夢のあと
2000年9月28日に始まったインティファーダ、それからのイスラエルについて。

はっきり言ってこの「インティファーダ」という言葉。これはなにがどういう意味でこういう言葉なのか、イスラエル在7年にして、いまだにピンと来ない。

2000年、あの年は建国以来でも、きっとイスラエルが一番油の乗っていた年だったように思う。それまでイスラエルではダイヤモンド産業が一番で、そこにハイテク産業が急成長し始めたのが2000年。たくさんのハイテク・スタートアップ企業があちこちに見られ、テルアビブにはシリコンバレーならぬテルアビブバレーが登場。当然エルサレムもそれに負けまいと2つもの巨大なハイテク・パークを建設し、パーク内の企業で働くのがアメリカ移民のステータスのようだった。そして、日本人のIT職関係者の少ないこの街では、わたしはまさに引っ張りダコ。そうして街も潤い出し、少々リッチな気分になった市民たちが、ビーチに死海にエイラットにあふれ、キラキラと輝いたイスラエルの黄金時代の到来。

しかしそれもつかの間。このわけのわからない、どう使っていいのかさえも困ってしまうような言葉、「インティファーダ」とやらが始まって、見る見るうちにあちこちで爆弾を抱えた人達が何100人という他人をも巻き込んでの自爆が続く。そして、恐怖におののいた市民は家に引きこもり、激減した観光客のために店じまいと余儀なくされた数々の商店やレストラン。街中にはなんとも言いがたい、重苦しく泣き声の響くような空気に包まれた。そして、追い討ちを掛けるように、ハイテク産業の没落。まさにイスラエルはその頂点からマッサカサマに転げ落ちていった。

そして現在2004年。状況はといえば、経済はあいかわらずボロボロで、ハイテク・パークはゴースト・タウン。夢と希望を抱えて移住してきた若いアメリカ移民たちの多くは経済的にも精神的にも疲れ、無念ながらも本国アメリカにUターン。でも帰る国のある彼らは良いよ。イスラエルの人はここに留まるしかない。

そして、大きなデパートやカフェの入り口には金属探知機を持ったエチオピア移民のボディーガード。細くて優しそうな彼らには爆弾を何キロも抱えた人を止められるとは思えないが、「ボディーガード」がいるというほんの気休め、という事かな。

これが現状。でもすっかりそれにも慣れて、それが当たり前のような、もしかしてこれも平和なのかと思わせる風景になりつつある。
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by ck-photo | 2004-06-22 03:08 | エルサレム・エルサレム


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