴょこんと出てきたり、晩年に描かれた大作「アドルフに告ぐ」も当時の神戸に住むドイツ人とユダヤ人の二人のアドルフともう一人のアドルフ、ヒトラーを取り巻く物語でした。

安井仲治氏によって撮られた神戸での一枚には帽子をかぶった頬のこけた男性が窓の外を不安げに眺めています。当時の神戸や横浜のニッポンの住人は、この見慣れぬ異邦人の彼らの滞在をどう受け止めていたのでしょうか。そして遠いヨーロッパから来た彼らの流浪の心境はいかなるものだったのでしょうか。家族と祖国とを失い、今まで耳にしたこともないような言葉と、何もかもが慣れないアジアの異国の街で、その先どうなるかもわからぬ不安な滞在の日々。彼らに当時の神戸の町は、そしてニッポンはどのように写っていたのでしょう。

エルサレムのある友人の家族は、実際にこの経路でアメリカへ渡り、ホロコーストを生き延びて、のちにエルサレムへとへ移住してきました。彼らからその当時のことを伺い、その時に頂いたのがこの「Fugu Plan」という本。

毎年10月になると、このことを思い出します。
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  (神戸のユダヤ人 安井仲治氏撮影。)

追記-「フグ計画」:要点だけ説明すると、河豚という魚は強い毒を持っていて、それをうまく取り除けばとても美味で高価なもの。でも一歩間違えれば人をも殺してしまうパワーもある。日本人は未知の存在のユダヤ人をフグに例えて、政治的にも民族としても慎重に扱う事にした。とまあ、こんなことです。

More about 「The Fugu Plan」(申し訳ないですが、英語での説明です。)
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by ck-photo | 2004-10-17 21:13 | 戦争と平和
あなたのイスラエル人度チェック
あなたのイラン人度チェック?からです。

●バス停でバスを待っている他の人の足を踏んでしまったら?
ゴメンと言わずに、オレの足元に立っているあんたが悪いと言う。

●ATMで順番抜かし、横は入りするのが礼儀。
大人しく待っていると一日たっても同じ場所にいることになる。

●ATMでお金をおろしている人の暗証番号や金額を背中越しピッタリくっついてのぞいて見る。
悪気はない。でもニンニクくさい、肩越しの鼻息が荒い。鼻毛が飛びそう。

●狭い入り口には先を争って押しかける。
みんな仲良く方で肩で押し合って結局は誰も入れない。コントか?

●駐車の仕方。
狭いところへ無理やりバックで入ろうとして、停めてある後ろの車にぶつかったらハイ、OK。

●割り込みは当たり前な車の運転。
でもぜったいに相手には割り込ませない。
どこでもUターン。
たまに短距離なら対向車線を逆行してみたりもする。
交差点の真ん中で止まってみて、勝手に通行止めを起こす。

●スクーターは歩道を走ってもいい?!

●道を歩きながら、ナッツ類の皮を吐き出す。
ひまわりの種、ピーナッツなどをどこでもお構いなしに食べたあげく、
殻をペッ、ペッと吐き出す。
口の周りはカスだらけ。

●知らない通りがかりの人にいきなりタバコを一本くれと言う。
そして相手も普通にあげてしまう。

●必ず話す時には身振り手振り、ボディー・ランゲージがひっじょーに大きい。
そして、くどい、しつこい、アツイ、妥協しない。

●電話をかけた相手が受話器を取ると同時に「アンタ誰?」と聞く。
えっ?誰にかけてんの?

●間違え電話をしたとわかったら「もういいよ!」と悪態ついてから切る。
こっちが言いたいわい!

●公共の場でもかまわず股間を掻く。(男性限定)
見たくないっつうに。

こうしてあげるとキリがない。
イスラエル人度チェックと言うよりも、「ここがヘンだよイスラエル人」ですね。
さて、あなたのイスラエル人度はどのくらい?
って、日本でこれをしたらとんでもないですね。
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by ck-photo | 2004-10-12 20:45 | 混沌の文化