-A Voice of Jerusalem- エルサレムからの声
昨日一日ブログについて、人について、そして私自身について静かに考えてみました。先日投稿した「メディア」でのコメントで、イスラエルに住む者としてイスラエルとパレスチナの問題についてどう思うかという質問をいただきました。そして、日本では現地に住む者の考えを聞くといった機会がなかなか得られない、とのことでした。事実、日本にまたは海外に住む方々には非常に興味深いことだろうと思います。

ここに住んでいる私が一言で自分の今の気持ちを表すとすれば、きっとそれは「心=魂が痛い」の一言なのです。イスラエルや中東問題を扱ったブログやウェブの多くを読むことは、心に一つ一つトゲが刺さる思いがします。おそらく実際には知らないよその国の出来事なのに、なんと感情的で狂信的なものが多いことか。その人の美しさを引き出さずに反対に最も醜く無知で嫌な部分が表されていることがとても多いのです。でも、ブログというそのもの自体については基本的にはとてもいいものだと思っています。ブログに書くことによって自分の意見を述べたり、詩や物語を書いたり、はたまた日記であったりと、人々に表現の機会と可能性と情報と楽しみを与えます。

「イランという国で」というお隣のブログは私もよくお世話になり、かつ大変楽しくもあり、とても興味深いブログの一つです。そのブログの魅力は、ブログを書かれている彼女の真摯な人柄は当然のことながら、旅でちょこっと通り過ぎたイランではなく現地に住む彼女の実際の体験を通して書かれていることが貴重で、人々の心に響くのでしょう。でもこちらの「中東に降る雪」という名のブログでの、私のエルサレムに住む者としての声とは一体何なのでしょうか。

エルサレムという街はイスラエルの中でも、そして世界中でもかなり難しい立場の街です。イスラエル国はエルサレムを首都としましたが、世界世論ではそれは認めていません。つまり宙ぶらりんにどっちつかずに浮いた街で、一方では自分の土地だといい、もう一方ではいや、この土地は我々のものだと言い、そして第三者からはいやいや、お宅はどこにも属さないのだよ、と右へ左へと体を引っ張られているように。一人の子供を3人がそれぞれに我がものにしようとそれぞれへと引っ張るような、そしてその3人の取り合いを見て、傍観者はその中の誰が一番悪者だとか、誰に権利がある、ない、そして相手を追い出せとか殺してしまえだとか、自爆までして子供をくれと頼んでる者がかわいそうじゃないのか、と無責任な好き勝手なことを言います。

そんな争いが続いて、イスラエルとパレスチナの両方に信じられないくらいの数の負傷者が、死者が、毎日のようにこの国のどこかで、そしてその人たちの家族が苦しんでします。そして、そんなエルサレムに住む私は、バスの座席一つを隔てた生と死を生きています。イスラエル人作家のディビッド・グロスマンは「死を生きながら」と言いますが、私はその反対に「生を生きながら」と言うでしょう。

イスラエルとパレスチナ、どちらが正しくどちらが悪いのかと尋ねられたなら、この土地に住む「生を生きる」者として見てきたことにおいて、どちらが正しいまたは良いか悪いではなく、それぞれに間違っていると答えるでしょう。では両者はどうしたらよいのかと問われたならば、「ばかばかしい子供のようなゲームや言い訳はそろそろ終わりにして、真剣に解決に向けて椅子に座れ!」と彼らに言うでしょう。「でも椅子に座っても何から手を着けていいのかわからないんだよ、やっぱりイスラエルからユダヤ人を追い出そうよ」と言われれば、「ここらで腹をくくって相手の存在を認めなさい」と言うでしょう。そして「まず自爆攻撃を完全に止めなさい」と。「あなたのスタートはそこからですよ」と。

そして彼らの相手イスラエルには「自治区の人々にそれなりの補助金を与えて、彼らの再出発のサポートを。それから要らない入植地から手を引きなさい。そしてあなたたちはもう少し賢くなりなさい。相手への恐れから生まれる行動は正しい結果を生みませんよ」と。そして両者に言うでしょう。「相手に出て行けと相手の存在を否定するのではなく、相手の存在を認めることを。そしてしかるべき場所にきちんと国境を引きましょう」と。

今も惰性で続いているこの争いが、もうお互いがうんざりなのは火を見るより明らかな事です。イスラエルの人々もパレスチナの人々も、誰も望んではいない争いなのです。でも人間とは愚かなもので、火傷して痛い目をみなければ気がつかない。火傷してからではもう遅いのに。

この争いの中に身を置いていて、私は日々、ある大切な感覚を失いつつあるように思います。インティファーダがはじまった頃には人々が亡くなるたびに悲しくて恐ろしくて。そしてその行為を、上辺だけを見て盲目的に正当化しようとする世界中の人々に対して悲しくて、憤怒して。でも、今ではそういったことは感じません。ただ人々が無意味に亡って行くことに、疲れたのです。そしてそれが現実として本当にどういうことか解らずに意見を述べる世界中の人々に、疲れたのです。ただただひたすらに失望感が募るばかりなのです。これがこのエルサレムの住人である私の声なのです。





今これを書き終えるか終えないかに、イスラエル最南端のリゾート地のエジプトとの国境のホテルで爆弾が爆発し、現時点で35人もの死者、120人以上を越える負傷者が出ました。彼らはスコットのお祭りの休暇の最後を楽しんでいたのです。当然「子供」も「大人」も含めた一般市民の方々です。Excite エキサイト : 国際ニュース
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by ck-photo | 2004-10-08 08:49 | 戦争と平和


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