日曜日の哲学カフェ 「夜と霧」第3章 死の蔭の谷にて
さて、年も明けてちょっと日もたちましたので、お約束通りに「日曜日の哲学カフェ 夜と霧」の再開です。この『夜と霧』はヴィクター・フランクルの代表的な著ですが、同じタイトルでフランス人の映画監督アラン・レネによって1955年に36分ほどのドキュメンタリー映画にもなっているんですね。

昨年の最後の章では収容所へのはじめの生活での典型的な反応の初期について読みましたが、今日はそこからさらに次の段階へ進みます。

-------------------------------------

「この瞬間、眺めているわれわれは、嫌悪、戦慄、同情、昂奮、これらすべてをもはや感じることができないのである。苦悩する者、病む者、死につつある者、死者―これらすべては数週の収容所生活の後には当たり前の眺めになってしまって、もはや人の心を動かすことができなくなるのである。」

「夜と霧」第3章 死の蔭の谷にて。


-------------------------------------

フランクルの言う無感情、無感覚ですが、実はこれに似たようなことを体験したことがある。もちろん、収容所での体験とはまったくレベルが違うとは思いますが。

エルサレムに住みはじめ、2001年の秋ごろからあちこちでパレスチナの自爆攻撃によってバスやカフェ、ホテルなどが突然爆発し、多くの方が亡くなってゆくのを身近に感じて生きています。死と生が本当に真横に、紙一重のところにあるという気がいつもしています。そして、ブログでも書きましたが、不幸なことにも去年の9月のエジプトの自爆攻撃では知り合いを亡くしました。

そういった生活で、私の心の中で、人がこういった形の爆発によって亡くなっていくと言うことに非常に無関心で無感情に陥ったことがあります。ニュースで「今日の午後どこどこどこで爆発して30人亡くなった」と聞いてその場面を見ても、あっさりと「ふーん」なんですよ。

もちろん2001年の秋からそういうことが始まって、最初のころは街を歩くたびにビクビクして、悲しくて。エルサレムの街自体深く沈みこんで喪に服していましたし、そういった悲しく恐ろしいニュースを聞くたびに胸が痛くて、次は自分とはどうして言い切れないのだろうかとかね。そういう毎日だった。

でもね、もうそれから何年もたちますから、どこそこで爆発した、人がン十人死んだ、はすっかり日常の一部になってしまった。これはぶっちゃけた話、異常な日常なわけですが。

こう言うと情がないのかとか非常識だとか、外部の人はそう思うかもしれない。でも実際にそういう爆発音の響く日常を過ごせばそれに否応でも慣れてくるし、ある意味、それに対して感情的には死んでしまったようなところがある。そしてまた変に楽観的な自分もいたりして。きっと心理学的理由はいろいろとあるのでしょう。ただフランクルの言うように「死につつある者、死者―これらすべては数週の収容所生活の後には当たり前の眺めになってしまって、もはや人の心を動かすことができなくなるのである。」と、いうことなんだろうなぁと。

しかしある時、どこかでの爆発をニュースを見ていて、なんとも思わずにいる自分に気がついて、あれ、やばいなぁと。この人が亡くなって行く事実をなんとも思わない日常の麻痺した感覚がとても恐ろしいと。

それでも、知人が9月に亡くなったときはさすがに何度も泣きましたし、今でものどの奥が熱くなります。でも、あの時、そして今でも泣くことができるのにちょっと驚いたくらいです。といっても、普段の日常生活に支障があるわけでも心理的に重大な障害や問題があるわけでもないんですけどね。

ちょっと落ちがなくなっちゃいましたが(・・・落ちなんてなくてもいいんですけど、一応関西人なので、どうも落ちのない話はすっきりしませんワ)。
[PR]
by ck-photo | 2005-01-09 05:41 | 日曜の哲学カフェ


<< アッバス君へ。議長当選へのはな... えるされむの地図 へぼへぼ版 >>