かっちゃんとかっちゃんの娘さんの関係はほとんどわたしの夢なのだ。

かっちゃんというお父ちゃんが大阪にいる。ブログで知るかっちゃんとかっちゃんの娘さんのやり取りなど、かっちゃんはまったく理想の父なのだ。ちょっとした日々のデキゴトなど、娘だって父に聞いて欲しい話もある。しかし遠く離れた実家の父とそういう会話の持てないわたしなど、やっぱり時にはちょっと寂しかったりするのだ。しかしかっちゃんはそんなわたしの話でも、いつだって優しい言葉で受け答えしてくれるのだ。ずっと前だったのだが、すごく困っていた時、いくらこちら(イスラエル)の友人たちがヘブライ語や英語でアドバイスしてくれても、どこかピンと来ないこともあった。しかし関西弁のかっちゃんの「負けたらあかん!」のたった一言が、世界中のどんなもっともらしい言葉よりも「どかん!」っと心に響いたりして、なんだかへにゃへにゃ〜となって素直にそうやな〜と思ったりした。そしてそれは今も変わらない。かっちゃんというみんなの父ちゃんが大阪のどこかにいてくれるって、この世の宝みたいなもんだ。やはり持つべきものは良き友なりよね。で、かっちゃん、バスルームの電気がどうも付いたり消えたりおかしいんやけど、直しに来てー。あっはっはっ、そんなオチか。

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(Damascus Gate. Oct/2007)
ラマダーンの終わりのころのダマスカス門。一年に一度、門だってオシャレになってみる。華やかでいいね。日本にいた時は、クリスマスやお正月の門松など、お祭りや行事の飾り付けは、それが終わったら同時にとっとと片付けるものだと思っていた。NYに住んでいた時、クリスマスが終わってしばらくしてもカフェのクリスマスツリーやハヌキヤなどがそのまま年越しだったりして、ええーっ!それっていいの〜?!と、愕然とした。イスラエルのユダヤ世界では祭りが終わるととっとと道具が片付けられることが多いが、はたしてイスラームでもそうだった。ラマダーンの間のキラキラピカピカ装飾はラマダーンの終わりとともにきれいさっぱり消え失せた。ちょっと寂しかった(笑)。
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by ck-photo | 2007-10-26 22:49 | 何気ない日々


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