カテゴリ:戦争と平和( 30 )
今日は更新しないつもりだったんだけど(笑)。 カウントダウン 21/31
一昨日から写真のアーカイブを2003年あたりからずっとにらめっこしているのだが、一枚一枚、ああ、そういえば、ああ、そうだった、あー・・・、いろんな事件やストーリーを思い出した。

いったいいくらあるのかわからない枚数の写真も、これでいいのか?というものが多い。なにかをしようと思ったら最低20年だね・・・、なんて思ったら、わたしはやり残したこと以外にいったいなにをしてきたのかと、どれも中途半端でなにひとつ納得していない。人って、ホント、おかしな生き物だね。自分はどうしたいのか、なにをしたいのか、なにを言いたいのか、そこから先どうしたいのか、しばらくちゃんと考える必要あり。

2006年7月25日。いとこの誕生日のイチニチ後。
e0009669_11264021.jpg


そうだった。

神殿の西の壁の前に、何万という人が祈った日だったっけ。ガザ撤退の行く末を、それぞれがそれぞれの想いで壁の前にいた。
e0009669_1128075.jpg



この伸ばした手は、どこに、誰に、なにを叫んでいたのだろう。
祈り。
そのパワーに、
自分がなにかに祈り続けてきたからなのか、そうではないからなのか、
あの日のことを思い出し、なぜだか目頭が熱くなった。
e0009669_1130198.jpg



つまりは、結局なんだかんだ言いながら、この約十年のエルサレム時代は、この国の政治的にも個人的にもけっこうおもしろい時代だったんじゃないかと思った。やっぱり人っておかしな生き物だ。一つのオワリにあたり、見えてくるいろいろなこと。

さーっ、
ヨナカ、じゃないか、明け方か、にいつまでもひとりでこんなことをしていては、精神衛生上よろしくありませんな。といっても、いろんな理由でこれも今やらなきゃいけないことのひとつだから、コツコツやってますが。

コメントの返事はもちっと待っててね。
さ、そろそろ寝よっと。
明日もよい天気になるといいね、エルサレム。


ちょいと私信:寧夢さんへ(読まれていたらですが。笑)。
そう、一生、I will learn ですよ。


追記:今週の「金曜の市場」はお休みです。
なぜならば、昨日の夕方に行っちゃったから。(笑)
[PR]
by ck-photo | 2008-01-25 11:36 | 戦争と平和
ゲットーってなに?パレスチナはゲットーか?
先日、バール・イラン大学で比較宗教学の博士号を取っている韓国人留学生に車でエルサレムまで送ってもらったときのこと。

e0009669_6363998.jpg高速バスのルートとはちがう国道443を通って、テルアヴィヴ方向からエルサレムへ向かった。この路の近辺では、旧約のヨシュアの話やマカビーの戦いなどのユダヤ史がおもしろい。また途中でパレスチナ自治区のウェストバンク(ヨルダン川西岸地区)を一瞬横切るので、アラブの町や村のモスクの塔や沙漠の丘など、平和なときには「ああ、中東だなあ」と、旅の途中ような風景が続いている。(国道443の写真は他から借用)

ウェストバンクを横切りながら、はじめはそのグラフィックの描かれた壁は高速にありがちな防音壁かと思ったが、どうやらそうではないらしい。壁の後ろには有刺鉄線。在イスラエル8年になるその韓国人留学生が言った。

「こうしてパレスチナ人を有刺鉄線の向こうに閉じ込め、ゲットー*(収容所)にするなんて、ひどい話だよ。ホロコーストでナチがユダヤ人に行ったのと同じことをイスラエルはパレスチナにしているんだ。自分たちがそうされたからって」

パレスチナとイスラエルを分離する壁ができ始めてから、メディアやピース団体のデモなどで使われるアホなコメント代表だ。決して彼はアホではないが。

どんなお偉いさんが言おうとも、このゲットー論はめちゃくちゃである。まず、ゲットーを持ち出すのであれば、第二次大戦時のナチが作ったゲットーが一体何たるものだったかを知っていなければ話にならない。当時のナチによるゲットーは、ユダヤ人、ジプシー、外国人、そしてキリスト教の聖職者、同性愛者、など彼らの目指す社会に不適切だと見なされた人々を排除し「殺す」ために作られたものである。

e0009669_8425392.jpg仮にイスラエル側がパレスチナとの境界に有刺鉄線を置いたとすれば、それはこじれた状況の中でイスラエル側の身の安全(テロリストの侵入防止)、つまり自己防衛であって、ナチの作った「排除した者を隔離し殺すため」のゲットーとはまったく異なる。いわんやその反対の理由である。この443での有刺鉄線と壁の理由は、2001年などインティファーダ当時において、パレスチナのスナイパー(狙撃手=この場合はテロリスト)に一般ユダヤ人の通行車が狙われ死傷者が数多く出たことにある。最近でもちょうど一年前に、イスラエル国籍アラブ人が同じように彼らに狙い撃ちされ死亡している。

こういう状況で、この有刺鉄線の向こう側がパレスチナ人たちを抹殺するための居住区ということになるのだろうか。エルサレム周辺にも壁はあるが、その向こう側がそういった『ゲットー』だとは思わない。

そして、そもそもパレスチナとイスラエル間には他の国同様に国境を引くべきなのだから、そこにあるものが普通の鉄線でも少々物々しいが有刺鉄線でもいいのではないか。

と、仕事で疲れている帰路、わざわざさらに疲れそうな話には首を突っ込みたくなかったので、「ヘー」とか「あ、そう?」とか適当に返事をして、夕暮れのエルサレムに着いた。


*ゲットーについて(葉っぱの坑夫にも載せてありますが、少々書き直ししたものです)

■ゲットーとは

1:ゲットーの語源は13世紀のベニスが発祥のイタリア語で、石切り場の大きな穴という意味。のちにローマ教会がキリスト教徒とユダヤ人を区別するため、ユダヤ人を集めて住まわした地区がゲットーと呼ばれ、中世ヨーロッパにおけるユダヤ人居住地という意味でゲットーが用いられる。都市によっては壁に囲まれたゲットーもあった。

2:第二次世界大戦時においてドイツ軍によって強制的に集められたユダヤ人が、どの収容所に輸送されるかが決まるまでの借りの居住区のことをゲットーと呼んだ。有名なものでは1943年にドイツ軍によって破壊されたポーランドのワルシャワゲットーがある。ワルシャワゲットーは中世にユダヤ人の居住地だったが、その後ユダヤ人はゲットー以外に住むことを許された。そして第二次世界大戦時のドイツ軍によって再びユダヤ人を集めた居住地区となった。

3:日本語でのおもに使われる第二次世界大戦時のドイツ軍によるユダヤ人強制(または絶滅)収容所という意味のゲットー。英語ではおもにConsentration Camp(コンセントレーション キャンプ)という。


■Consentration Campとは

強制収容所と絶滅(または撲滅)収容所の二つに分かれる。

1:強制収容所は囚人を収容し、死に至るまで労働させることを目的とした。ドイツで最初に設置されたのはミュンヘン近郊のダッハウ強制収容所で、ダッハウ強制収容所は終戦近くになりガス室を設けられたが、一度として使われる事なく終戦を迎えた。

強制収容所での収容者はおもに政治犯、犯罪者、キリスト教神父、などヒトラーのイデオロギーとは異なった、社会に影響を与えそうな人達が収容されていた。ここに送られたユダヤ人たちは収容所で必要とされていた職業を持つ者、たとえば医者、針子、鍛冶、など何らかの手に職があった人達だったが、ドイツ軍における最終目的は彼らを抹殺することだった。

2:絶滅収容所ははじめから抹殺を目的とした機能の収容所で、ほとんどの絶滅収容所はヨーロッパ内で最も反ユダヤ主義の強かったポーランド国内に設置された。その中でも最も大規模で有名なのはアウシュヴィッツ絶滅収容所である。絶滅収容所での収容者は、主にドイツ人の純血を乱すと見なされた人種であるジプシー、精神病者、同性愛者、外国人、ユダヤ人、そして労働不可者(病人、子供、老人)など。
[PR]
by ck-photo | 2007-06-18 06:47 | 戦争と平和
誰のためのホロコースト追悼日?
さて、ユダヤ暦では日没後から新しい一日が始まります。今夜からの一日はヨム・ハ・ショアーというホロコースト追悼日。夜の7時半ごろにちょっとした所要で、なんていうと大げさですが、本当はお菓子を買いに行っただけのこと、でダウンタウンに行きましたらば、服屋さんやらは追悼日のためにすべてすでに店じまい。開いているのはカフェだけ。

帰宅後、テレビではエルサレムのホロコースト博物館、ヤド・ヴァシェムにて行われた追悼式の中継が流れていました。いやー、イスラエルでこういう式典を見るといつも思うのですが、兵隊たちが並び、なんだかもうダサダサの式典です。ほんと、ここは実はいまでも社会主義国だったのかというか、1940年代建国当時のまま時間が止まっているんじゃないかという気がします。

式典ではイスラエルの首相などが参列し、カディシュと呼ばれる喪の祈りのようなものが読まれ、イスラエル国歌ハティクヴァ(希望)が歌われます。この追悼番組の後にはイスラエルに住むホロコースト生存者の番組が流れていました。

イスラエルに住むホロコースト生存者たちですが、当然、その多くが戦後にヨーロッパから移住してきた現在では年金暮らしのお年寄りです。ドイツなどからホロコースト謝罪金などがイスラエルに対して支払われ、そのお金はそういった彼らの生活補助、または謝罪金としてあてられるべくものです。そして、戦時中にユダヤ人個人が当時のドイツなどの地で所有していたもの、たとえば銀行口座のお金などは、その子孫や家族、または本人に返還されるべきものであるはずなのですが、それも表向きのことであって、実際はイスラエル政府が管理しているといったアホらしさ。ホロコースト基金のようなところですらも、その会長などはそこから得た資金で裕福な暮らしをし、本来渡らなければならない人にそのお金が渡っていない。

そういった裏事情により、国がその生活を保障してあげなければならないホロコースト生存者のお年寄りの多くが、この国では貧困レベルに追いやられています。月々の年金は1400シェケル(4万円ほど?)あたりで、そのうち500シェケルほどもを医療費に当てなくてはいけないお年よりもいるのだそうです。一ヶ月4000シェケルほどは必要なこの物価の高いイスラエルで、たったの1400シェケルなどというはした金でどうして暮らしていけるのでしょうか。

イスラエルという、多くのユダヤの人たちにとっての祖国、家族、という国で、それが国民に、ホロコースト生存者に対して政府のすることなのかと。他の政府がしているのであればまた話は別ですが、国民に、つまり自分の家族の中に生存者または犠牲者がいる政府が身内に対してしてはならないことではないかと。彼らを守るのはこの国でありこの政府でしかないわけですから。

いったいこんな現状でなにが、そして誰のためのホロコースト追悼式で追悼日なのか。明日の午前中には黙祷をささげるサイレンが国中に響きます。たった今、テレビではホロコーストの実話映画、ソビブルの収容所から600人の囚人たちが大脱走する「Escape from Sobibor」(日本語では「脱走戦線 ソビボーからの脱出」)が流れています。
[PR]
by ck-photo | 2007-04-16 06:40 | 戦争と平和
名の記憶と木々の新年
すっかり書くのを忘れていましたが、1945年1月27日はアウシュヴィッツが開放された日で、近年ではそれを記念して毎年1月27日は国連が定めた世界ホロコースト犠牲者の追悼日だそうです。イスラエルのニュースではベルリンで行われた集会のようなものがチラリと放送されたくらいで、特に何もなかったような。イスラエルだとホロコースト記念日は5月ごろにあるので、この時季ではあまりピンとこないですね。今ではあちこちでホロコーストはなかったとかいろいろな説が出ていますが、歴史とは人が語ってゆくものだから時間や都合などによって事実からそれてゆく不思議なものですね。

ちなみにエルサレムには世界一大きなホロコースト記念館ヤド・ヴァシェム(名の記憶)があります。もう少し精神的に若かりし頃は何度か足を運びましたが、もう興味本位またはそれ以外の理由でも、行こうと思わない場所となってしまいました。特にホロコーストで亡くなった子供たちの博物館には行きたくない。薄暗い部屋に灯された何本ものろうそくが、張り巡らされた鏡に映って無数の数となって瞬いている。そのひとつひとつが亡くなった子供のいのちを現し、その灯火の中に子供たちの大きな白黒写真などが展示されている。そして亡くなった150万という数え切れない子供たちの名がエンドレスに呼ばれ続ける・・・。人としていたたまれなくなるというか、あそこへ行って何も感じない人はおそらくいないでしょう。また、敷地内にはホロコーストでユダヤの人々を救った人たちの名で木々が植樹されているのですが、日本人では杉原千畝氏の木が一本植樹されています。他にもワルシャワゲットー・スクエアやビジュアルセンター、などなどいろいろな建物があるので、ヤド・ヴァシェムに行ったことのない方は一度行かれるといいかもしれませんが、かなり精神的に疲れる場所ではないかと・・・。

そして話は変わりますが、日本では節分だった(すっかり忘れていた・・・)2月3日ですが、ユダヤの暦ではシュバット月の15日、木々の新年トゥ・ビ・シュバットでした。この日は今年初めてのディツ(ナツメヤシの実)やいちじくなどを食べ、木々の新年を祝います。ワインも白からロゼ、そして赤と一杯ずつグラデーションをつけたり、春の到来かな。

はじめてイスラエルに来た頃には、このいわゆる春を迎えるお祭りがどうしてこの真冬の時期にあるのかわからなかったのですが、よくまわりの自然を見てみる確かにオリーブやアーモンド、そしてポピーが咲きはじめ、野には新しい草が芽を出し小さな花々も咲き始めます。死海へ行く砂漠の山々にも、冬季にしか降らない雨のおかげでうっすらと生えた草で、この頃だけは緑色に染まります。なるほど、確かに生命が溢れて木々の新年にふさわしいなあと思える時期だったのですね。

e0009669_2542813.jpg

そして食日記。ベジタリアンを心がけるようになってから2、3週間でしょうか。時々浮気してお魚は食べますが、気持ちのよい食生活になってきました。かなり大味のかぼちゃ、squashというやつでしょうか。それとブロッコリーのオリーブオイル&ハーブのオーブン焼き。食べる前に練りゴマをかけてアクセントに。本当はブロッコリーはスチームしたほういいのでしょうが、でもおいしかったからOK。squashはべたべたするのであまり好みではないけれど、日本のあのほこほこしたかぼちゃが食べたくても、ないからしょうがない。


*コメントのお返事が遅れてますが、ちゃんと読んでますので~。
[PR]
by ck-photo | 2007-02-05 03:28 | 戦争と平和
シェルターとクッキーなわけ
仮庵の祭りも終わり、雨乞いが叶ったようで4月以来はじめて本格的な雨が降り、ついに夏が終わってしまいました。そこで引越しをしました。

といっても、家内引越し。

自宅のまわり近所がどうにもやかましい。毎日毎日、どうやったらそれだけの騒音が出せるのか。一階に住む中年おやじは毎日のようにがなる、趣味の日曜大工で鉄を切るチェーンソーのようなものをウィーーーーーンンンンッと日がな一日中使い続ける。その家の躾のされていない犬たち。そして、向かいの家の子供たちに手を焼いている母親のヒステリックな叫び声。

たしかに人間の日常の営みなわけですが、自宅で仕事をしている者にはかなりきつい。そこで、自宅のリビングにあった仕事場を、シェルター内へ引っ越しました。シェルターは、当然ほかの部屋よりも壁も頑丈で厚く、鉄製の窓と入り口のドアをガシャーン、閉めてしまえば外からの音はほぼ遮断。これほど仕事場に向いている部屋はあるまい。今まで書庫&物置状態だったので、もったいないことをしたなあ。写真だとごくごく普通の部屋に見えますねえ。左に写ってるヘブライ語が書かれたのが、鉄の窓。重くて片手では開け閉めは無理。これだったら生物化学兵器もシャットアウトかな?と、サラリとそういうオソロシイことも言ってみる。
e0009669_21593085.jpg

イスラエルの家屋にはシェルターが備わっているものが多く、一般的にはアパートのビルの地下に住人共同シェルター(ほぼ、物置状態だったりする)となりますが、うちの場合は築9年ほどなので、どうやら家の中に個人のシェルターを設置したよう。近所などでは、公園の地下に地区のシェルターもありますね。

今年の夏のハイファのように、いつ何時他国から攻められるかわからないイスラエル。なので、シェルターがあるわけですが、エルサレムにはいらないなあ・・・・。いちおう、イスラームいわく、エルサレムはイスラームの聖地のひとつですから、自爆テロは起こしても空爆などの標的にする確立はほとんどない。安全なのか、そうでないのか、よくわからない街です。

e0009669_220728.jpg

そして、雨が降るたびに気温が下がっていくエルサレム、これから冬にかけて食べたくなるのがこのジャムサンド・クッキー。暑い夏場は見向きもしませんでしたが、今頃になるとこの赤い子供だましのようなジャムに、どうもついつい手が伸びてしまいます。カシェル的には肉でも乳製品でもない中間食品なので、当然バターもミルクも使ってないので、クッキー独特の甘いバターの風味もありませんが、それでもお菓子のおいしくないエルサレムではかなりハマッテしまうクッキーです。
[PR]
by ck-photo | 2006-10-15 22:16 | 戦争と平和
あれから……
オヤスミといったばかりですが、今日は9月11日だったことを思い出しました。
9・11とエルサレムの話です。2003年に書いたものですが、長いですよ。
コメントにお返事はできませんが、なにか書きたいことがある方はどうぞ。
                                    
(あの日、NYに住んでいらしたせばさんの「9/11が浮き彫りにする日常の営み」へトラックバックさせていただきました。)


________________
      

 2003年。あの日から二年が過ぎ、マンハッタンと同様にこの砂漠の街にも9月11日が訪れる。テレビ画面では去年よりも大げさな感をぬぐえない、アメリカの特集番組が繰り返しセプテンバー・イレヴンを語っている。あの年の9月11日の午後、私は自宅から五分ほどのエルサレムの中心街へと、ベツァレル通りの坂を歩いていた。9月初めの砂漠の街の太陽は厳しく、額はうっすらと汗ばむ。ちょうど坂を上がりきったところで、鞄のポケットが踊った。携帯電話のスキップするような、軽やかな呼び出し音。

 「アロー?」
 「チカ! 大変だ! ニューヨークのツイン・タワーが攻撃された!! 攻撃されたんだよ!」

 早口のニューヨーク訛りの英語で、興奮した友人の声が、耳の奥へ刺すようにして飛び込む。受話器の向こうから、エルサレムの新聞社に勤める彼の緊張と混乱が伝わってくる。太陽の照りつけるベツァレル通りの坂の上で、なにがなんだかわからず、「どこのツイン・タワー?……」と、ピント外れな私。それから一瞬の間をおいて、ツイン・タワーのそびえるウォール・ストリートあたりのマンハッタンが、脳裏に浮かび上がった。

 

続きを読む?
[PR]
by ck-photo | 2006-09-11 20:06 | 戦争と平和
願い
旧ブログのほうでは、いろいろとこの土地の問題などについても触れていましたが、このブログではあまり書いていませんでした。が、そろそろ、ちょっとずつ書いていこうかなあと思いはじめました。

8月はいろいろと忙しかったのですが、仕事と夏休みをかねて、ヨーロッパに少し滞在していました。ちょうど、今回のレバノンとの停戦をする前あたりでしょうか。この土地の状況を、新聞など外国のメディアで見るというのは、なかなかおもしろかった。

なんというか、いまさらではないけれど、メディアの嘘が状況をさらに悪化させるとでもいうか、白々しいというか。いかにも「ああ、やらせだなあ」と思う映像が、まるで事実のように流れている。インターネットでも、そういったやらせ映像を取り上げているウェブなどもあるのですが、日本ではなかなか知りようもない。

たとえば、こっちで「このひどさを見ろ!」と訴えていた男性が、むこうの写真では死体を演じている。レバノンで泣いてるこのおばちゃんは、数ヶ月前にはガザで泣いていたよなあ。『黄金のドームのそばでパレスチナ人を虐待するイスラエル兵』という写真をよく見れば、道路標識が立っている。でも実際には、あそこにそんなものが一切あるわけがない。ってな感じで、以前も書いたことがあるのですが、『石を投げるパレスチナの少年たち』は、もう誰もが知っているやらせの代表的なものだったりと、報道をそのまま信じるわけには行かない世の中。

e0009669_9262177.jpg


この背景にある簡単な理由のひとつは、国やメディアが「わが国(またはメディア)は親イスラエルだ」と表明すれば、アラブ諸国との関係がまずくなる。それに反イスラムをとって、テロなんてされたら迷惑千万。今回のレバノンとの戦争でも、レバノンだけではなく、こちらのハイファもかなりの被害をこうむっていてる。でもそれはあまり伝わらないし、「イスラエル=悪者」という形式を作るには、それを伝えるわけがない。

そして、イスラエルの代表的な左派の新聞すらが、外国メディア同様の反イスラエル主義ではどうなるのか。それを外国のメディアが使うものだから、もう処置がない。こういった左派のイスラエル社会を見ていると、いったいこの国はどこに向かっているのかと心配になってしまいます。

そういったあふれかえるメディアの中で、いったい何が本当か、またはそれに近いのかを見極める。そうでなければ、そのまま偏見と思惑に犯されてしまう。まあ、限られた情報で、いったいどうしたら見極められるのか、それもまた難しい話ですが。

今回、数人の方からも質問をいただきましたが、イスラエルがどうしてあそこまでレバノンの市民を狙わなければならないのか。これについては、まず、イスラエルは他国からの攻撃に対して防衛の権利がある。とはいうものの、今回はすっかり墓穴を掘ってしまい、弁解の余地はない。これまでイスラエルにそれほど反感を持っていなかったレバノンの人たちも、もうイスラエルはサイテイの国だと思うことでしょうね。

つまり、まちがった人たちを国のトップに持つとこういうことになる。そしてそれを選んだのが、無知な国民であるということ。今回の戦争に関しては、首相のオルメルトや数人の政治家たちは、戦犯として償うべきではないのかとさえも思う。まったくアホな人たちである。でも、だからといって、メディアで伝えられるほど、イスラエルは本当に悪の国なのかといえば、そんな短絡な話ではない。というか、世の中はそんなに白か黒かではない。

そして、「これまでイスラエルが好きだったのに、今回のことでは、かばいきれない」というコメントを何件かいただきましたが、私はかばわなくてもよいと思います。愛する人のよいところだけを見て愛すのではなく、間違ったことをしたときには愛を持って本当に怒ってあげる。だから私はイスラエルに対して、怒ってもいるし、頼むからもう少し(いや、かなり)お利巧さんになってほしいと願うばかりなのです。


と、短くするつもりが長々と話してしまいました。ひとりひとりそれぞれに考えがあるでしょうから、投稿するのはよそうかと思いましたが、せっかく書いたので載せておきます。なんのこっちゃ。疲れた方、ごめんなさいよー。


(写真はBBCだったかCNNだったかの、とあるキャスター。旧市街にて)




[PR]
by ck-photo | 2006-09-03 08:45 | 戦争と平和
「アパート、探してます」
e0009669_1953569.jpg


「私はツファットに住んでいましたが、
たくさんのカチューシャ弾が自宅近辺に落ち、
エルサレムの旧市街へと非難してきました。

ワンルームの貸しアパートを至急見つけなければなりません。
アパートが見つかるまで、ただで泊めていただけるところはありませんか?

連絡はこちらまで。メールは・・・・」



Rさんというお嬢さんは、北部のツファットという町から、
まさに鞄ひとつと、大切なフォークギターでエルサレムへと非難してきたのだそうです。

大きな瞳が、まるで迷い子のようでした。
[PR]
by ck-photo | 2006-07-27 20:01 | 戦争と平和
いすらえる的 カオスな一日
昨日もいつもの通り、いすらえるの北部、ラアナナの街へ出稼ぎに。(笑)

今のプロジェクトもそろそろ終盤、締めきりギリギリの追い込み、まさに混沌のオフィス。朝、8時半、エルサレムの中央バスターミナルからハイファ行き947番のバスに揺られて、10時近くにやっとオフィスにいちばん近いバス停で降りると、あら?警察官がいっぱい。さすが、連日ロケット弾が落ちているハイファも近いから(といっても車で50分ほどですが)、いろいろと警戒してのことかしらん?あら?それにしては信号がぜんぶ消えている?

オフィスに着くと、翻訳家チームが勢ぞろい。おお~、ヨーロッパ系とアジア系の言語で、総勢6人での一日。それにしても、みんな、なんでロビーでそんなにゆっくりくつろいでんの?しかも、なんだかここ、暑いなあ・・・あ、クーラー効いてへん???えっ?今朝は国の北半分が停電???ああ~、それであそこの信号が・・・。ってことは、コンピュータも・・・・、アカンのん????

そんなこんなではじまった一日。

コンピュータが使えなければ、仕事にならず、仕方がないのでみんなでのんびり雑談していると、しばらくして、あ、電気が通った!それからバタバタと仕事に取り掛かり、「おおっ?!」っと誰かが叫んだ。

「クファー・サバで、てろりすとらしき不審人物発見!逃げられる!捜索のため、ラアナナ、クファー・サバ一体は一切通行止めだって!」

と、インターネットのニュース。クファー・サバって、ここから5分もかからんやん!とみんな一斉に窓の外を見る。んんん、ほんまやね、通りの車は数珠繋ぎ。一向に進んでいない。それから一時間ごとにどうしたこうした、みつかった?いんや、まだみたい、と心配なのか好奇心なのか、人間というのはおかしなもので、こんな時でもちゃんと現実的におなかがすいてしまう。

「そろそろお昼やね~。出前も届いてるやろし」と、6人でゾロゾロと下の食堂に行くも、私を含めた4人のランチがなぜか届いていない。あれれ???急いで事務のオネエサンに連絡を入れると、不審人物の捜索のおかげで、出前持ちが足止めを食っているらしいとのこと。え~、ひょっとしてお昼抜きぃ?と4人でがくーっ。

それから待つこと30分。やっぱりここはいすらえる。いつまでたっても出前は届かない・・・・。むむむっ。思いかねて、注文したレストランに連絡すると、

「出前はもうとっくに出てるよ~、注文はふたつやんね?」

「えー!!!!4つやで!!!」

みんなで声をそろえて大合唱、脱力。しょうがないからあとふたつを追加して待つものの、いつまでたっても最初のふたつも、追加のふたつもついに届かず・・・・。なぜそうなるの???「母さん、僕のあのお昼ご飯、どこへいったんでしょうね・・・・」

しかたがないので、事務のオネエサンがわざわざ近くのカフェまで買いに行ってくれるも・・・手元に届くまでなぜか2時間近くもかかったのが、さすがいすらえる・・・。

仕事といえども、多国籍、6ヶ国も集まれば互いの国のこと、みなこの国では移民、または外国人なので、それぞれが家庭で話す言語のこと、今のこの国についてなど、自然と話に花が咲く。ふたりが仕事をしていれば、あっちで4人でどわはははっ。どこが締め切り前なんだか、ノンキなものです。

と、ラアナナに住むスウェーデン語担当のおばちゃんの8歳になる息子さんは、ここしばらくのことが怖くて、夜は一人で眠れなくなってしまったのだそう。そして息子さんの同級生の男の子も、寝る時は電気をつけたままでなければ怖いと言い出して、子供たちのことがちょっと心配。。

確かにテレビをつければ、ほぼ無意味なほどにその日の北部の様子が映し出され、あまり賢そうとは思えない論議がされている。ラジオをひねれば、一時間おきに「コール・イスラエル、ハダショット・ミ・ヨルシャライム」と、ニュースで今日の死者や被害を伝える。これでは、大人でもうんざりしてしまうのに、子供はたまったものじゃない。

それから、数時間後にその不審人物は発見、しょっ引かれ、道路規制も解かれて、ほっ。これでみんな今日は家に帰れるね。

仕事を6時半に終えて、「それじゃあ、またいつかね~」と、チームは解散。私はバスに乗ってまたエルサレムへと。バスの前の席に座っていたおばちゃんが運転手さんに今日は何かあったのかと尋ねると、運転手さんは、これこれこれと伝えながら、最後に「犠牲者と葬式のない戦争なんてありえないんだから」と。

なんだかその一言がやけに現実的で、なんだかとっても落ち着かなかった一日のおわり。

e0009669_1517369.jpg

  「人間ってアホやなあ」
    猫のつぶやき


(コメントへの返事が大変遅れてます。ごめんなさい~!)



[PR]
by ck-photo | 2006-07-20 15:25 | 戦争と平和
大使館からのお知らせメール
今しがた、テルアヴィヴの日本大使館からメールが来ました。在いすらえるの邦人の方でメールの届いていない方々がいらっしゃるかもしれませんので、とりあえず、ここでお知らせしておきます。ん、ま、心配ないと思いますが念のため。

ちなみに、在いすらえるの邦人で在留届の出していない方、余計なお世話ですが、出しておいたほうがよいと思いますよ。実際に緊急時に大使館にお世話になったことはありませんが、いざという時に、大使館のほうからの連絡が届きませんし、何かあっても救出の手配に時間がかかるというようなことを聴いた記憶があります(記憶違いかもしれませんが)。各自でご確認を。


『邦人の皆様へのお知らせ


15日21時頃、イスラエル軍よりテレビの放送を通じて次の警報が発せられました。

「イスラエル中央部にもロケットが飛来する可能性があり、その場合には、1分間のサイレンが鳴りますので、直ちにシェルターに避難してください。」

細部の情報に関しましては、民間防衛軍情報センター(電話番号1207、ホームページアドレス:http://www1.idf.il/oref/site/EN/main.asp)に問い合わせてください。

なお、お問い合わせ及び連絡事項がある場合、次の電話番号にお知らせください。

大使館領事班 佐渡:03-6957292
携帯電話 佐渡:0505441071 』
[PR]
by ck-photo | 2006-07-16 08:08 | 戦争と平和