フィルターをはずそう

ふと気がついて、書き留めておきたいこと。


心の中にはいろいろなフィルターがある。人は多かれ少なかれ、いつもそのフィルターを通して物事を見ている。だからそのもの、こと、ひと、をそのままありのままで受け入れているとは限らない。というか、ほとんどそれは無理に等しい。

エルサレムの街角の写真を撮ってきて、ここしばらく、「とんでもなく代わり映えしない」自分の写真に飽きてきた。ここに住むことによって得た情報から、私の中で「中東のエルサレム」というフィルターがすっかり作られてしまったから。マハネ・イェフダの市場は「泥臭い」というフィルター。旧市街は「ほぼアラブ色」というフィルター。だけど、雑誌やらで見るフランスのパリは「おしゃれ」だというフィルターなども、実際に「パリ=おしゃれ」かどうかを自分の経験として知らないのにもかかわらず、作られてしまう。そして仮にパリがおしゃれな町であったとしても、そのフィルターを作ることは避けたい。

そんな心にセットされたいくつものフィルターによって、すっかり見落としてしまうたくさんのこと。これらのフィルターをはずせば、同じエルサレムの「泥臭い」市場でも、いくらでも新しいことを探すことはできる。フィルターがあったから見えなかったもの、忘れていたもの、確信していたもの、ひねくれていたもの。そんな心のフィルターをひとつずつ、はずしていこう。フィルターを通して見ていたものが、意外な新しい形となって見えてくるから。人間関係もしかり。

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窓のプラスチック製の日よけのあいだからこぼれて来た光のボール。ああ、おもしろいな~っと思った。
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by ck-photo | 2006-05-22 01:18 | 日曜の哲学カフェ


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