ニッポンのイスラエル旅人
90年ごろから95年あたりがそのピークだった若いイスラエル露天商のオニィさん、オネェさん。当事の地元京都では夜の木屋町や祇園、はたまた東寺の弘法さんや北野天満宮の天神さんのお祭りや、お正月のえべっさん、大阪、名古屋、もちろん東京とそして沖縄まで日本全国、君らはイスラエル版の寅さんか。

この頃、私はまさに実写版寅さんの、在日韓国人の筋金入りの骨董商のおっちゃん、いや、師匠にその男っ気(いや、オンナなんですけどね)を見初められて弟子入りして、関西中のお祭りをトラックで駆け巡る日々が続いていたので、あちらこちらで彼らを見かけたものでした。

そしてもう一つは、あの当時、バブルで景気がよかった祇園でも大阪のミナミのクラブでも、外人クラブのホステスさんと言えばカタコトの日本語のぐるぐるウェーブな髪の大きな口のイスラエル人が多かった。

露天商とホステスさん、彼らは兵役を終えてインドやタイを旅し、資金がなくなっては便利な経済大国ニッポンにやってきては荒稼ぎをして、また旅を続けるか、あるいはそのまま不法にニッポンに何年も残ってせっせとお金をためてから母国イスラエルへ、シャロームシャローム。

それからだんだんと彼らの儲けかたも巧みになりだして、偽ブランド商品を闇や路上で扱う人もいたりして、そこへイスラエル人マフィアが来日し、縄張り争いが起り傷害事件なども発生。当然、入国管理局の目もどんどんと光りだした。そして96年あたりを境に国内での取締りが厳しくなりはじめて、イスラエル版寅さんも徐々にその数が減って、現在ではかなり短期ニッポン荒稼ぎ留学という形に変わってきたように思う。

去年のいつだったかに、突然エルサレムの自宅にこんな連絡が入った。

「東京のXXと申しますが、助けてもらえますか?知り合いのイスラエル人女性が東京で車の接触事故を起こして逮捕されました。彼女は日本語、話せません。通訳やってください。お願いします!」

イスラエルから、通訳するんですか?

「いえ、まずは彼女の家族に連絡係をしてください。連絡先は彼女が言わないのでそちらで探してくださいね。」

はいっ?
私が探すんざんすか?
面識もないのに?
ちっ、ちなみに、彼女のお名前と住所は・・・・???

「テルアビブのサラ・レヴィ(仮名)です。」

それだけで、本気で探せと?
んな典型的なユダヤ人の名前だけでわかるかっちゅうねんっ!

なぜ彼女はあなたに連絡先を教えないのです?
それか大使館に言えばどうですねん?
はっ???
えっ???
彼女は親に知られたくないから大使館と関わるのを拒否している???

この彼女は短期滞在でニッポンに入国して、国際免許なしで持ち主のはっきりしないバン(つまり他の露天商のイスラエル人から借りていた)を運転中に接触事故を起こして、しかも被害者は入院。で、即逮捕となり、裁判までは行かなくても罰金で80万ほどかかることになったのですが、恥ずかしいから親には連絡を入れるなと大使館の関与も拒否。で、対処に困った警察署は身元のわからない彼女を2、3週間の間、拘置所かどこかへ留めることにしたのですが、そこで彼女は暴れる、規則を守らない、と甘ったれ全開。

でもしばらくしてからはさすがに少し態度を入れ替えて、事故を反省して泣いて詫びてみたりと紳介じゃあるまいし。で、それからなんだかんだあって、最終的には彼女の親が日本へ罰金を送金するということで彼女は釈放されるという展開へ。その頃には釈放後はイスラエルに帰ってまじめに働いて親から借りた罰金を返しますと、しおらしかったのが・・・。

ところがどっこい!彼女、釈放されたらこっちのもんよってんで、一気に態度が豹変して、というかジに戻って、なんと入院している被害者への謝罪は一切必要ないと言い出した。理由を聞けば、

「こっちはあんなにバカ高い罰金を払ったのだから、もう自分の義務は果たしたのだから済んだ話よ。なのになぜわざわざ謝罪に行かねばならないのよ。」

と、のたもうた。

まさにイスラエル的、というか、欧米的自己中の典型か・・・。あぁ、こんな彼らに寅さん的人情はまったく通じない。そしてそれから一週間後には、

「こんなアンラッキーな国はおさらばよ。ああ、こんな極東まで来てアホみたいに損したわ。」

と、捨て台詞で、さっさと一路イスラエルへと。そして、当然その間のやり取りに関してこちらへの「ありがとう」の言葉はなし。そりゃ、言う訳ないわなぁ。

ニッポンの何たるかをも知らず、いや、知ろうともせずに、「よい金儲けがでけるでぇ」というだけで言葉も文化も違う国へヒョイっとやって来て、自国ではしないむちゃくちゃな事をやってもお構いなし。だって自国じゃないんだも~ん。そう、自国ではしないこと、しちゃいけないことを他の国に来てまでするなよ~ん。

もう二度と来んといてんか。と思ったのでした。
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by ck-photo | 2004-11-02 04:28 | 混沌の文化


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