エルサレムのサラディンの兵士墓地とプラハのユダヤ墓地
e0009669_7232150.jpgエルサレムの新市街の真ん中には、古いムスリムの墓地、マミラ墓地があります。

今となっては「なぜこんなところに墓地が?」と、墓地にするには不似合いな場所ですが、墓地ができた12~13世紀ごろでは、ここは旧市街の外で人も住まない荒野だったのでしょう。映画「キングダム オブ ヘブン」でも登場する、十字軍の手中だったエルサレムを奪還しようと戦ったムスリムリーダー、サラディンの兵士がここに埋葬されているといわれています。

現在の墓地公園はこんな感じですが、向こうに見える塔はエルサレムのYMCA。このビルはニューヨークのエンパイアーステイトビルディングと同じ建築家の作品で、そういわれて正面から見てみればなんとなく共通点があるようなかんじがします。

e0009669_720870.jpg墓地公園内にある一番大きな墓。これも聖廟というのでしょうか?現在は入り口がふさがれていますが、中に墓があります。何かアラブ語で書かれていますが、読めないので誰の墓なのか不明。

中は暗いので覗いてもほとんど見えませんが、そういうところを覗くのは度胸がいりますね。変なものが写ったらコワイし、あるものまで写ってなくてもコワイし。とか言いつつもちゃっかり覗いてますが・・・。正統派ゆだやのおじさんが「こんなところでなにしとんねん?」と、不思議そうに通りすぎました。 (聖廟内(?)の様子は撮影後にはじめて知った)
e0009669_7314980.jpg

e0009669_710107.jpge0009669_7105353.jpg

古いムスリムの墓。形やレリーフがおもしろい。残念ながらアラブ語なので、何が書かれているのかは不明。

e0009669_713186.jpge0009669_7141732.jpg



左の墓はその形からも、上の写真の墓よりも新しいものでしょうか。右は東ヨーロッパの特定の町にしかないユダヤの墓石と同じ形のもの。こちらの墓のほうが古いので、これをまねたものかも?と思うも、この形はエルサレムのムスリム墓地でもあまり見ないように思う。


さて、ムスリムの墓もさることながら、世界中にユダヤの墓地がありますが、中でも有名なのはプラハのユダヤ墓地。この旧ユダヤ墓地は、プラハでも人気の観光地のひとつですが、ヨーロッパに存在するユダヤ人墓地では最古のものだそう。1439年から1787年までの348年の間に10万人のユダヤ人が埋葬され、ある一定の時間が過ぎるとその上にまた新しい墓を作ったので埋葬層は12層。さらに、その狭い墓地内にある墓石数は1万2千と、上にも下にも横に斜めにと、通勤ラッシュの電車内のようですね。

この旧ユダヤ墓地には、有名なユダヤの人たちも埋葬されていますが、この墓地で最も有名な墓は、ユダヤ教神秘主義のカバラを学んでいたラビ・ユダ・ロウ(Judah Loew 1525 - 1609)。彼はユダヤ版フランケン・シュタインを作り出したとされ、伝説的人物とされました。そしてもう一人は1439年に亡くなったラビ・アヴィグドール・カラ(Avigdor Kara)。彼は1389年に起こったプラグでのポグロム(集団でユダヤ人に対して行う暴行、破壊、虐殺のこと)を生きのびた数少ない一人でした。このポグロムは、「ユダヤ人はキリスト教の儀式に使う聖体を盗み、黒魔術をかけている」といううわさを信じた住民たちによって行われ、当時プラハに住んでいたユダヤ人3000人のほとんどが亡くなりました。こういったポグロムはヨーロッパの各地で行われていました。

このプラハの旧ユダヤ墓地がヨーロッパ最古のユダヤ墓地となった理由は、第二次大戦でドイツ軍に破壊されなかったため。と、とてもかんたんな理由ですが、ヒトラーはユダヤ人撲滅後にプラハにユダヤ博物館の建設を計画していたので、この旧ユダヤ墓地を残すことにしたといわれています。

プラハの旧ユダヤ人街を見てみると、墓地だけではなく数件のコーシャーレストラン、9軒のシナゴーグなど、現在もユダヤの人々が住んでいるのが伺えますね。ピンク色の旧市役所の時計も、よく見るとヘブライ語文字の時計。ちなみにプラハの有名なユダヤ人といえば、フランツ・カフカですが、でもカフカが亡くなったのは1942年。この墓地が閉鎖されてからのちのことなので、彼のお墓はここではないですね。


(このプラハの墓地については旧ブログのほうでも取り上げたので、読まれた方もいらっしゃるかと思いますが、あちらのブログで書いたものも少しずつこちらに移行していきますので。)
[PR]
by ck-photo | 2006-10-19 07:52 | ユダヤ雑学


<< ほうれん草のサラダを彩る宝石 深い森から見える海 >>