キツネの頭になるならライオンの尾になれ ー選民思想とはー
e0009669_1715343.gifユダヤの新年の晩に聞いた話から思ったことを少し。プジョーのロゴとよく似たライオンが街のシンボルなエルサレム。

ユダヤの新年の食卓には、甘い年になるようにとリンゴとはちみつが上りますが、魚が泳ぐ時、当然先頭になるのは尾ではなくアタマ、つまり尾にならずに頭になるようにと、魚の頭もテーブルの上に堂々と飾られます。

選民思想。これは多くのユダヤ人自身を含む世界中の大多数の人たちによって、最も誤解されているユダヤの教えのひとつなのですが、一般的にはユダヤ人が「おれたちゃ神に選ばれた民だから偉いんだよ、フン!」と非ユダヤ人が劣等であるかのような差別意識を表わした思想だと思われています。過去のヨーロッパでも事あるたびにこの誤解された選民思想が他の人たちの反感を買い、なぜああいった悲惨なホロコーストが起こったかの理由のひとつとしても語られてきました。

しかし、選民思想とは本当は一体どういうことなのか。

選民とは、一般に理解されている「選ばれた民」ではなく、「選んだ民」。多神教が流行りモラルも何もなくなっていたアブラハムの時代。そのモラルの欠けた世に生きたアブラハムは疑問と自己探求の末に、多神ではなく唯一神が絶対の神であると悟った。つまりアブラハムが神を選んだわけです。そしてそれを本心だと受け止めた神は、アブラハムを選び、彼と契約を結ぶ。その契約によって、アブラハムを長としその子孫は他の民の光となり、世界を正しい道へ導く者としての責任を負う民となることがアブラハムとその子孫の選択となった。ユダヤの民は他のどの民よりも社会の秩序や道徳を保ち、それによって神の存在を正しく伝えていく責任を担いでゆくことを選択した、それが本当の選民思想。

そのことを忘れないために、ユダヤの新年には魚のアタマを食べますが、アタマ、つまりリーダーになるのなら何でもよいということではなく、例えば、キツネの頭とライオンの尾ではどちらがよいのか。キツネは歩く時は頭を下げて歩き、ずるがしこくせこくて卑怯なイメージがあります。そんな部類の頭になるよりも、強いライオンの方が当然よい。しかし、ライオンのリーダーになるには並大抵のことではなく、だからといって妥協して下を向いたキツネの頭になるよりは、ライオンの尾になったほうがよい。誇りを持った正しい者の尾には価値がある。ライオンは尾をピンと立てて勇ましく歩いてゆくものだから。

選民とライオンのしっぽと魚のアタマ、そんなことを考えた夜でした。
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by ck-photo | 2004-09-19 16:59 | ユダヤ雑学


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