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イスラエルで最も貧困な市 2003年ワースト1位は・・・?
日本または世界のメディアで語られるように、イスラエルのアラブ人は果たしてそんなにウルトラ貧乏なのか?の話。ですが、その前にまずここで自分に質問。

「あんたの言うイスラエルのアラブ人って誰よ?」

そう、まずこれをはっきりしなければいけませんね。「イスラエルのアラブ人」とは、イスラエル国籍のアラブ人(宗教的にはムスリムやクリスチャン)のことで、彼らイスラエリーアラブ人はイスラエル国民の20%を占めています。イスラエル国籍ではないパレスチナ自治区(ベツレヘム、ガザ、ラマッラなど)のアラブ人やパレスチナ難民はイスラエリーアラブ人で派なく、彼らへの保障は、1994年のオスロ合意議以降はアラファトに一切の権限があります。

さて、ここからが今日の本題。2004年でイスラエルで最も貧乏な街とはどこか。やはりメディアで映るような、水も通ってなさそうな貧困なアラブの町でしょうか。それじゃ、まずは結論から。アラブの街も含めるイスラエル国内での「最もウルトラ貧乏な街」は、意外や意外。Benei Brak(ベネイ・ブラク)というイスラエル国内でも有名な正統派ユダヤの街で、おそらく住人の99.9%は黒服のユダヤで、アラブ住民はいないでしょうね。その主な理由は、日本ではテレビのネタになるほどの「子沢山大家族」。彼らの家庭では子供5、6人は当たり前。これは少々少ないのではとさえ思えます。子供の多い家庭では、子供が14、5人。お母ちゃんは結婚してから20年間ほどいつもお腹が大きく、当然、共働きは難しい。お父ちゃんは働いているのかといえば、微々たる奨学金と政府からの補助金をもらいながら一生宗教学校で勉学に勤しむ。となれば当然家計は火の車。ベネイ・ブラクの市民の31%、そして子供の50%がPoverty Line、つまり最低収入ラインの貧困なのだそうです(この統計は2003年10月の現在一番新しい統計)。

そして、輝かしいウルトラ貧乏第二位の街はなんと、わが街、エルサレム!ちなみに2001年の統計ではエルサレムが貧困第一位でした。そしてこれは、このブログでも書いてきましたが、エルサレムの市民の30%が正統派ユダヤで「20年間保障つき子沢山ライフ」を実践中。そして世俗社会のユダヤ人(一家あたりの子供の数は3人ほど)が40%、残り30%がアラブ人。つまりエルサレムの70%はユダヤ人にもかかわらず貧困第1、2位を争う現実。

エルサレムがなぜそれほど貧困なのか。正統派ユダヤの子沢山に加えて、ムスリム・アラブもまた子沢山(といってもさすがに15人はあまりいないかも)、冗談抜きで他の街のアラブ人とは比較にならないほど、なぜかしらエルサレムのアラブ人は「怠け者」が多い。例えば、ある若いアラブ人男性が食堂のキッチンで働いている。店主が「おい、カバブを作れ」という。彼は言いつけ通りにちゃんとカバブは作るが、そう、それだけ。だって店主は「作れ」とだけ言ったでしょうと。そして後は次に何かを言われるまで、ぼーっ。まわりが洗い物の山であろうがなんだろうが、関係なし。万事が全てこの調子。これじゃあ、能率悪すぎ。そして観光で収入を得ていたこの街ですが、インティファーダ以来、一時期はゴーストタウンとまで化するほど、閑古鳥すらも飛ばない閑散たる状況。そんなこんなでエルサレムは貧困第二位に輝いてしまいました。

では、イスラエル国内のアラブの町はどうなのか。例えばエルサレム近郊のアラブの町は、中東料理で有名、しかもかなり親イスラエルなので、危険を感じずにエルサレムからもテルアビブからもユダヤ人も含めたたくさんのお客さんが来ます。さらには、その町の一人がどえらい金額の宝くじ☆を当てたもんだから、もう大変!彼は自分の家族はもちろんのこと、その町へかなりの貢献をして、ベネイ・ブラクとは比べ物にならないほど町自体が日当たり良好な暮らしをしております。

また、北部の港町ハイファなどでは、昔からヨーロッパに向けて港が開けていたせいもあるのでしょうか。沢山のアラブ人がごくごく普通にユダヤ人と混ざって共同生活を営んでいます。その中にはもちろん医者や弁護士もいれば、はたまた食堂のおっちゃんもいて、ちゃんと彼らはハイファの一般社会でユダヤ人と同じように地位を得ているわけです。つまりイスラエル国民であれば誰もに同じ権利(健康、失業保険、その他)が守られ、そこにじ~ざすもモハンマドもモーセも関係ない。

おまけにもうひとつ。イスラエルに登場したあの「壁」ですが、これによって多くのアラブ人がエルサレム周辺に引っ越し、2千万円クラスの住宅を購入しはじめているのですが、もしアラブ人がメディアで伝えられているほど貧困であれば、彼らにこの金額が支払えるわけがない。これだけを見ても彼らが貧乏またはウルトラ貧乏ではない。そして、なぜ彼らがそこへ引っ越してきたのかというと、壁の向こう側(パレスチナ自治区)なんてとんでもない、と彼らは言う。ちなみにアラファッちゃんは世界のリッチマン堂々の第6位だそうな。ホテル王でもないのに、一体なぜでしょうねえ。どこからそんなお金が入ってくるのでしょうか。不思議ですねえ。
by ck-photo | 2004-11-10 07:29 | 混沌の文化


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