プラハの旧ユダヤ人墓地
e0009669_18552533.jpgプラハはここ数年の間、「行ってみたい街」のリストのトップなのですが、なかなかその機会がなくいまだに行けずじまい。

今回はそのプラハの旧ユダヤ人墓地についてです。この旧ユダヤ墓地は、プラハでも人気の観光地の一つだそうですが、ヨーロッパに存在するユダヤ人墓地では最古のものなのだそうです。1439年から1787年までの348年の間に10万人のユダヤ人が埋葬され、埋められている層がなんと12層、つまりある一定の時間が過ぎるとその上にまた新しい住人さんをお迎えするということですね。そしてその狭い墓地にある墓石の数は1万2千個。まさにむぎゅむぎゅ、オシクラ饅頭状態。

この旧ユダヤ墓地にはかつての有名なユダヤの方が埋葬されているとのことですが、プラハの有名なユダヤ人といえば、このお方。朝起きたらムシになったよ、フランツ・カフカ。でも残念なことにカフカはこの墓地が閉められた遥かのちの1924年に亡くなっているので、ここには眠っていないのだそうです。なので、この墓地で最も有名な墓は、カフカならず、ユダヤ教の神秘主義のカバラを学んでいたラビ・ユダ・ロウ(Judah Loew 1525 - 1609)。彼はユダヤ版フランケン・シュタインを作り出したとされ、伝説的人物とされました。そしてもう一人は1439年に亡くなったラビ・アヴィグドール・カラ(Avigdor Kara)。彼は1389年のプラグでのポグロム(集団で行うユダヤ人に対する暴行・破壊や虐殺)を生き延びた数人のうちの一人でした。このポグロムは、プラハのカトリックの司祭たちが「ユダヤ人はキリスト教の儀式に使う聖体を盗み、黒魔術をかけている」とうわさを流し、それを信じたプラハのキリスト教徒によって当時プラハに住んでいた3000人のユダヤ人のほとんどが虐殺されました。こういう根拠のないデマを流し、町人を駆り立てたポグロムはヨーロッパの各地で行われていました。

こんな疑問・・・

「なぜこのプラハの旧ユダヤ墓地がヨーロッパ最古のユダヤ墓地となったのか?」

単刀直入、第二次大戦のホロコースト時にヒトラーによって破壊されなかったから。ではなぜ破壊されずに済んだのか。ヒトラーはユダヤ人撲滅後にプラハに、「こんな特殊な人種がかつてこの地上に存在しとりましたん。でもね、今はもうこの人種は絶滅してまっさかいに、博物館に収めましてん。見ておくれやす。」と、ユダヤ博物館を作る計画を立てており、そこでこの旧ユダヤ墓地を残すことにしたのだそうです。

e0009669_18572252.jpgこの写真は旧市役所のヘブライ語文字の時計。一階は昔のシナゴーグで現在も使用され、上の階もまた新しくできたシナゴーグだそうです。時計の文字盤をよく見てみると、なるほど、ヘブライ文字ですね。

プラハの旧ユダヤ人街を見てみると、亡くなった方の墓地だけではなく、数件のコーシャーレストラン(写真右)、9軒のシナゴーグなど、いまだにユダヤの人々が住み生き続けているのが伺えるようです。e0009669_1902212.jpg
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by ck-photo | 2004-12-20 18:53 | ユダヤ雑学


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