石を置きませう。でなければトリツカレチャウのよ・・・。ユダヤ神秘主義の死後の魂の観念と石の関係。
久しぶりにひげもじゃ教のお話しです。

先日の「日曜日の哲学カフェ」のコメントで、『どうしてユダヤのお墓の上には石を置くのか』と言う質問をいただいたのでそのことについて。

ユダヤの墓地ではロウソクや花はほとんど見られません。その代わりにその辺に転がっている石を置きます。それはね、ここだけの話、やっぱり彼らがけちんぼだからですね。・・・あ、いや、冗談です。ユダヤ教ではミツヴァと呼ばれる613個のしなければならない義務のようなものがあります。もともとは神殿への奉仕の仕方などにかかわりがあったので、神殿が崩壊した今では613個すべてではなく、その半数ぐらいの数が義務とされています。

さて、このミツヴァのひとつに「死者を敬え」というものがあります。このミツヴァは、まず死者を葬り墓を作り墓石を置くことなのですが、昔々はもちろん今のような墓石などありませんから、そのあたりに転がっている大き目の石などを数個集めて墓の目印として置いていました。そして一周忌などで訪問者が墓へやって来る毎に、自然に荒らされた墓はわかりづらく、またまた辺りから石を集めて墓を整えなければなりませんでした。そこで石を置くことが墓石を整える行為として死者を敬うミツヴァの一つとされています。

この理由から、現在でも、今では立派な墓石の上にであっても、死者の墓を訪ねる時にはミツヴァとして「今でもあなたのことをちゃんと気にかけているのだよ」と墓を直すように石を一つ二つ置くのですが、世俗社会ではこのような理由はすっかり忘れられていて、「ただなんだかわからないけど、習慣だから」と。

そして実はこれにはもう一つ理由があります。マドンナがハマッているカバラと呼ばれるユダヤの神秘主義では、人が普通に病気や老衰などで亡くなって魂(ソウル)が身体から離れても、次の7日間はその魂は自分の墓のあたりにいるとされています。そして暴力や思いがけない事故で亡くなった場合は、魂が身体から離脱してから30日間ほどは、その人の魂がまだ墓のあたりをウロウロとしているとされていています。

その他の場合では、現世に強い未練が残っている死者は、死後に魂が身体から離脱しても未練のために長い間どこへも行くことができずに、墓参りにやって来た人へ悪さをしたり、その人に乗り移って次の世界へ行くために現世で終えなくては成らないことを成し遂げようとします。神秘主義のこれらの解釈はかなり迷信的な部分があるのですが、それでもやはり避けられるのならば避けなければならないでしょう。人が単に墓場を通り抜けたり石を置くミツヴァを行わない墓参りに行くと、この彷徨っている魂に狙われやすいとされています。そこで神との約束事であるミツヴァをしに行く墓参りでは、そういった魂に取り付かれないようにと、その人は守られているのだそうです。そこで石を一つ、置いていくのですね。ちなみにこの彷徨える魂を驚かさないようにと、ユダヤ教では死者を埋葬してから30日間は墓石を置かないことになっています。

余談ですが、こんなミツヴァについて思い出しました。ミツヴァには色んなミツヴァがあるのですが「寄付のミツヴァ」というものがあります。例えば誰かが日本に行くとします。そこでその人の旅立ちにあたっては知り合いや家族などはポケットの小銭をその人に渡して、日本についたらどこかへこの小銭を寄付してもらいます。するとこの旅立つ人は単に旅に出るのではなくて、日本で寄付をする「寄付のミツヴァ」を行うために行動しているのであって、彼の身は危険から守られるべき存在となり、安全な旅ができると言うものです。

数年前にまだ旅にあたっての「ミツヴァによる守り」のことを知らなかった私は、NYからエルサレムに帰る時に、ある知人に1ドル札を渡され「エルサレムまでしっかりと持って行ってね。嘆きの壁のそばの募金箱にでも入れてちょうだい。」と言われたのを、「彼女は何か願い事でもあるのかしら?」と、トンチンカンにとても不思議に思った記憶があります。でも彼女は私が安全に旅を終えれるように計らってくれてたのですね。
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by ck-photo | 2004-12-14 18:48 | ユダヤ雑学


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