バルフ・ゴールドスティンは凶悪犯罪者かヒーローか。
今日のお題予定は「ここがヘンだよ、田中さん」だったのですが、そのつもりで書き始めたら長いの長くないのって。面倒くさくなっちゃったので、その一部だけにしました。(と言ったって長いんですな、これが。)

うちのブログからもリンクさせていただいているジャーナリストの田中宇氏ですが、彼の政治関係の記事はモサドなどなんだのと、スパイ小説さながらなかなかおもしろい。でも今回のニュースレターで取り上げたイスラエルの右派の記事は素人の私でさえも「ちゃうで、これ~。」という部分がいくつかあって、ちょっとがっかりの助君でございました。やはりここの地の現状はイヤハヤ、わかりにくいのですね。

そこで、その中でも彼が記事中に触れているバルフ・ゴールドスティン。田中氏のバルフとヘブロンに関する記事に迫ってみました。

このバルフ・ゴールドスティンなる人物。94年の事件当時、日本の新聞にも大きく取り上げられたヘブロンでイスラム教徒へ乱射事件を起こした彼。田中氏の記事「イスラエル右派を訪ねて(下)」にはこう書かれている。


『1993年にオスロ合意が成立し、ヘブロンを含む西岸地域の多くがパレスチナ人側に返還される方向性が決まると、キリヤットアルバの宗教右派の人々は猛反対した。彼らの中の一人でアメリカから移住してきたバルチ・ゴールドスタインという男性が1994年2月、イブラヒム・モスクに行って礼拝中のイスラム教徒たちに向けて銃を乱射し、30人近くが死ぬという「ヘブロン乱射事件」が起きた。

 マクペラの洞窟では、それまでイスラム教徒とユダヤ教徒が混在して祈っていたが、この事件以降、ヘロデ王の城塞内部に新しく壁を作って半分ずつに分け、イスラム教徒のための礼拝場とユダヤ教徒のための礼拝場とを分離した。

オスロ合意の締結後、イスラエルとパレスチナの両方の人々に「これからは平和だ」と明るく考える風潮が広がっていたが、その楽観は、この乱射事件とともに吹き飛んだ。乱射事件の報復としてパレスチナ過激派「ハマス」による自爆攻撃が起こり、翌年には、和平を進めようとしたラビン首相が殺されてしまった。 』



では、らくだの某(わたし)は、これをどう説明するか。

『NYのブルックリン出身の医師であったバルフ・ゴールドスティン(バルチではありません。これについては後で説明します)はヘブロンでキリスト教徒、イスラム教徒そしてユダヤ教徒、宗教に関係なく心ある医師として働いていた。しかし、次第に状況が悪化するヘブロンで、多くのユダヤ人が武装アラブ人によって負傷し、その多くがER医師であるバルフの腕の中で亡くなっていった。

そして武装アラブ人たちはバルフに「次はお前だ」と執拗に脅迫するようになり、またもやヘブロンのユダヤ人虐殺計画を促した。バルフの祖母は1929年に起きたヘブロンのユダヤ人虐殺の場にいたということもあり、彼は過去の事例からもイスラエル政府は当てにならず、またもや見す見すユダヤ人が虐殺されるならばその前に敵を倒すしかないと、IDF時代の医療チームで経験した数ある無残な兵士の死など、ユダヤ人の死に対する恐れ、と生き残るための狭間に翻弄されつつあったようにも思えます。

そして94年、バルフはかなり以前からイスラム教徒とユダヤ教徒が分けられているヘブロンのマクペラの洞窟の祈りの場所へ、その武装グループのメンバー(もしくは関係者)が祈りを捧げている途中に入って行く。バルフは事前に隣のユダヤ人区のユダヤ教徒に何か騒ぎが起こっても、自分の逃げ道確保のためにドアは開けたままにしておいて欲しいと伝え、イスラム教区へ入って行った。

そして武装メンバーらしきグループが祈っている背後から銃を乱射し、29人のイスラム教徒を射殺した。バルフはそこで逃げようとしたのだが、この騒ぎに恐ろしくなったユダヤ人たちはすでにその場のドアを閉めてしまい、逃げ道を失い弾丸のなくなった銃をムスリムたちに奪われ、バルフは閉じ込められたイスラム教区で撲殺されてしまった。』


バルフ・ゴールドスティンは、イスラエルの世俗社会ですら気の狂った宗教右派の凶悪犯罪人とされ、彼の名を出そうものならばあんたもまたキチガイかと言われる。そしてその反対に宗教社会の極右派は彼をアラブ人を殺したヒーローとして讃える。どちらも間違っているよ。ユダヤ人を殺すアラブ人への乱射=自分たちは手を下さずに、しかも助かった=バルフは大ヒーロー、とはなにかあまりにも短絡で幼稚で情けない。

でも確かに彼はあの時点では正気を失っていたようだ。そこが問題なのだよ。なぜ彼一人がああいう行動に出なくてはならないほど、正気を失うような状況まで追い詰められたのか。単に結果だけを見てレッテルを貼っても意味がないし、彼を英雄視すること、またはキチガイ扱いすることは状況を理解することにつながりはしない。しかし田中氏の記述では『一人のキチガイ右派ユダヤ人のために和平が吹き飛んだ』とも読めてしまうのだよ、これが。

バルフ・ゴールドスティンはサイコな凶悪犯罪者でも、ましてや大ヒーローでもない。医師であり、ごく普通に妻と子供たちという家族を持っていたバルフ・ゴールドスティンは、いつまでももだかったイスラエルとアラブの現状が作り出した悲しい犠牲者の一人に他ならない。・・・っと思っちゃったわけさ。




バルフ・ゴールドスティン、彼と個人的に会ったことはありません。私がエルサレムへ移ってきた時には彼はもう亡くなっていましたからね。でも彼の友人たちを知っています。彼の母と私の親友の母は幼馴染で、バルフが事件を起こす1時間前にもバルフの精神状態について電話で話しをしていたそうです。

田中氏のバルフ・ゴールドスティンの記事で彼の名前はバルチとされていますが、英語の記事を読んだだけでは「Baruch Goldstein」はバルチ・ゴールドスティンと読めてしまいますが、これは口頭では「バルフ」と発音します。
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by ck-photo | 2004-11-25 07:45 | 戦争と平和


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