疲れた・・・・
くったくたに疲れた午後6時過ぎ。ストレスいっぱいの一日を終えてエルサレムに向かうバスを待っていた。6時10分に来るはずのバスはいつも通りに遅れ、しかも満員通過・・・はー・・・っ、また20分、立ったままで次のバスを待たねばならぬが、次もまた満員かもしれない・・・。

すると、予定より早くエルサレム方面と思わしきバスがやって来た。開いたドアから飛び乗ろうとすると、運転手が「後ろの昇降口から入ってね」と言う。「へっ・・・?」何のことやらわからずにいるともう一度にこやかに「後ろ、後ろ」と座席を指差す運転手。「あっ!・・・」とそそくさとバスを降りかけて「エルサレム行きよね?」と確認すると「ベイト・シェメッシュ行きやで」。わおー、危機一髪。あやうくまちがえるところだった。が、それで納得。ベイト・シェメッシュはアングロサクソン系正統派ユダヤの移民の街。車内は男性が前部に、そして女性は後部にと前後して男女別、ハレディムと呼ばれるウルトラ正統派ユダヤの乗客を乗せたバスだったのだ。

それからまたエルサレム行きのバスを待つことしばらくの後。ようやくやって来たバスに今度は逃してはならぬと乗り込むも、すでに満席らしく、ああーー・・・。エルサレムまでの50分ほど、ずーっと立ちっぱなしかあ・・・・。高速バスは揺れるのとスピードが出ているのとで、かなりしっかりと立たなければならないのが辛い。わたしの前には白ひげのラビが立っていたが、それに気がついた頭にキパを乗せた若い男性たちが立ち上がり、ラビに席を勧めた。こういう思いやりを感じられる光景にはちょっと心が和む。白ひげのラビは「いいや、それには及びません」と手を振って、満席のときにわたしがいつも座る昇降口の階段に腰掛けた。

そうしてわたしはひょっとしたらとバスの奥に進んで行った。すると一番奥の二人がけに若い娘さんが一人。宗教的な乗客の多い場合、婚姻関係にない男性と女性が隣同士で座ることはないので、よし、あそこに座らせてもらおう。ほっ、として奥に進むと、わたしの前を進んでいた40代の男性が何喰わぬ顔でその娘さんの隣に座ってしまった。見知らぬ男性に横に座られては娘さんは仕方なく、さっと席を立つと通路に出た。そこへすかさず他の男性がわたしの背後からやって来て当たり前のように座った・・・。

疲れてイライラしていたせいもあり、わたしはなんだかすごくムッとし始めた。どうしてこの娘さんがエルサレムまでの50分を、無神経なおっさんのために立って行かなければならないのだろう。そしておかげでわたしも同じ目を合うことになってしまったので、大きなため息が出た。ここで「あなたが立つ必要はない!おっさん、ちょっと待て!」と言えたらすっきりしただろうに。が、言ったところで「彼女が好きで立ったんだろうが」と吹っかけられるのは目に見えていた。

バスは動き始め、通路に座り込む正統派ユダヤの若い男性や、マシンガンを抱えた兵役の若者たち。ああ、疲れたなあ・・・。普通なら立って行ってもあきらめられる距離なのに、なんだか知らないけれど、急にこんなちょっとしたことが辛く思えて意外にも涙が出そうになった。帰宅後、兄のブログで先日実家で行われた父方の祖父の三十三回忌の様子を垣間見た。祖父の最後の法要ということで、本当ならば父のためにも出席したかったのだが、5月に帰国したばかりなのでどうしようかともたもた迷っているうちに、仕事と重なったりと、きちんと考えるタイミングを逃してしまった。法要には祖父母と縁ある古い付き合いの親戚一同が東京や富山から集まり、8歳になる甥が一生懸命に読経している姿、もう70近くおじいさんらしさが見え始めた父の横顔、そんな光景に思わず目頭が熱くなった。

そこにいない自分を思ってなのか、家族を恋しく思ってなのか、疲れからなのか、やるせなさなのか、珍しく非常にネガティブな穴にはまってしまったようです。わたしはこの中東の片隅で、果たして本当に意味ある生活をしているのでしょうか・・・。

明日は休みを取って、久しぶりに母に電話しようと思います。
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by ck-photo | 2007-07-03 04:21 | 何気ない日々


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